建物は博物館の旧館西側にあったが明治の廃仏毀釈の時に壊された。今は井戸の跡だけが残っている。ガイドによっては「もう少し南側だ」と説明するが間違いの様で、いま足で踏まれている石板が当時の宝蔵院の井戸の石蓋である。余談:ここで創案された「十文字槍」は春日のお告げがあったとか、池に写った三日月を見て思いついたとか。剣豪・宮本武蔵が宝蔵院と試合をしたとか、また荒木又右衛門が宝蔵院で学んだという話もある。
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