《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

法隆寺と太子「山背大兄王暮1」

2010年02月01日 | Weblog
太子および推古天皇の死後、後ろ盾を失った山背大兄王は蘇我入鹿の襲撃を受け、生駒山中へと逃れる。周囲の者が止めるのも聞かず、「戦えば、新たに死者が増える」と言って斑鳩に戻り自刃して一族が果て、生駒山に埋葬されたとか。生駒郡は生駒山の東側を北から南へと流れる龍田川を挟んで生駒市⇒平群町⇒斑鳩町と続く。平群町は古墳があちこちに点在しておりその一つに平群町中央公園内に3段築成の正方形の方形墳「西宮古墳」がありある。これが山背大兄の王暮とも云われている。
(今日の歴史=646年この日の「詔(みことのり・天皇の命令を直接伝える文書)」に始めて日本文字を用いる)