「地球外知的生命体探査(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)とは、
地球外知的生命体による宇宙文明を発見するプロジェクトの総称。
頭文字を取って「SETI(セティ、セチ)」と称される。」
wikipediaにはそのように書かれていた。
「SETIの中で現在最も大規模に行われている方法では、電波望遠鏡で受信した電波を解析し、
地球外知的生命から発せられたものがないか探すというもの」であるが
どの方向から、どういう周波数で、メッセージが届けられているのか
わかんねー。
「一方で地球から地球外文明に電磁波または「物」でメッセージを送る分野は、
アクティブSETI、METI(Messaging to Extra-Terrestrial Intelligence)または
positive SETI とよばれている。」
こちらの方も、どの方向に、どういう周波数で、メッセージを届けたらよいのだろう?
それも電磁波(光)が到達するのに何万年も何億年もかかる広大な空間で・・・
ホモ・サピエンスという種の存続期間は長くても数百万年ということだし
音声による会話能力を獲得してから数十万年ということだし
文字が発明されたのは数千年前ということだし
電磁波による通信手段を獲得してからは100年も経っていないだろう。
文明が通信手段を獲得してから100年で核兵器により自滅するのであれば
100光年以内に相異なる二つの文明が同時に存在しなければ会話は成立しない。
その相当に低い確率に140億光年に渡る宇宙の広大さを掛け合わせれば有効な数字になるかもしれない。
だがその恵まれた二つの文明の一つに私たちの文明が含まれる可能性はやはりゼロに近いと思う。
つまりSETIというのは実現する見込みのないプロジェクトなのだろう。
あてもなく誰が読んでいるかも知らず一方的にブログを書くという行為にも
SETIに似た不毛さが含まれている。
宇宙でひとりぼっちであったとしてもヒトは探索をやめないし
地球でひとりぼっちであったとしても私は何かを伝えずにはいられない。
そんなふうにしかヒトは生きていけない。
食欲・性欲・睡眠欲・自己顕示欲・承認の欲求・自己実現の欲求
そんなことはどうでもよいことであって何の説明にもなっていない。
所得・地位・名誉・名声・権力・経済力
そんなものを欲したところで何がどうなるというのだろう?
他人に頭を下げて暮らしたくないというだけのことではないだろうか?
そのことだけに自分の持つすべての時間を振り向けるということは
ある意味で幸せなことであるが別の意味では極めて不幸である。
つまり自分が不幸であることを自覚しなかった者が幸福でいられる。
あるいは自分が何も知らないことを知らない者が幸福でいられる。
何も知らないことを知ってしまったら出来るだけ多くの本を読むしかない。
そして認識の限界であるとか言語の限界を知ることになり、ますます窮地に至る。
それはまぁ仕方のないことだと思います。
人々をSETIに駆り立てる動機が何であるかよくわからない。
人々は自分の意志でそうしているのだという。
本当に意志によるものだろうか?
意志が何であるかを知らない者が意志によるものだと言っても仕方がない。
しかし意志が何であるかを知ることは出来るのだろうか?
その試み自体はSETIよりもずっと魅力がある。
地球外に知的生命を求めることよりも意志あるいは知あるいは心とは何かを
問うことの方が私にとっては根源的なことだと思う。
地球外知的生命体による宇宙文明を発見するプロジェクトの総称。
頭文字を取って「SETI(セティ、セチ)」と称される。」
wikipediaにはそのように書かれていた。
「SETIの中で現在最も大規模に行われている方法では、電波望遠鏡で受信した電波を解析し、
地球外知的生命から発せられたものがないか探すというもの」であるが
どの方向から、どういう周波数で、メッセージが届けられているのか
わかんねー。
「一方で地球から地球外文明に電磁波または「物」でメッセージを送る分野は、
アクティブSETI、METI(Messaging to Extra-Terrestrial Intelligence)または
positive SETI とよばれている。」
こちらの方も、どの方向に、どういう周波数で、メッセージを届けたらよいのだろう?
それも電磁波(光)が到達するのに何万年も何億年もかかる広大な空間で・・・
ホモ・サピエンスという種の存続期間は長くても数百万年ということだし
音声による会話能力を獲得してから数十万年ということだし
文字が発明されたのは数千年前ということだし
電磁波による通信手段を獲得してからは100年も経っていないだろう。
文明が通信手段を獲得してから100年で核兵器により自滅するのであれば
100光年以内に相異なる二つの文明が同時に存在しなければ会話は成立しない。
その相当に低い確率に140億光年に渡る宇宙の広大さを掛け合わせれば有効な数字になるかもしれない。
だがその恵まれた二つの文明の一つに私たちの文明が含まれる可能性はやはりゼロに近いと思う。
つまりSETIというのは実現する見込みのないプロジェクトなのだろう。
あてもなく誰が読んでいるかも知らず一方的にブログを書くという行為にも
SETIに似た不毛さが含まれている。
宇宙でひとりぼっちであったとしてもヒトは探索をやめないし
地球でひとりぼっちであったとしても私は何かを伝えずにはいられない。
そんなふうにしかヒトは生きていけない。
食欲・性欲・睡眠欲・自己顕示欲・承認の欲求・自己実現の欲求
そんなことはどうでもよいことであって何の説明にもなっていない。
所得・地位・名誉・名声・権力・経済力
そんなものを欲したところで何がどうなるというのだろう?
他人に頭を下げて暮らしたくないというだけのことではないだろうか?
そのことだけに自分の持つすべての時間を振り向けるということは
ある意味で幸せなことであるが別の意味では極めて不幸である。
つまり自分が不幸であることを自覚しなかった者が幸福でいられる。
あるいは自分が何も知らないことを知らない者が幸福でいられる。
何も知らないことを知ってしまったら出来るだけ多くの本を読むしかない。
そして認識の限界であるとか言語の限界を知ることになり、ますます窮地に至る。
それはまぁ仕方のないことだと思います。
人々をSETIに駆り立てる動機が何であるかよくわからない。
人々は自分の意志でそうしているのだという。
本当に意志によるものだろうか?
意志が何であるかを知らない者が意志によるものだと言っても仕方がない。
しかし意志が何であるかを知ることは出来るのだろうか?
その試み自体はSETIよりもずっと魅力がある。
地球外に知的生命を求めることよりも意志あるいは知あるいは心とは何かを
問うことの方が私にとっては根源的なことだと思う。