140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#120オネゲル交響曲第3番『典礼風』

2022-07-10 19:41:01 | 音楽
第503回定期演奏会〈オネゲル&ブラームス〉
オネゲル:交響曲第3番『典礼風』
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 作品90

「私がこの曲に表そうとしたのは、もう何年も私たちを取り囲んでいる蛮行、愚行、苦悩、機械化、
官僚主義の潮流を前にした現代人の反応なのです。
周囲の盲目的な力にさらされる人間の孤独と彼を訪れる幸福感、平和への愛、宗教的な安堵感との間の戦いを、
音楽によって表そうとしたのです。私の交響曲は言わば、3人の登場人物を持つ1篇の劇なのです。
その3人とは、「不幸」、「幸福」、そして「人間」です。
これは永遠の命題で、私はそれをもう一度繰り返したに過ぎません」
作曲家本人はインタビューにそう答えたのだと言う。

1945年から1946年にかけて作曲されたということだから、
第二次世界大戦という人類最大の愚行を目の当たりにした作曲家は深く思い悩んだに違いない。
「人間は愚かさを克服することができるだろうか?」
平和への強い願い、何物にも屈しない強固な意志、そんなものが何かの役に立つだろうか?
曲の進行から察するに手っ取り早く解答する気は作曲家にはないように思える。
そういう安直なことであったなら、第一楽章で課題を与え、終楽章で克服すれば良い。
ところがこの曲では愚かな行進曲が終楽章で現れ、曲を支配しようとする。
私は戸惑っていた。この行進曲はいったい何なのか? ひたすら破滅に向かって歩み続けているような気がする。
マーラーの交響曲第6番も破滅に向かって突き進んでいるように聴こえるが、それよりもっとおぞましい。
これが本当の私たちの姿なのだと突き付けられているような気がする。
本当にそうなのだとしたら私たちに決して勝利や幸福が訪れることはないだろう。
そしてその行進は何者にも打ち負かされることなく自然に静まり、平穏が訪れる。
これは平和への祈りなのだろうか? 
ただ祈りによってしか私たちは救われないのだろうか?