みどり池の北側が東大寺の西面南門である西大門(国分門・こくぶんもん)跡。
門は平城京二条大路に面して開き、礎石もあり、
石碑も経っているが、やや北東が本来の門跡とみられる。
「金光明四天王護国之寺」の額がかかっているもんで、
東大寺の正門は本来この門だとされている。
現在、門跡とされる地には、一里塚跡のエノキの大木の枯れ株があり、
織田信長が一里塚の制度を設けた時、
松杉以外の「余の木」を植えよと命じたのを「えのき(ヨノキ?)」と
聞き間違えたと言う。
またこの地は東大寺境外の護神八箇所を祀ったとも、
また、修験道・聖宝(しょうぼう)が大峰山から追っかけてきた
大蛇を退治し埋めた地ともいう。
今日の暦:昭和21(1946)年、文部省が6・3・3制教育制度を決定。