聖徳太子建立の大阪・四天王寺は本格的な仏教寺院としては最古のもの。南北一直線に配置された飛鳥の伽藍方式を引き継ぐ。現在の中心伽藍は昭和34年に創建当時の様式に近づけて再建された。ここは大阪上町台地といわれる固い岩盤の南にあり、ここからは大阪湾が一望できたであろう。当時の使節団は難波の津に上陸したのち奈良街道を利用して大和の国に入った。奈良街道の入口(四天王寺)と中間点(法隆寺)を太子が押さえたことになり、それまでの蘇我氏と太子との関係が悪化する。山背大兄の悲劇が起こる原因はここにあるように思われる。高田良信著「法隆寺のなぞ」、「法隆寺の謎と秘話」、「法隆寺建立の謎・聖徳太子と藤ノ木古墳」。倉西裕子著「聖徳太子と法隆寺の謎」。大山誠一著「聖徳太子の誕生」。岡本精一著「飛鳥寺と聖徳太子」、橿考研発掘報告書「龍田御坊山古墳」「平群三里古墳」、その他関係Webサイトより抜粋、参考としました。(完)