《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

おのころ島探索「洲本城跡」

2017年04月05日 | Weblog

石垣の隅石、算木積みが完成される前の石垣を見ることが出来る。
また天守に登る階段は取り外されていて、今は登ることはできない。
「標高133mの山上に模擬天守閣があり、往時の城の石垣が残っている別名三熊城。
大永6(1526)年、三好氏の重臣・安宅治興が築城した。
1581年(天正9年)の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。
その後、脇坂安治が城主となり、天守が造営されるとともに、
石垣の大改修が行われ「倭城」での経験から「登り石垣」が築かれた。
大坂夏の陣の後、徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、家臣の稲田氏一族が城代となる」とある。
後に蜂須賀藩と稲田氏の確執がこの淡路島を徳島県でなく兵庫県に組する「元」となる。