140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

貧しき人々

2009-10-22 20:18:13 | 
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厚生労働省は20日、国民の経済格差を表す指標である「相対的貧困率」を初めて発表した。
平成19年は15・7%で、7人に1人が貧困状態という結果。
算出を行った10年以降で最悪となった。
相対的貧困率は、一家の収入から税金やローンなどを除いた自由に使える「可処分所得」を
1人当たりに換算し、高い人から順に並べた場合の中央値の半分に満たない人の割合を出したもの。
最悪の水準となった19年は、年間所得の中央値が228万円で、
相対的貧困率の対象となるのは所得が114万円未満の人。この比率が15・7%を占めた。
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一人当たりの可処分所得が114万円未満であれば「貧困」らしい。
うちも「貧困」かな?
えへへ・・・

景気が底を打ったとか景気回復の兆しが見えるとか言われて久しい。
一方でEU・米国・日本の失業率は高水準のままで今後も上昇する気配がある。
競争率を高めるために固定費つまり人員を削減することがまかり通っている。
そしてようやく日本は「貧困率」を公表した。
自民党政権下では「貧困はない」とされていたので一定の進歩があったと言える。

一昔前の「1億総中流」と呼ばれた頃の社会のあり方には
個性がないという批判が込められてはいたが
所得の分配という面では今より平等な社会だったと思う。
今はリストラをすると企業の株が上がるような世の中だ。
日本なんか人口が減少しているのに職がない。
私も失業したら雇ってくれるところなんてないだろう。
結局は資源のない国でなんとか一生懸命やってきたのだけれども限界が来た。
一部のIT業者を優遇することで経済が活性化しないか試してみたが
それは単に一部のIT長者を生み出しただけに終わった。

もはや私たち自身には未来を築き上げる力がないようにさえ思えるのだ。
そして現状をひどくするばかりでなく
国債という形で次世代にも多くの借金を背負わせる私たちには
もう何も出来ることはないのだろうか?
・・・まだ教育が残されている。
私たちが出来損ないの世代であったとしても
その誤りを認めて次の世代に伝えることが出来ると思う。
そして私たち自身は人を固定費としてしか見ない社会のあり方を許してしまったことを反省し
「1億総中流」の良かったところを思い出した方がいいだろう。

しかし現実は厳しい。
出世欲に捉われた生き物が多数棲息する自由主義経済で
「貧困」や「平等」を語るものなどいない。
飼い慣らされた既存の労働組合を変えなければならないのかも知れない。
政権交代したけれども問題が山積みで将来像が全く見えない。
高速道路無料とかこども手当てなんて取り下げてもいいので
「貧困」をなくすことを優先してほしい。

しかし貧困とは対照的に「富裕層」も存在する。
私は犬を散歩させている人を見ると「この人は富裕層だな」と感じる。
私なんて犬飼えるような家には住めないからね。
「富裕層」があるから「貧困層」があるのだろうか。
強欲な連中がいるから「固定費」を絞られたワーキングプアーの貧困層が出てくるのだろうか。
歴史で学んだ「資本家による搾取」みたいなことが今も起きているのだろうか。
私たちは今を生きることで精一杯で自分の都合しか考えないことが多いのだが
将来を考える余裕なんてなく、将来に何も望んでいないのだろうか。
そして富める者は富を増やすことのみ考え
貧しき者は今日を生きることのみを考え
結局は誰の頭の中にも将来像なんてないのだろう。

「貧しき人々」はドストエフスキーの処女作。
彼の作品の中では短い方だ。

夢みたあとで

2009-10-16 06:18:03 | 音楽
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ユメヲミタアトデ
君はまだ遠くて
気持ちだけ先走って空回り
花の雨が降るこの道は変わらず
腕を絡め歩きたいな
(GARNET CROW/夢みたあとで)より
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桜の花が降りしきる中で
隣りを歩く君と僕の距離は縮まらない。
腕を絡めるほどの距離には埋まらない。
二人を隔てる微妙な距離は変わることはない。

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朝が来るたび君のことを想う
一日の始まりさえも切なくて
二度と戻れない?無邪気な二人
ただ傍にいれば幸せだった。
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喪失感は記憶として定着する。
もう誰も隣りにいないし
切なさを感じる必要もないのに
何故か一日の始まりは切ない。

だが喪失感さえも失ってしまったら
もう何も残らない。
だから今の僕には
喪失感さえ愛おしい。

無邪気な僕らは確かにそこにいたのに。
ただ隣に君がいるだけで僕は幸せだった。
それだけで幸せだった。

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望まなければ失わないのに
求めずにはいられないよ
どんな未来がこの先にあっても
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望んだ結果失う。
求めた結果失う。
大切な人を失う。
望んだ未来は得られなかったけれども仕方がない。
そういうことは人生にはよくあることだ。
でも望んだことはそれだけだった。

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ユメヲミタアトデ
君はまだ遠くて
気持ちだけ先走って空回り
花の雨が降るこの道は変わらず
腕を絡め歩きたいな
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ミニ氷河期

2009-10-14 04:29:01 | 科学
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太陽の活動が200年ぶりの低水準にまで落ち込んでいる。これまでのパターンだと
再来年には活動の極大期を迎えるはずなのに、活発さの指標となる黒点がほとんど現れない。
研究者も「このままだと地球はミニ氷河期に入る可能性がある」と慌て始めた。
国立天文台は今月下旬に研究者を集めた検討会を開く。

太陽の活動は約11年周期で活発になったり、静穏になったりというパターンを繰り返している。
活動ぶりの指標が表面にシミのように見える黒点。黒点の周辺では爆発現象が多く起こり、
黒点が多いほど、太陽の活動が活発だ。

太陽活動には数百年周期の変動も知られる。17~18世紀には約70年間、黒点がほぼ消え、
欧州では英国のテムズ川が凍るなど「ミニ氷河期」に陥った。
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地球温暖化じゃなかったの?
そういえば今年の夏はやけに過ごしやすかったような気がする。
しかし45億歳ぐらいの太陽が200年や11年という短い間隔で活動を変化させるというのは不思議だな。
遠くの天体のこともよくわからないが近くにある太陽のこともよくわかっていないみたいだ。

それから「ミニ氷河期」と「氷河期」の違いもよくわからない。
今は氷河期と氷河期の間の間氷期と考えられているようだけれど
氷河期が何故起きるのかとか次の氷河期がいつになるのかとか全然知らない。

氷河期とは違うが「雪球地球(Snowball Earth)」というのを本で読んだことがある。
雪球地球は地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた状態をいう。
何かの原因で北極や南極の氷の部分が増えると太陽からの光を反射する割合が増える。
そうするとますます冷えて氷の部分が増えて
ついには赤道付近まで氷床に覆われてしまうという現象だ。

さてこの状態になった地球はどのようにして元の姿に戻るのか?
実は火山が出す温室効果ガスにより暖められて氷が溶けるかららしい。
温室効果ガスもたまにはいいことをするようだ。

人間が環境を破壊していてその代表が温室効果ガスのように言われているけど
本当は熱帯雨林の減少やアラル海の消失などの環境破壊の方がひどいと思う。
でも今は25%削減すれば環境問題が全て解決するような雰囲気だな。

恋することしか出来ないみたいに

2009-10-13 05:39:40 | 音楽
愛とは何かという古い命題に取り組む。
生物が多様化を目的として無限に近い遺伝子の組み合わせを作るため
性というシステムを取り入れた。
雄と雌が求め合う発情期がその起源と言ったら
あまり美しい話ではないな。

親の子に対する無償の愛も自分の遺伝子を引き継いだ子孫を
守るための行為と言えば
やはり美しい話ではないな。

それを美しいと思いたがる気持ちは何なのだろうか?

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僕は君と出会い
ただ愛おしく
君が誰をみてるとしても
変わらずに大切にしてゆこうって思えたんだ
どんな形でも
(GARNET CROW/恋することしか出来ないみたいに)より
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そういう気持ちはなんとなくわかる。
その正体は何なのかはよくわからないけど。
ただ自分の気持ちを(そして記憶を)大切にしてゆこうと考える。

愛することができる人は幸せだとよく言われる。
愛されることではなくて愛することができる人が幸せなのだ。
それがわかっているから・・・

そして愛されることのなかった僕は歌を聴いて記憶を呼び覚ます。
愛することはできたことを確認するために。

やっぱりよくわからない。
愛なんて一生かかっても理解できそうにない。

fill away

2009-10-08 06:51:56 | 音楽
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抱きしめあって満たされるほんのひと時だけは
痛みなら真っ直ぐに心突き刺してしまうのに
ねぇはじめから傷つけあう為に生まれたんじゃないと
思っていいでしょう?
Please keep me in mind.

いつかは今日 本当だと思うものが嘘になる
帰り際振り返ればどれだけのものをなくすだろう
ねぇ重ねあう時の中で互いに何かにするのなら
もっと近くに感じて
Please keep me in mind.
so...We can fill away.

(GARNET CROW/fill away)より
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私を覚えていて・・・
いつかは消えてしまう哀しさあるいは愛しさを語ろうとする時
あるいは死を覚悟した時
他に何を言っていいのかわからない。
私自身もそう思っているし
あるいはあなた自身もそう思っているかも知れない。

傷つけたくて傷つけたわけじゃない。
気が付いたら傷つけてしまっていた。
次からは気を付けようと思っても
同じことを繰り返してしまう。

私自身に悪意はないと信じたいが人は自分の都合しか考えないものだ。
いつの間にか誰かをひどく傷つけてしまう。
あるいは自分がひどく傷ついている。
そして一度傷ついてしまうと元には戻らない心があることを知る。
でもお互いに同じことをしてしまっているのだから
自業自得で因果応報・・・

そんなことをするために生まれてきたんじゃない。
でもそんなことを繰り返している。

そして人の記憶はシナプスの強度やニューロンの結合の変化により変えられてしまう。
ある時点では本当と思っていたことも時を経て嘘になる。
それを本当だと思っていた時には予測ができないものだ。
この先、自分がどのように変化していくなんて
いったい誰にわかるというのだろう。

それでも相手には変わらぬ何かを求めるというのは
少し都合の良すぎる話ではないかと思う。
それでもやはり私のことを覚えておいてほしいのだ。
他に何を言っていいのかわからない。

脳研究の最前線(5)

2009-10-07 05:36:57 | 
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第9章 精神疾患から脳を探る[加藤忠史氏]より
うつ病研究からは、ストレスによって、脳内の神経細胞が縮んでしまったり、
意欲や興味を取り戻すには、新しい神経細胞ができるまで待つ必要があるかも知れないなど、
これまで考えられなかったようなことがわかってきた。
統合失調症は、自我の機能を担う神経系の発達が障害される病気である可能性が考えられ、
躁うつ病は、気分を安定させるような神経系の細胞が、年齢とともに失われていく
病気である可能性が考えられる。
自我や気分を担う神経系が、どこにあるどのような神経系なのか、今後10~20年の研究で、
明らかにされていくだろう。
そして、きっとその頃には、精神疾患も肝臓や心臓の病気と同じような身体の変調であることを
疑う人はいなくなっていることだろう。
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この章も専門的で難しい。
ただ著者が冒頭に触れていることだが、脳に対する理解は病気の存在によって進んできた面もある。
そこで病気の治療法が見つかるとともに
「自我や気分を担う神経系が、どこにあるどのような神経系なのか」が明らかにされていくことに
期待したい。

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第10章 ロボットから脳を読み解く[谷淳氏]より
ロボット工学は、脳モデルを身体とその環境へとカップリングするための実験プラットフォームを
与えてくれる。
内部の神経ダイナミクスと外的な物理世界とがカップリングした複雑なロボット実験では、
実験者が当初想定していなかったような現象に行き当たることが往々にしてある。
そしてそういった現象の中にこそ、原理の可能性が潜んでいる。
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この章もさっぱりわからなかった。
何を実験しているかの説明が素人に理解できるものになっていない。
グラフの複数の曲線が何を示しているのかとか、そもそも何を「活性値」と呼んでいるのか
そういった配慮がない。
ここでは行為の学習がいかにしてなされるかを説明しているようだけれど
実験結果から行為の学習に関する神経回路が推定できるというわけでもない。
ただ入力がキーボードで出力が画面のコンピュータとは異なり
目や手足(感覚器官と運動器官)を持つロボットの研究が
私たち自身を知ることにつながるかも知れない。

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第11章 快楽が脳を創る[中原裕之氏]より
ドーパミン神経細胞の反応を利用した脳の学習としては、その状況での報酬予測のレベルをあげ、
そのときに選択された行動をより頻繁に選択するように脳活動を変化させていくのが
(神経細胞間のシナプスのつながりが強くなる)望ましいということになる。
ドーパミン神経細胞の活動は報酬予測誤差(予測された報酬―実際の報酬)を表し
R(t+1)+kV(t+1)-V(t)で示すことが出来る。
ここでR(t+1)は時刻(t+1)で得られる報酬、V(t+1)、V(t)はそれぞれ時刻(t+1)、時刻(t)での
状態の持つ価値関数
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快楽(報酬)により脳が学習を行っていくことを説明している。
そしてそれが情報処理であるからには数理的に記述できなければならないとしている。
(ここで記載されている数式は最も単純なものだ。)
脳が行う情報処理には愛情とか信頼も含まれる。
それがどのような数式になるかはよくわからないが実際に私たちの中では
そういうことが起きているのだと思う。
心を数理的に表現するというのがどのぐらい大変なことなのかわからないが
コンピュータの理解だって回路やアルゴリズムでしか理解できない。
それを適当な単語を並べて理解するというのは本質的な理解とは言えない。
しかしいつになったらそこに辿り着けるのか途方もない目論見だと思う。

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第12章 脳は理論でわかるか[甘利俊一氏]より
パーセプトロンは、技術としては革新的であったが今は当たり前、しかも本当の脳では
このような形では学習が進んでいないということで、その生命を終えたのであろうか。
それは違う。
パーセプトロンは、高次元への符号化と学習能力という点で、普遍的な意味を持っている。
この仕組みを理論的に昇華して、その意味を考えるのが理論の役割である。
ここに数理脳科学の出番がある。
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パーセプトロンというモデルを使って脳における情報の判別や学習(重みづけ)について説明している。
それほど難しいモデルではないので本に載っている図を見れば理解できると思う。
しかし脳というのは私たちの知らないところで、すごい数理を使っているのだと思うと不思議だ。
私たちが理解してもしなくても、その仕組みに従って動作している。
しかもその動作によって「心」が生じる。
まあ知らないのは脳だけじゃないけどね。
消化の仕組みも知らないし呼吸の仕組みも知らない。
でも一番知りたいのは、やっぱり脳のことだ。
今では「考える」とはどういうことなのかという最大の疑問に脳科学は挑戦している。
それに比べて、哲学や思想は、道具としての科学や情報処理技術についていくことが出来ず、
とり残されてしまっているように思える。
ニーチェは「神は死んだ。」と書いたが
今や「哲学は死んだ。」ように思える。

本当にそうだろうか?
実は脳科学の方が壁にぶつかっているのではないだろうか?
意識・心・私・・・・・
それを理解するための手段を持たないままで
暗闇を進んでいればいつか何処かに辿り着くだろうという
根拠のない希望を持っているだけのような気がする。

脳研究の最前線(4)

2009-10-06 05:24:58 | 
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第7章 アルツハイマー病を科学する[西道隆臣氏]より
そして、ほぼ全ての人間が、十分に長生きすれば、アルツハイマー病を発症する宿命にあることが、
最近わかってきました。
65歳以上で1割、85歳以上で5割、100歳以上で9割が認知症を患っていると報告されています。
「アルツハイマー病はAβ蓄積によって引き起こされる」という仮説が支持されています。
(Aβ:アミロイドβペプチド)
アルツハイマー病におけるAβ蓄積の原因はまだ明らかではありません。
Aβ蓄積が神経原線維変化や神経変性を引き起こすメカニズムも不明です。
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かなり専門的な記載内容であり、ほとんど理解できなかった。
ただ思うのはアルツハイマー病は平均寿命が延びたことによって
問題視されるようになった病気だということだ。
平均寿命が延びてガンやアルツハイマー病が問題視されるようになって
その治療法が研究されて、さらに平均寿命が延びたら、また別の病気が問題視されるだろう。
いったい人間は何歳まで生きたいのか?何歳まで生きたら満足なのか?
「永遠に」生きたいのだろうか?

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第8章 つながる脳[藤井直敬氏]より
私たちの考えは、言うまでもなく頭の中、すなわち脳の中にあります。
外部の機械と脳をつないで脳の中にある考えや願望を読み解こうという手法が、
近年メディアでよく取り上げられるようになったBMI(Brain Machine Interface)という手法です。
脳から脊髄を通して手や足などの運動を制御する場合、脊髄にもっとも近い脳の運動領野は、
一次運動野と呼ばれる部位です。
この一次運動野は、脳の内部に生じた運動の情報を読み取るには最適の部位であり、
またこういう動きをしようという行動の意思が反映されやすい場所だと言えます。
・・・サルを用いて、その一次運動野の神経活動から腕の運動情報を抽出し、
その運動情報をもとに、サルの行った腕の三次元運動の軌跡をロボットアームで再現するという
驚くべき報告を行いました。
今までは、自分の頭の中にだけしまっておいて、誰にも触れることの出来なかった脳内部の情報が
外部に漏れてしまう可能性があるとしたらどうでしょう?
そして、その情報が個人の嗜好情報として外部で取り引きされ、各個人に向けたマーケティングに
使われるとしたら?
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ラットやサルを用いた実験では考えただけでモノが動かせるということが出来るそうだ。
「ホンダ脳インターフェイス(2009/7/16)」では
「人間が考えていることを脳波や脳血流など脳の情報から読み取る」ことを紹介したが
本当に「脳波や脳血流」から読み取ることが出来るかちょっとあやしいと思った。
上記の実験では脳に電極を埋め込んでいる。
一次運動野には動かそうとする体部位が連続的に表現された地図があり
そこに電極を埋め込むことによってBMIを可能にしている。
そしてBMIを活用して頚椎損傷患者の運動機能を回復しようとする実験もはじまっているそうだ。
ただし「考え」や「願望」を読み取るのはよいが、読み取られて悪用されたり、
電極の操作を他人が行うことで身体を勝手に動かされるという可能性がある。
そういう危険は回避できると言い切れるだろうかと思った。

脳研究の最前線(3)

2009-10-05 06:46:13 | 
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第5章 脳はどのように認知するか[田中啓治氏]より
私たちは日常生活の中でいろいろな感覚情報を絶えず受け続けているが、行動に影響を与える、
または記憶に蓄えられる情報はその中のごく一部である。
選択的注意という言葉は、受容される情報の一部が選ばれ、処理が促進され、行動や記憶など、
より深い処置に入っていく課程全体を表している。
視覚および認知が意識的になるのは目の前の状況に対して統一した理解を作り、
行動を一つにするためであるという考えがある。
行動における競合を避けるためには感覚入力の統一的見解が必要であり、
これこそが知覚における意識の機能上の起源であるという論理である。
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意識の起源については、養老孟司氏の「「私」というのは自己同一性であり
唯一無二の身体(個体)を制御している唯一無二の意識である「私」である」という考えと同じだと思う。
今のところそう考えるしかない。私たちは「意識が生じた場面」に遭遇したことがないのだ。
感覚入力と行動を持つロボットが発展していくと意識を持つようになるのだろうか。
ロボットが自分の目や手足を自分が制御していると思うようになるのだろうか。
興味深い。

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第6章 脳はどのように情報を伝えるのか[深井朋樹氏]より
脳が情報処理を行っているのは間違えないようのない事実です。
そのため、脳がどのように情報を表現しているかということは、脳機能を理解する上での
基本的な問題です。
ニューロンに電気的な刺激を連続して入力すると、
刺激の強さが一定の値(閾値)を超えることがあります。
このとき、活動電位と呼ばれる時間幅の非常に短いスパイク状の電位を発生します。
これらのスパイクがニューロンの回路による情報の表現や伝達において、
重要な役割をはたしているものと思われます。
ニューロンという素子の信号処理の性質と、神経回路による計算がうまくかみ合うことで、
脳という生物システムの素晴らしい情報処理能力が生まれるのです。
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ここではニューロンの同期発火などについて説明されているが
解剖学や電気生理的な研究方法だけでは、何千、何万もある皮質ニューロンの配線パターンを
明らかにすることは難しいということで「神経回路」については何も説明がない。
そして「仮説主導型の研究が求められています。」で終わっている。
脳が情報処理を行っているとは言っても私たちが知っているレベルの情報処理とは
ハードウェア的にもソフトウェア的にも全く異なるものなのだろう。
「仮説」と言ってもそう簡単に出てくるわけでもない。
結局は私たちの知っている情報処理のレベルを上げていくしかアプローチの方法がないのでは
ないかと思う。

脳研究の最前線(2)

2009-10-04 07:46:58 | 
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第3章 知性の起源[入來篤史氏]より
野生動物は、その過酷な生存環境の中で生命を維持するために、「状況」「主体」「行為」という
構成要素を一体化させてきました。そして、それらをほとんど自動的にかつ効率的に利用するために、
「行為」を行う主体と客体を不可分なものとして「意思」や「心」を想定することなく、
自然現象の一部として、「行為」を発現していました。
しかし、様相が一変したのは、ヒトの祖先が、外界の事物を手に持ち、そえを身体の延長として
動かそうと、道具の使用をはじめたときでした。
このとき、道具が身体の一部となると同時に、身体は道具と同様の事物として「客体化」されて、
脳内に表象されるようになります。
自己の身体が客体化されて分離されると、それを「動かす」脳神経系の機能の内に独立した
地位を占める「主体」を想定せざるを得なくなります。
その仮想的な主体につけられた名称が、意志を持ち感情を抱く座である「心」というものでは
ないでしょうか。
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道具の使用により「主体」つまり「心」が生じたと説明している。
それまでの動物には「動かす」ものがなく「動く」だけだったので「心」は不要だった。
そう言われるとそういう気もするが「心」の説明としては弱いと思う。
「主体」が「動く」場合でもヒトの「心」に似たようなものが生じると思う。
犬には犬の「心」、猫には猫の「心」があるのだと思う。
「知性の起源」というタイトルも過剰な期待を抱かせるが十分な答は用意されていない。
しかし道具の使用による手先の発達は脳の発達と強い相関があるのだと思う。

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第4章 言語の起源と脳の進化[岡ノ谷一夫氏]より
ホモ・サピエンスに直結する種は、歌をうたう霊長類であったのだろう。
そのような種では、双方向的な性淘汰により、すなわち、オスがメスを選び、
メスがオスを選ぶことで、雌雄ともに歌をうたっていた。
歌を学ぶことで大脳全体が大きくなり、その他の認知機構全般が発達した。
当初求愛の文脈でのみ用いられていた歌は、さまざまな場面でうたわれるようになった。
ある文脈でうたわれる歌と他の文脈でうたわれる歌との間に共通部分があるとすれば、
その部分と、文脈どうしの共通部分が相互に文節化され対応するようになる。
(文節化していく課程で、単語と文法が同時に生ずるのだと考えられる。)
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ジュウシマツのメスは複雑な配列を好むという特徴をもっていて
ジュシシマツはオスとても複雑な歌をうたっているそうである。
そういう性淘汰が働いている。
ヒトの祖先も歌をうたって双方向的な性淘汰により歌が複雑になっていった。
そして他の認知機構全般が発達することで歌は求愛だけでなく獲物を見つけたとか
敵がきたとかさまざまな場面でうたわれるようになった。
この歌が漠然とした意味に分解され、さらに漠然とした意味が単語や助詞に分解されることで
言語ができたという。
そうするとジュウシマツもいつか言語を持つようになるのだろうかと突っ込みたくなる。
しかし求愛から言語が生まれたというのもロマンティックな話ではないかと思う。

脳研究の最前線(1)

2009-10-03 08:40:07 | 
脳研究の最前線という本を読んだ。ちょっと長いので数回に分けて紹介します。
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第1章 脳のシステム[伊藤正男氏]より
われわれは、食物をとることで、脳の細胞の一つ一つにエネルギーを供給しています。
そいう細胞が自発的に活動すると、気体分子一つ一つの運動が全体として上昇気流をもたらすように、
神経ネットワークにも方向性のある活動のパターンが生じる。
そのパターンが、風がゆらぐように、変化することで、意識や能動的注意の切り替わりが
生じるかもしれません。
「意識」の神経メカニズムは人間を理解する上で本質的なテーマですが、まだほとんどわかっていません。
神経科学のみならず、さまざまな学問分野からのアプローチを結集することがその解明には必要です。
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脳のはたらきを以下の役割に分けて説明している。
[運動実行部隊]
役者0:脳幹・脊髄
役者4:大脳皮質の運動野
役者5:大脳皮質の補足運動野
役者6:大脳皮質の運動前野
[運動調整班]
役者7:小脳
役者8:大脳基底核
[感覚情報処理班]
役者1:大脳皮質の初期視覚野
役者2:目に映る物体が何であるかの処理(「何?」経路)
役者3:目に映る物体がどこにあって、どういう動きをしているかの処理(「どこ?」経路)
[取締役]
役者9:大脳皮質の前頭前野
脳の説明というよりは制御システムの説明だ。(PID制御と同じような図が出てくる)
ただ「注意」とか「意識」といった途端に何も説明できなくなってしまう。
そこで引用した文章に記載してあるように「食物をとること」や何か他のことをすること
あるいは何もしないこと(お腹が空く)によって身体や脳の状態が変化し
何かをしようという意識や注意が発生するかも知れないという気がした。

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第2章 脳の進化と心の誕生[岡本仁氏]より
いったい心とは何でしょう。「心」は「情」と「知」から成り立っています。
ここでいう「知」とは、周囲の状況に対する認知をさします。
また「情」は、周囲の状況に対する価値判断をさします。
これらの心の二つの要素は、私たちがおかれた状況ごとに影響を及ぼしあって、その結果、
私たちは"こういう体験をして大変楽しかった"とか、"ああいう体験をして苦しい目にあった"と
いうふうに、経験した出来事に対し、自分にとっての情動的価値判断を付加した情報を、
脳の中に、記憶として蓄えていきます。
これらの情報は、海馬と扁桃体を介して脳に入力されます。
このような"情動的価値判断を伴った記憶の集合体"は、人それぞれに特有なもので、
"自伝的自我"とよばれる人格の基礎を形作ります。
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脳の進化で脳の初期神経回路網は種を超えて保存されていることが説明されている。
つまり私たちの脳は新しい部分が付け加わったのではなくて
どの脊椎動物にも共通の脳の各部位の大きさや形が変わっただけらしい。
そういうことが遺伝子の研究によって明らかにされたそうだ。
「心」のことについては引用文にあるように「情」と「知」から成り立っていて
「情」と「知」はそれぞれどういうものかを定義しているだけに終わっている。
そして行動プログラムの選択や書き換えと情動的価値判断の情報との関係を説明しているが
「なぜ行動制御のプログラムとして働けるかという根本的な問題を
説明するには理論科学者の力が要ります。」と書いて締めくくっている。
それはちょっと無責任じゃないのと思った。
しかし難問であることは確かだ。
私たちは自分の「心」が誕生した時のこともよく覚えていないのだ。
そのあたりに解決の糸口があるかも知れない。