140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

カテゴリーについて

2011-08-27 00:45:45 | カテゴリー

最近は書いていないが過去の記事にApple関連のものが多いことがわかった。
それで「Apple」というカテゴリーを作ったのだが
こうしたネタは鮮度が命なので今読んでもあまり意味がないだろう。
むしろ読まない方が良いという意味でのカテゴリーを示している。
私は白のMacBookと第3世代iPod touch 64GBと第1世代iPad WiFi 16GBを保有しているので
Apple信者なのかもしれない。
そんなことを考えていたらジョブズ氏がCEOを辞任するとのこと
思えば彼が復帰する前のAppleは悲惨だった。
宿敵ゲイツ氏から援助を受けなくてはならない状況だった。
そんなわけで今後のAppleは再び迷走を始めるかもしれない。

「本」のカテゴリーを読んでもらえば私の執着していることがわかってもらえると思う。
宇宙の起源・生命の起源・心の起源に関する謎に少しでも近づきたい。
特に心という現象について少しでも知りたいという切実な思いがある。
しかしそれは解明されていないことだから実際には本に書かれていない。
それでも何かヒントになることを求めている。

「音楽」のカテゴリーでは好きな作品について感想を書いたり詩を引用したり
YouTubeへのリンクを張ったりしている。
ロックやポップはレンタルできるので保有しているCDはクラシックが多い。
一つしかない本棚に強引に詰め込んでいるのでどこに何のCDがあるか自分でも
わからない。そういう意味ではiPodは救いだったが64GBに収まらなくなった。
ピアノが弾ける人がマーラー・シェーンベルク・武満徹を全く受け付けないという
状況を不可解な気持ちで眺めていたりする。
なぜ音楽が得意でない私がシェーンベルクや武満徹に惹かれるのだろう?
おそらく私は読書体験で自分の偏見に嫌気が指したのだと思う。
偏見にこだわる限り何も受け入れることができないのでそれを破壊したのだ。
その余波が音楽にも波及したのだと思う。
学生時代にカフカを批判していた人がいた。彼が文学を理解することはないだろう。
そしてマーラーを批判していた人もいた。彼が音楽を理解することはないだろう。
私はそういった人たちを説得しようとは思わない。
私は自分の好きな作品について語るだけだ。

邦楽に関心を失くしてクラシックばかり聴いていた私はGARNET CROWに出会った。
詩と曲とアレンジとギターを彼らは融合させていた。
それは日本で初めての出来事であり世界的にも例がないと思う。
そういう意味で私にとってはビートルズよりも重要なグループということになる。
もちろん世界に向ってそんなことを言っても誰も聞き入れないだろう。
ベートーヴェンが好きな人にシェーンベルクの良さを説いても伝わらないように
ビートルズが好きな人にGARNET CROWの良さを説いても仕方がないのだ。
そんな私の基本的なスタンスは古典も否定しないし現代も否定しないことにある。
世界は肯定することで成り立っているのだ。

VOCALOIDという現象もなかなか興味深い。
それはアニメと同様にサブカルチャーと呼ばれるものかもしれない。
しかしそこには与えられたものに満足しないという意思が読み取れる。
産業に成り下がってしまったJ-POPに対する拒絶がある。
日本人はイカレてしまったのかと世界は考えるかもしれない。
武満徹もGARNET CROWも初音ミク(?)も日本人なのです。
単一の民族が恐るべき多様性を内在していたということでしょう。

そして「映画」のカテゴリーを作ったが映画はあまり観ていない。
松本人志の「大日本人」とか「しんぼる」は感想を書く気にもなれない。
それに「HANA-BI」が金獅子賞を取るぐらいだから
どちらかというとどうでもよい。
黒澤監督の「白痴」を観て映画が文学に及ばないことを実感した。
トラン・アン・ユン監督の「ノルウェイの森」も然り。
「羅生門(藪の中)」のような短編であれば映画化も良いと思うが長編は無理だと思う。
21世紀にあって映画には娯楽を追及するしか選択肢はないように思える。
それは音楽以上に産業であろうとするだろう。

あとは「科学」のカテゴリーを作ったがこちらも最近はあまり書いていない。
ファインマン教授は人間が研究分野を細分化することについて快く思っていなかった。
私もそのような立場で科学に接したいと思う。
全世界の膨大な人口を支えているものが科学であるなら
核兵器によりホロコーストを行ったのも科学による。
心のように科学的なアプローチでは解けないと思える現象もある。
宇宙の起源も科学では解けないだろう。
そこでは私たちの世界の物理法則が成り立つ保証がないのだから考えるだけ無駄だ。
しかし科学(たとえば量子力学)の語る世界は私たちの常識とはかけ離れたところにある。
粒子性と波動性を併せ持つということを私たちは知覚できない。
だが理論と観測結果は私たちに知覚できない世界観を認めるよう要請する。
科学とはわかりきったことではなくて不可解なことなのだ。