《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

登り石垣の機能

2017年04月20日 | Weblog

「登り石垣」がどのようなものなのかを見るために、洲本城を再度訪れた。
登り石垣(竪石垣)は、秀吉の朝鮮出兵の際、
日本遠征軍の倭城築城で採られた防備手法と言われている。
朝鮮半島から帰った脇坂、加藤、吉川らが江戸時代初期にかけ山城等に築いた。
洲本城跡、彦根城、松山城、竹田城跡などで4か所で確認されていたが、
2017年に米子城跡でもおよそ高さ3㍍、長さ40㍍の登り石垣が確認された。
山の斜面を登り攻め込んできた敵兵は正面の石垣に阻まれ左右に展開しても
「登り石垣」に阻まれ広く散開することができない。
(画像はネットより拝借して修正、加筆)