140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

ボヘミアン・ラプソディ

2019-02-09 23:37:54 | 映画
クイーンの曲には脆さが内在している。
私たちを惹きつけて捉えて離さない圧倒的な声量
ボーカルとピアノと華麗なギターの掛け合いに酔いしれながら
私たちは確実にその脆さを感じ取っている。
ロックのスケールが強大であるほどに人間の弱さが露呈することに熱狂し戸惑っている。
魂の叫びでありながら、肉体の躍動でありながら、計算されつくした音と
選び抜かれた言葉の中には、いつも人間の弱さが内在している。
音楽は異質な要素を同じ時空間の中に実現して見せる。
モーツァルト、ベートーヴェン、マーラー
音楽は美しい旋律だけではなく他の要素を取り入れて発展して来た。
それは憧憬であり、意志であり、美しさと醜悪さの同居であった。
ボヘミアン・ラプソディはクラシックとロックを融合させた曲として知られている。
新しいもの、それは何かと何かの組み合わせ。
私たちが扱っているものは記号であり、それは組み合わせにより成立している。
遺伝子が四種類の核酸塩基で一種類のアミノ酸を特定して、
その順列がタンパク質の構成を決定しているのと同じ。
動物の特徴的な形態、首が長い、鼻が長い、牙が鋭い、を決定しているのと同じ。
見える、聴こえる要素もまた記号の組み合わせにより差別化されている。
私たちはその記号の組み合わせのために一生懸命に工夫する。
心身が憔悴してしまうまで、その組み合わせのことを考え続ける。
そのことに骨を折った挙句、死んでしまう。
何もしていない時間から逃れようとして正気を保つためにアルコールやドラッグに溺れる。
何か新しいものを生み出すために費やされる著しい労力
帳尻は合っているのだろうか?
命を削ってまでそうしなければならないことなのだろうか?
私たちはその答えを知っている。
涙が頬を伝って流れ落ちる。

Nothing really matters
Anyone can see
Nothing really matters
Nothing really matters to me
Anyway the wind blows

アナと雪の女王(王子様とFROZEN HEART)

2014-08-26 00:05:05 | 映画
今日は簡単な謎解きについて書こう。
まず、王子様のキスは二重に否定される。
ハンスによって、そしてアナによって・・・
TRUE LOVE(真実の愛)がFROZEN HEARTを溶かすということでアナは逃げ帰るが
ハンスに拒絶されてしまう。
それまでハンスは善人であったが王子様のキスが期待されるシーンで豹変する。
「ハンスって悪い奴だったのか?」
あるいは善人のままの物語にすることも出来たのではないかと思うが
製作者の明確な意図によって、つまりは従来の路線を捨てるという意図によって、
まずは男が王子様のキスを拒絶する。
ハンスが愛していないことを知ったアナはクリストフを求める。
ハンスでないならば真実の愛はクリストフにあるのだと信じて歩き始める。
しかしアナは自分を助けてくれるかもしれないクリストフよりも
自分が助けなくてはならないエルサの方へと向かう。
ここで女が王子様のキスを拒絶する。
この物語では凍った心を溶かすのは王子様のキスではなくて別のものなのだ。
もともと原題はFROZENとなっている。
FROZENの反対の言葉としてOPENが用いられている。
エルサがFROZENでアナがOPENということになるのだろう。
OPENすべきものとしてDOORとかGATEという言葉が使われる場合もあるが
これはHEARTを象徴したものとなっている。
心を閉ざしているのはエルサなので心理的にはFROZEN HEARTはエルサのことだ。
だが魔法によってアナの心が物理的にFROZEN HEARTとなってしまう。
OPEN HEARTがFROZEN HEARTを解けるというアナの誤った思い込みによって
FROZEN HEARTは二重にロックされてしまった。
クリストフではこれを解くことは出来ない。
トロールですら無理なのだ。
アナがクリストフではなくエルサの方に向かったのは正解ということになる。
まずは彼女自身が盾となり献身的な愛を示すことで物理的なロックを外す。
彼女のOPEN HEARTではなくSACRIFICEがロックを外す。
次にエルサが心理的なロックを外す。
愛することによって
彼女は自分が他人を愛せるということを知らなかったので
彼女の心は彼女自身がずっと凍らせたままだった。
そうすると鍵を二重に掛けたのは彼女たちであり
それを二重に解いたのも彼女たちということになる。
やれやれです・・・

アナと雪の女王(トトロと一神教)

2014-08-25 00:05:11 | 映画
ディズニー映画としては異質な感じがする。
王子様のキスで目覚めないというだけではなく
敵がチャチで弱すぎるという点で異質なのではないかと思う。
一人も死なないというところは「となりのトトロ」級だ。
かつて物語は殺人とセックスなしでは成立しないのではないかと思われたが
そういうわけでもないらしい。
強大な敵を撃退するなんてことはもうやらなくてよいらしい。
「メイが迷子で困っている」というのと同様に
王国の人々は単に「冬が続いて困っている」というだけのことなのだ。
ひとつには子供向けということもあるだろう。
伝統的に大人向けの映画は殺人という名のアクションで集客する必要がある。
これは作り手のモラルの問題というよりは見る方の嗜好の問題だろう。
要するに大人は子供より低劣ということになる。
それだけだろうか?
むしろ意図的に戦いを避けているような感じがする。
絶対的な神が邪悪な存在を退けるという一神教の構図を押し付けようとはしていない。
それはキリスト教圏以外への展開を考えての対応なのかもしれない。
「もののけ姫」とか「千と千尋」では誰が悪いということには一切触れていない。
悪魔を懲らしめる物語は一神教やナショナリズムの下で育った人々に提供すれば良い。
そうすると作り手は一神教にこだわっていないのだろう。
もともとアニメーションに悪魔なんて必要ないのだ。
こじれた姉妹間の関係が修復するという点ではやはりトトロなのだろうか?
いや、サツキとメイがダブルヒロインという意味ではない。
そうすると頼りなさそうだが最後は男気を見せるという点でクリストフは勘太か?
凍った雫が立てる澄んだ音を聞いてうなり声を上げて喜ぶスヴェンは
雨だれの音を聞いてうなり声を上げるトトロか?
それとも一生懸命走るのでネコバスか?
そういえば確かサツキはメイに聞いていた。
「トトロって、絵本に出てたトロルのこと?」
「トロル」あるいは「トロール」をググってみると北欧の妖精ということだった。
所沢よりは北欧が似合っている妖精と思われる。
そういうことでトロールがトトロに確定した。
スヴェンはネコバスということにしておこう。
働き者だし。

アナと雪の女王

2014-08-24 00:05:05 | 映画
「ありのままで」の再生回数がすごいことになっている。
誰もが自分を受け入れてもらいたいと考えているのかもしれない。
あるいは自分が好きになりたくて仕方がないのかもしれない。
氷の階段を駆け上がる女王は本当に嬉しそうで美しい。
個の力を自覚するというただそのことだけで美しくなれるのかもしれない。
王国の中で制御された力を使う女王にその美しさは感じられないが
意図的にそうしているのではないかと思う。
透き通るような色使いが温暖で多彩な色使いを圧倒している感じがする。
喜びや美しさにとっては、孤独とか、みんなのためにとか、そんなことは関係がないのだろう。
「真実の愛」という言葉も出てくるが、どちらかというとコミカルに描かれている。
一部で「毒にも薬にもならない映画」という声もあるようだが
何かと抑圧される機会が多い時代にあって個の解放を取り上げるのは良いのではないかと思う。
だが「ありのまま」を集団に認めてもらうのは難しい。
「なにを勘違いしているのだろう、この人?」という結果に終わるだろう。
それ以前に本当に「ありのまま」があるのかわからない。
社会に適合することに慣れ、自分が被っているペルソナのことにも気付かなくなった個人には、
「ありのまま」なんて残っていないだろう。
そして個人の嗜好や願望のことであると勘違いしてしまうだろう。
「ありのまま」があったとしても望ましいものであるかはわからない。
ここで望ましいとか望ましくないというのは社会に適合するための発想であるから
「ありのまま」というのであれば無視して差し支えない。
たとえばここで書いていることも、まあ、どうでもいいことだが、
「ありのまま」かと言えば、きっとそうなのだろう。
利益にならないことに時間を費やしているという点で既に意味などない。
そうせずにはいられないという
ただそれだけのことだ。

"The cold never bothered me anyway."
雪の女王にとって寒さというのは自分自身のことなのだろう。
そんなことで悩んでも仕方がないのだ。

風と共に去りぬ

2014-05-18 00:05:05 | 映画
実はこの映画をはじめから最後まで見るのは初めてだ。
アシュレとメラニーのイメージがちょっと違った。
アシュレはカッコ悪すぎるしメラニーは血色が良くて健康すぎる。
スカーレットは映画ではひとりしか子供を産まなかった。
南北戦争を舞台とした北部と南部のあるいは南部同士の
あるいは単に人間同士の憎しみの色合いも薄められていた。
小説自体も深くもないが映画はそのダイジェスト版なのでスカスカだ。
スカーレットにとってメラニーが十字架であることや
アシュレとレットの類似点と相違点についてとか
タラや製材所やメラニーの出産におけるスカーレットの行動力など
映画では小説のあらゆる点が欠落している。
おそらくこの作品は映画も小説も忘れ去られてしまうのだろう。
100年後にこの映画を見る人なんてほとんどいないだろう。
100年後にこの小説を読む人なんてほとんどいないだろう。
古本として売られる機会もなく手にする人もいない。

「一つのゲッテルデンメルングを目撃するのは、
あまり愉快なことではないかもしれないが、すくなくとも興味のあることだ」
アシュレは作品自体のことを語っていたのかもしれない。

本を読んで映画を見ようと思った人は、スカーレットが喪服で踊るシーンと
カーテンで作ったドレスを着てレットに会いに行くシーンを
見たかっただけだと思う。

永遠の0

2014-01-05 00:05:55 | 映画
永遠の0を見て泣いている私を見つめるもうひとりの私
なんて薄っぺらな涙なのだろうと思う。
なんにも知らないくせにと思う。
特攻隊とか戦争を茶化すシーンがあって
少しだけインテリジェンスを持っている人たちに媚びているのだろうかとそんなことを考えている。
そういうところが却って大衆的なのではと思う。
戦争で亡くなった人々を弔うための参拝とかよくわからない。
大自然にとっては流された血であるとか
帰ってこなかった人とか関係ないのだろう。
亡くなった人と自分との因果関係でしか距離は測れない。
祖父の名誉が傷つけられるということは自分の名誉が傷つけられることだ。
そういえば私の祖父にあたる人は戦死したということだ。
映画とそんなに変わらないのかもしれない。
本を読んで映画を見てそれでも釈然としないものがある。
なにも起こらなくても人は死んで行く。
命は常に奪われる。
そして何も起きなかった人生が
平和のうちにその生涯を閉じる人生の方が惨めなのだ。
名もなく忘れ去られて行く数多の命は誰にも救いようがない。
物語にならない数多の人生
映画を見て感動したとか言っている人生
それを食い物にしている人々

否、否、断じて否

耳をすませば

2013-07-10 23:01:11 | 映画
子どもが「耳をすませば」を見ていた。
これって95年の作品なんだけど、それで原作は少女マンガらしいけど、
もう20年くらいも愛されている。

リア充の物語なのだが、「そんなことはありえねー」と、
「あー、過ぎ去ってしまった二度と戻らない青春時代を返してくれ」と、
つまりは、その時代に何も起こらなかったことを悔やむ声が多いらしいけど、
そんでもって14歳の頃の私がリア充だったわけではないけど、
私はなんとなく好きなんだわ。

そんでもって、この映画に引用されているのが、「カントリーロード」

「ひとりぼっち おそれずに
生きようと 夢みてた
さみしさ 押し込めて
強い自分を 守っていこ」

いえ、強くはないです。
ま、そんなに上手に歌っているわけではないと思うけど、
なんか素人っぽいところが好きなんですわ。

そんでもって、キャラクター紹介!
月島靖也 雫の父で45歳。市立図書館司書。本業は一文にもならない郷土史家。
おおー、いいねー、お父さん。
図書館司書でもないし郷土史家でもないですが、
一文にもならない文章を延々と書いている無名ブロガーです。
なんか親近感を持ってしまいます。

「どんな挫けそうな時だって
決して涙は見せないで」
ええ、泣いたりはしませんよ。GARNET CROW解散の時は不覚の涙・・・
もう泣いたりはしません。

ダークナイト ライジング

2012-12-23 13:25:36 | 映画
「ダークナイト ライジング」を見た。
「バットマン ビギンズ」「ダークナイト」に続く三部作の最後を締めくくる作品ということだが
前二作に比べると、あまり良い印象は持てなかった。
演技も演出もデザインもストーリーも「ダークナイト」の方が良いと思う。
そこではヒース・レジャーの迫真の演技が乗り移って作品全体を支配しているような感じがした。
それにしても演出やデザインまで平々凡々になってしまうとは、どういうことだろう?
恐怖と狂気を描いてしまった後になっては「バットマン」に求めるものは何もないということ?
それとも期待が大きかった故の失望?

ダークナイト

2012-12-17 00:05:05 | 映画
「バットマン ビギンズ」と「ダークナイト」を見た。今頃・・・
きっと来週は「ダークナイト ライジング」を見ているに違いない。
「バットマン ビギンズ」は恐怖を描いていて
「ダークナイト」は狂気を描いている感じ。よくわかりません。
狂気が全くの混沌であったなら、それを理解することは出来ないだろう。
私たちが理解したり感じ取ることが出来るものには何らかの秩序が含まれている。
そのスレスレのものをクリストファー・ノーラン監督は映像にしているのだと思う。
勧善懲悪といった単純なもので人を喜ばせるわけではないが
興行収入が悪いわけでもない。
アクションシーンも良ければ心理描写も良い。
バットマンの葛藤をあざ笑うようなジョーカーの呟き・・・
それを演じたヒース・レジャーは28歳で没した。役に溺れた?
秩序をあざ笑う狂気の中にある何らかの秩序・・・
それに耐えることが出来るほど人間は強くないのかもしれない。

アベンジャーズ

2012-08-17 00:05:05 | 映画
「日本よ、これが映画だ」を見てきた。なるほど、これが映画か。
このキャッチコピーを考えたのは日本人だという噂だ。
話題にするためにワザとやっているのだと・・・

「ロザムンデ」が流れるシーンがあったけど長くは続かなかった。
この映画とシューベルトは、どちらかというと、対極にあるのではないかと思う。
何も考えずに楽しめるかと言うと、そんなことはない。
最初から最後まで、よくこれだけ、暴力ばかり続けられるものだと思う。
それで目立たないが、配給が、ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパンになっている。
ウォルト・ディズニーがこの映画を見たら、きっと怒り出すと思う。
彼のエンターテインメントは善意のものであり、人を幸せにすることが目的であり、
なにかしら語り継がれるものはあると思う。
かつての手塚プロも、そういうことがわかっているから、
亡きディズニーに対して、亡き手塚治虫に対して、敬意を持って対応したのだ。
そのようにして彼の精神を大切にしているのであれば
こうした作品をディズニーの名のもとに
扱うことはなかっただろう。

チームとしてまとまるかということが一つ争点のようだったけど
どうみても勝手に暴れているだけです。
そしていかにも続編やりますよという終り方をしていた。
そんなにやりたきゃやればいいさ。