月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

ゲゼルシャフト的出会い

2014-01-09 | 想い
小説しか読まなかった自分が、ライターになりたいと思うようになったのは、沢木耕太郎さんの本を読んだことが大きかったと思う。
人を優しい目で見る。とても優しい。
それが彼の書くノンフィクションに表れていて、読むたびにせつなかった。
「人の砂漠」「深夜特急」「壇」「彼らの流儀」「一瞬の夏」といった、初期の頃の作品は、今でも私のバイブル的存在だ。
おこがましい発言ではあるが、いつかこういうものを書けるライターになりたいと、そう願ったものだ。

私のそんな想いを書いたエッセイがある。
昔、自分のHPに発表していたものだ。
久しぶりに読んでみて、なんだかいい意味で「変わっていないな」と思えた。

※原文ママ。ただし、店名のみ伏せています。

*   *   *

第3話 ゲゼルシャフト的出会い

編集教室で勉強していたとき、「ルポ」を書くという課題が出された。
題材は何でもいい。
とにかく何か自分でテーマを決め、取材にあたる。
そして600字程度の文章にまとめて提出、というものだった。

私はすぐに「○○」さんを思い出した。
「○○」さんというのは、私が住んでる町内にある民芸品店で、陶器、ガラス、漆、家具、染物などを扱っていた。
昔から母がそこで器を購入していたので、私もよくついていった。その頃にはすっかり顔なじみの店だった。
なぜこんなところに……?と不思議になるほど、その店に置いてある商品は素晴らしいものばかり。値段もその分高かったが、本当に一流の作家さんのものばかりが並んでいる。
店主は女性で、話好き。
私は、こんなお店をどうして開こうと思ったのか、どうやってこんな作家さんたちを見つけてきたのか、いろいろ聞いてみたいと前から思っていたので、「ルポ」の題材を「○○」さんに決め、取材を申し込んだ。

「○○」さんは私の申し出を快く引き受けてくれ、生まれて初めての取材が始まった。
子供の頃から日本のものが好きで好きでたまらなかったこと、物は生活の中で使われてこそ美しいこと、高いお金を出しても本当に気に入ったものだけを買って、それを一生大事に使うことの素晴らしさ……。「○○」さんはそんないろいろな思いを話してくれた。
帰ると初めてのルポを書いた。
それは自分では決して悪くないように思えた。
「○○」さんのこだわりの強さと深い思いが表せたように思い、私はとても満足した。

数日後、私はわくわくしながらその文章をもって「○○」さんに行き、読んでもらった。
しかし、その反応は私が思っていたようなものではなかった。
「私って、こんなに厳しい感じがするのね」
と「○○」さんは言った。
「上手に書けている」
そうも言ってくれたが、私には初めに言われた言葉が忘れられなかった。
その時、初めて知ったのだ。
私の書く文章は、「強い」。よく言えば、「まっすぐ」というところか。しかし、何でもただ「まっすぐ」に書いたのではダメだ。もちろん「ウソ」を書くのもダメだ。
取材をするということは、「何を書いてほしいのか?」相手からそれを引き出すという作業でもあるのだ……
「書く」ということ以上に、私は「取材」の難しさに直面した。

これは、その後、ライターになってからも、私の1番の課題だった。
ごくたまにだが、取材相手からクレームが出る。
「確かに取材の時にはそう言いましたけど……、でも書かれるとちょっと……」
そう言われると、なんだか相手の触れられたくないところに触れてしまったような気がして、本当に申し訳なく思った。
何をどう書けばいいんだろう……。あの人は、何を書いてほしかったんだろう……。
私はいつも悩んでいた。
また、「かおりちゃんの文章はきついよね」「はっきりしてる」、そう仕事仲間に言われることもたびたびだった。
自分では思いを込めて、優しく書いているつもりでも、気づけば文章がきつくなっている。
もしかしたら、それはいびつな自分自身なのかもしれなかった。

 ★    ★    ★   ★    ★    ★

「○○」さんに取材をさせてもらってから6年が経った。
その間、数え切れないほどの取材をして、記事を書いてきた。
ある日、「○○」さんは私に「○○通信」という、お店からお客様に送る通信を作ってほしいと依頼してきてくれた。
願ってもない話だった。ノーギャラでもやりたいくらいの仕事だった。そこで二つ返事でOKした。

そうして、創刊号の発行に向けて、「○○」さんと二人で相談を始めたのだが、まだ最初ということもあり、あまりイメージもわかず、書いてほしいと言われた内容は少し分量として乏しかった。また、お店の宣伝みたいになってしまうのも嫌だった。
「○○」さんは作家さんたちととてもよい関係をもっている。そして、よいものに対する情熱がある。日本の民芸品を守りたいという気持ちがとても強い。その情熱があるからこそ、舩木倭帆先生や柴田雅章さんのような、世界に通用するような作家さんの作品を個人で仕入れることができるのだ。
私は「○○さんの気持ち」を書きたかった。
それで、なんとなく会話の中に出てきたことをメモっておき、それから作家の佐藤けいさんとのやりとりのFAXを見せてもらい、勝手にこんな文章を作成した。


佐藤さんと私が出会ったのは、もう19年も前のことになります。
私もまだ「○○」を始めたばかり。佐藤さんもまだ若く、お互いが試行錯誤の段階でした。だから、佐藤さんとは一歩ずつ一緒に歩んできたような気がします。気のおけない、言いたいことを言い合える人でもあります。
つい先日、佐藤さんとFAXでやりとりをしていた時、こんな言葉をいただきました。
「私の人生の<ゲゼルシャフト的出会い>の最も大きな出会いは「○○」さんと「麦屋」さんの2つだと思っている。お金になるということはありがたいが、それ以上に私の仕事を本質的に理解してくれている」
<ゲゼルシャフト的出会い>というのは、親・兄弟・友人のような出会いのことではなく、社会に出てからの利害を伴った仕事上の関係のことを指すのだと言います。「人生の評価」は「仕事の評価」と言ってもよいと、仕事を大切に思っている佐藤さんが「○○」との関係をそのように言ってくれたことを本当に嬉しく思います。これからも共に成長していきたいものです。


「○○」さんは、これを読み、そして私にこう言ってくれた。
「かおりちゃんは、優しい文章を書くのね」

私にとって、これほどの賛辞はなかった。
「○○」さんは、何気なく言ったのだろうし、前に言ったことはもう忘れていたと思う。だけど、私にはどんなふうに誉められるより、「優しい文章を書く」と言われることが嬉しかったのだ。本当にほしい言葉だったのだ。
6年の間に、数え切れないほどの人と接し、話を聞き、勉強させてもらった。少しだけ社会人らしくもなった。それはちゃんと私の肥やしになっていたのだと思う。

また、仕事をしてから、急に「○○」さんは私を「お客様」ではなく、「仕事相手」として見てくれるようになった。
仕事にはとても厳しい人である。
だからこそ、「自分の仕事を認めてもらえたのだ」と思うことができた。

<ゲゼルシャフト的出会い>……、ドイツ語で、利害を伴った関係のことを「ゲゼルシャフト」と言うらしい。
私には佐藤さんがこの話を「○○」さんにした理由がとてもよくわかるのだ。
親・兄弟・友達・恋人……、世の中に大事な人はたくさんいる。
そんな人たちは、無条件に私を応援してくれる。
だけど、仕事を自分の人生だと考える者にとっては、利害を伴った関係でありながら、自分を求めてくれる人の存在ほどありがたいものはないのだ。
佐藤さんはまだ認められない時代、20年前に「○○」さんに認められ、今もよい関係を続けている。
世の中の誰も自分の作品を認めてくれないとき、「お金を出しても欲しい」と言ってくれる人がいたということは、どれほど嬉しかっただろう。友達が「あなたの作品はいいね、素敵だ」と言ってくれるのとはまた違う大きな喜びだったに違いない。

私もたくさんの友達がいて、何より大事に思っているが、仕事をしていく上での<ゲゼルシャフト的出会い>を求めている。
いつか私の書いたものを「お金を出しても読みたい」と言ってくれる人が現れることを信じて……。
そのためにも、もっとたくさんの人と出会い、話をし、優しい目で人と人生を見つめたいと思う。

*   *   *

文体とか、考え方とか、何も変わっていないなぁ。私は私だ。
ライターを始めて6年ということは、30歳くらいのときに書いた文章か。
あれから10年以上。
私はちゃんと人を優しい目で見て、優しい文章を書けているのだろうか?

あれからいくつかの<ゲゼルシャフト的出会い>があった。
人との出会いが自分を育ててくれた。時には反面教師的にも。

私はちゃんと歩けているか?
私は間違っていないか?
私は書きたいものを書けているか?

(シェリー的に。わかる人だけわかればいい)