出発をして間もなく、猿沢池を右に見て坂道に掛かる。この坂は「辷(すべり阪」と呼ばれていた。当時は雨が降ると道がぬかるみ足が滑って歩きにくかった坂道だったから名付けられたのだろうと勝手な想像しながら歩くと、春日大社の入り口「一の鳥居」へたどり着いた。ここを北へ取れば「奈良街道」であるが、東大寺へ向かう交差点までの少しの距離は「伊勢街道」である。余談:鳥居左右にある大きな石燈籠は、明治3年建立の石大工嗽楽(祐之)の作品である。
高札場横、奈良県里程元票の隣下に、奈良市道路元票がある。これは向側の餅飯殿通り前にあったのを道路整備に伴いこの場所に移された。道路元票は1919年(大正8年)の旧道路法で各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。奈良では大正9年からこの道路元票を中心に東西約2.7㌔、南北1.8㌔の区域を4区に分けて市区改正調査がされ、奈良市の都市計画が始まった。
ご縁があり「旧街道を歩く」グループからお誘いを受けた。今回奈良から京都までの旧京街道を3回に分けて歩く予定。初日天気は上々、猿沢池の少し三条通り南へ戻った所にある「高札場」がスタート地点。本日の予定はここからJR棚倉駅までの約11キロの予定となっていたが、さてっ、成り行き任せに近い「旧街道を歩く会」予定通り目的地にたどり着けたのか、はたまた… 1日8時間余り歩いたが何回かに分けて見どころを記してみる。
わが古民家の庭にはこの時期、次から次へと花が咲く。それらの多くは名前が分からない。図書館で野草図鑑などを借りてきて調べてみたが、似ているものがあったり、全ての野草が載っているわけでもない。名前の判断が付きにくくなかなか難しい。買ってきて植えたものもあるが、それも名前が分からなくなっている。「雑」とは「色々なものが混じっている、粗雑、いい加減」と云った意味がある。胞子や種がどこからか飛んできて、勝手に咲いているから「雑草」でも良いが、彼らだって粗雑に、いい加減に咲いているのではない。きっと一生懸命に頑張っているのだと思うと、わが古民家の庭に咲く花たちに、名前は分からなくても愛おしさを感じる。(完)
家人がせっせと毎年手を掛けているベコニア。2000種余りの原種と、15000を超える交配種があるといわれている。 原種は、オーストラリアを除く世界中の熱帯や亜熱帯に分布し、特にメキシコからブラジルにかけての中南米、中国南部から東南アジアにかけての地域に、多くの種が分布しているそうです。花言葉「片思い」。あ~青春。