140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#76グリーグピアノ協奏曲/春の祭典

2018-01-21 22:02:45 | 音楽
第453回定期演奏会
ベルリオーズ: 序曲『海賊』作品21
グリーグ: ピアノ協奏曲イ短調 作品16
ストラヴィンスキー: バレエ『春の祭典』

いつもはスカスカの三階も、ほぼ満席といった感じだった。
特にグリーグのピアノ協奏曲を聴きに来た人が多かったのではないかと思う。
ピアノ協奏曲の中でも人気があり、クラシックの入門曲を集めたベスト100の中には必ず入るだろう。
子供時代を過ごした家のリビングの妙に場所を取る古いステレオ装置の収納ラックにもこの曲のLPが入っていた。
ベートーヴェンの運命とかシューベルトの未完成とか、メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とか、
リムスキー・コルサコフのシェエラザードとか、そういう曲を収めたLPといっしょに収納されていた。
劇的であり、華麗であり、甘美であり、ラフマニノフにも増して郷愁をそそり、独奏もオーケストラとの掛け合いも申し分なく、
ピアノ協奏曲の魅力のあらゆる要素を兼ね備えているのではないかと思う。
この曲はシューマンのピアノ協奏曲と同じ調性であり雰囲気も似ているということでよく比較されるということだ。
私は加齢と共にシューマンを聴く機会の方が増えているように思う。
オリジナリティを嗅ぎ分けるほど、私の耳と感性が良いというわけではない。
古典的な作風であれば類似して来るのは避けられないのかもしれない。
芸術家にとっては模倣は恥辱に違いなく、決してそんなことを認めはしないだろうが。
ブラームスは初めての交響曲をベートーヴェンの第九に似ていると言われて憤慨したそうだし、
そもそも創造的な自由な精神というのも、私たちが勝手に想像している幻影かもしれない。
作品は記号の並びであり、それは記号を解釈する感性的諸要素の複合体である人間によって、
もっと違った記号の並びに再構成されるものであって、そこに作品を真似ようなんて意思が働くはずもない。
でもどうだろう。商業的な音楽はパターンが研究されていて、同じような手順で曲が作られ、
おそらくはAIに作曲させても商業的な成功は実現できそうだ。その胡散臭さはなんとか排除したい。
演奏が終わると、両隣の席の人は一生懸命拍手をしていた。
演奏会慣れしていない人の拍手。精一杯、自分の感動を伝えようと、周りにかき消されないよう、
自分の手のひらの音を、自分で聞き取れるほど激しく打ち付ける拍手。そんなに力を入れなくてもよいのに。
あなたの感動は人に見せるためのものではなくて、あなたのためのものだから、
あなた自身のためのものだから、そんなに力を込める必要はありませんよ。
その気持ちが長続きするよう、もっと力を抜いた方がよいですよ。
なんかいろんなところで感動が求められているような気がする。
人生の残り少ない時間の有意義な過ごし方であったり、仕事で忙殺されている人々の人生を豊かにするための小道具であったり、
そういうのって好きじゃない。だからしんみりとシューマンのピアノ協奏曲を聴いている。
クララの演奏で食わせてもらっていた作曲家の、
晩年は妻とブラームスが不貞を働いていたと疑っていた哀れな男の作品を、
しんみりと聴くのが好き。

春の祭典は、素晴らしい。初演から100年以上経過すると独創的な曲も広く受け入れられるようになる。
隣の人はあっさり帰って行ったが。