140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

ボーカロイドの曲パクられる

2010-11-30 19:44:09 | 音楽
「そんなボーカロイドを使って楽曲したユーザーの作品『巡音ルカ DYE』に、
KAT-TUNの『NEVER x OVER ~「-」 IS YOUR PART~』がソックリだというのだ。」
「KAT-TUNの楽曲がオリコン1位ボーカロイド楽曲のパクリだった!」とネットで大炎上

パクられ↓
巡音ルカ DYE
パクリ↓
NEVER x OVER ~「-」 IS YOUR PART~

ここは小林亜星さんの意見を伺いたいところだが聞くまでもないか・・・
知らずに歌っている人達も、知らずに聴いているファンも可哀想だ。
しかしパクった本人はバレないと思ったのだろうか?

ちなみに「DYE」は「EXIT TUNES PRESENTS Vocalogenesis feat.初音ミク」というCDに収録されている。
著作権は保護されるのか?JASRACの意見も伺いところだ。

脳は不公平を嫌う

2010-11-30 07:07:07 | 音楽
科学者たちは、人間には不公平に対する自然な嫌悪があると推測している。
実際、公平な結果を求めるわれわれの願望は、多くの場合、現金をもう少し手に入れたいと
いう願望よりも、(少なくとも脳活動においては)強いのだ。
・・・
最初に報酬をめぐって被験者たちを競わせる条件だと、彼らの公平な結果を求める気持ちは
劇的に低下することが明らかになっている。その結果、われわれが基本的に不公平に対して
抱く嫌悪感、すなわち他者より多く持つことへの罪の意識は、正当化されて
取り除かれてしまう。」
脳は「不公平」を嫌う:経済格差の実験

「米国の豊かな層は、自分の富が自分の才能とハードワークによるものだ、と思っている」・・・
市場原理とかで競争は推奨され富の蓄積は才能と努力によるものだと正当化される。
それで「上位20%が富の85%を所有し下位40%の富がほぼゼロ」の格差が生まれる。
下位40%の人々には努力が足りないのだろうか?
同じぐらい努力しているのなら才能が欠けているのだろうか?

人は生まれながらに不平等に出来ているようだし
社会は不平等を増幅するように作用しているようだ。
結果が平等な社会だとサボる人が出て来るから
機会が平等な社会なのだと言う。
本当だろうか?

The Winner Takes It All
///
The winner takes it all
The loser has to fall
It's simple and it's plain
Why should I complain

勝者が全てを奪う
敗者は倒れるのみ
それは単純で明白なこと
私に文句など言えようか?
///

私とは何か さて死んだのは誰なのか

2010-11-29 07:06:08 | 
池田晶子「私とは何か さて死んだのは誰なのか」という本を読んだ。
2009年に発行されているが著者は2007年に亡くなっている。

「私は、自分がどんなふうな暮らしをしたいとか、いずれはこんなふうになりたいとか、
理想の男性像、結婚観その他、そのたぐいのことの一切を一度も考えたことがなかった。
考えることを拒んでいたというのではない。
そういうことを敢えて考えないライフスタイルであるというのでもない。
普通、人は、そういうことを(そういうことだけを)、考えながら生きているのだと
いうことを、私は全然知らなかったのだ。(27ページ)」

今、思い出したのだが、私もそんなふうだった。あるいは今でもそんなふうだ。
芸能人の話題なんか子どもの頃からずっと苦手だ。
友達がみんな、どうしてそんなことに夢中になれるのか理解できなかった。
私はただ、ぼんやりと宇宙のことを考えていた。
私の身体が星屑で出来ているという事実に驚愕した。
何光年も彼方から届く星の輝きを眺めていた。

社会人になっても何歳で結婚して、何歳で子どもを儲けて、何歳で家を建てて、
何歳までに老後の生活資金を貯めて・・・
そういうことにも関心がなかった。あるいは関心がない。
それで今でも借家暮らしだ。

「私を考え、私を突き抜け、普遍に至る、これが形而上学。もはや「私」はNobody、
そして、Everywhere。帰属と肉体は世を忍ぶ仮の姿、人生の日々は、
相貌を変えぬままにその意味合いを変えるだろう。(32ページ)」

「私」が虚構であることは別の道から辿り着いた。
<私>が唯一のものではなくて普遍性を帯びたものであると私は認めた。
そうすると「私」は虚構であり<私>はNobodyであるわけだ。
しかし哲学はその先へは進めない。

著者は「科学」に対して好ましい感情を抱いていないようで
哲学あるいは形而上学が上位にあるとみなしているようだ。
しかし現在、私たちが抱えている問題はラマチャンドランが語っているように
<一人称>である主観と<三人称>で語られる客観(科学)を
どのようにして結びつけるかということだと思う。

その方法を哲学は提示しないし科学も提示しない。
それは21世紀最大の課題であると私は思う。
つまり心と脳の不可分の関係を明らかにすること・・・

「何もしないで独りでいること、すなわち孤独であるということは、それ自体が充実した、
非常にいいものである。不安などでは決してない。もしそれが不安であるとしたなら、
それは自分との付き合い方を知らないためである。しかし、他人と付き合うよりも先に、
人は自分とは一生付き合っていかなければならないのだから、これを知らないのは、
一生の損失である。(77ページ)」

携帯やパソコンでつながっていないと不安な人々に著者は語りかける。
携帯も所有せずTwitterやFacebookの存在も知らず
この人は逝ってしまった。
残された者としては著者の言葉を引用するしかない。
「自分との付き合い方を知りましょう。」
つまり自分の頭を使って考えましょうということだ。

gooブログが150万を突破

2010-11-28 21:04:51 | Weblog
11/26時点で1,500,019ブログとなった。
私が記録している最古の情報によれば昨年の12/7は1,335,199ブログだった。
1年で約17万ブログ増えたことになる。
急激に普及したTwitterに比べるとささやかな数だが
YouTubeの動画でもミリオンを達成しているものは少ない。
そう考えるとなかなかの数値だ。

ささやかな思いが綴られて積み重なって150万ブログ
150万人が織り成す世界がどんなものか
ちょっと想像がつかない。

時をかける少女

2010-11-27 00:31:20 | 映画
細田守監督「時をかける少女」を見た。
「サマーウォーズ」ほど幅広い年代に訴求する作品ではないが楽しめる。
それで、2回見てしまった。

私たちの年代にとっては「時をかける少女」というタイトルには
原田知世の歌と演技のイメージが纏わりついているのだが
それとは別の物語・・・

原作「時をかける少女」のヒロインは本作のヒロインの叔母にあたるそうだ。
しかし原作の内容は忘れてしまった。
アニメ化にあたって原作から大きく変更されたそうだから
気にする必要はないと思う。

理科室とゴールドベルク変奏曲という組み合わせが微妙に合っていると感じた。
「今風の主人公を出すべき」という割には古風なことをしている。
そして演出や構図は斬新なものに満ちている。

・・・
それから細田監督の長編アニメーション映画の第1作にあたる
「ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島」も見たのだが
ワンピースの本編の雰囲気とは異なり怖かった。
とてもお子様向けの作品とは思えない。
この作品は1回見れば十分だ。

初音ミク現象

2010-11-26 07:02:19 | 音楽
「初音ミク現象は私が思ったより複雑だった。
もっと研究を重ねる必要があるね。」
初音ミク否定派だったサイバーパンクの生みの親が肯定派に

武満徹を聴く。
優れた作曲家は言葉で語れない心象を音楽にする。
それは彼が初めて紡ぎだした音楽だ。
クラシック音楽は形式の破壊と創造を繰り返している。
その流れはバッハから連綿と続く。

GARNET CROWを聴く。
高密度に融合された詞と曲、アレンジと演奏
その深い結びつきは楽曲の制作方法に由来するらしい。
「まず中村由利によるメロディーラインの作曲が先行する。
先に作詞が行われたり、事前に詞のテーマを設定するようなことは全くない。
中村の作成したデモテープをもとに、AZUKI七による作詞、古井弘人による編曲、
岡本仁志によるギターの収録が行われる。」
そして作詞は「AZUKI七自身の身体が就寝寸前の状態になったのちに開始される」という。
これらの楽曲も彼らが独特の方法で編み出した
新しい音楽だと思う。

そして初音ミクを聴く。
「初音ミク」は実在しないし特定の個人・団体と結びついているものではない。
特異なことは楽曲の作り手が複数であることだ。
「初音ミク」というイメージの下に複数の作り手と聴き手が存在し、
一つのコミュニティーのようなものを形成している。
「思っていたよりも奥が深い」のではなくて
作り手と聴き手の結びつき方が従来とは根本的に異なる。
それが商業的に成功しているかどうかは知らない。
コンテンツは動画で提供されレコード会社やiTunes Storeの支配下には入らない。
世界がこの流れに乗るかどうかなんて知ったことではない。
私たちはそれを楽しんでいる。

ミクを聴く人はオタクなの? ふーん。そうだったのか・・・
それで私はミク以外に何のオタクなのだろうか?
ベートーヴェン?
ビートルズ?

音楽を聴くことで無限の可能性が体感できる。
「研究を重ねる」必要はない。
感じるだけだ。

iPad専用新聞発行へ

2010-11-25 06:59:59 | Apple
「メディア王ルパート・マードック氏が、米アップルの「iPad」などタブレット端末専用の
デジタル新聞発行準備を進めている。ファッション誌「ウーマンズ・ウェア・デイリー」の
オンライン版が伝えた。値段は週99セント、月額料金は4ドル25セント。」
メディア王マードック氏、「iPad」専用新聞発行へ

月額料金4ドル25セントに読者は惹き付けられると思う。
そして読者が増えれば広告収入も増えるだろう。
紙の新聞はいよいよ終焉か・・・

日本では押し紙問題とか記者クラブ問題とかあるし
高給取りの記者をたくさん抱えているので
電子化には至らないのだろう。

統計を見ると新聞を読んでいるのは60代以降のお年寄りだから
少子化問題と並行して新聞は衰退していくと予想される。
その前に電子化しようという発想があっても良いと思うが
ジリ貧の道を選ぶのだろう・・・

iOS 4.2

2010-11-23 10:49:27 | Apple
「ただし、この機能を使うためにはAirPrint対応のプリンターが必要になる。
現時点で使えるのは、下記のHP3機種のみのということ。」
・HP Photosmart Premium C310c
・HP Photosmart Plus B210a
・HP ENVY100
ちなみに「Photosmart Plus B210a」の最安値は13,800円だった。

AirPrintもAirPlayも相手がいないと使えない。
「あなたの家でいちばん音がいいスピーカーで楽しんでみませんか」と書いてあるが
そんなものはない。

それで今のところiPadがマルチタスクに対応したという以外に体感できるものがない。
ブラウザとメモ帳を切り替えて使うことが多いが
今までよりは操作が楽になったと思う。

ところで「iOS 4.2」にアップすると回転ロックボタンがミュートボタンになってしまう。
回転ロックする方法を探したらマルチタスクバーで行うとのこと。
これは一見すると非常にわかりにくいのだがマルチタスクバーを右に引き出してやると
回転ロックボタンが現れるのだった。

個々の機器の最適化というよりは
「リビングルームの独占」を目指しているのだろう。
ブラウン管テレビが現役のウチには
関係ない話だが・・・

ネオテニー

2010-11-23 08:26:55 | 
アシュレイ・モンターギュ「ネオテニー 新しい人間進化論」という本を読んだ。
ネオテニー(幼形成熟)でよく引き合いに出されるのはウーパールーパーだ。
この生き物は幼生の特徴を持ったまま成熟する。

そしてヒトは類人猿がネオテニー化したものであると言われる。
チンパンジーの子どもとチンパンジーの大人の形態は全く異なるが
ヒトの子どもとヒトの大人はよく似ている。
さらにチンパンジーの子どもとヒトの子どもも似ている。
このことからヒトは類人猿が幼形成熟したものであって
類人猿の大人に見られる形質は発現しなくなったものだと解釈される。
つまりサルからヒトに進化したというよりは
幼形の期間が延長されるような変異が働いてヒトになったと考えられる。
もしもヒトの寿命が延びたら類人猿の大人の形質が発現するかもしれない。
(冗談です。あるいは本当かも。)

類人猿の幼児の特徴と言えば何でも吸収できる学習能力が考えられる。
ヒトでは学習可能な期間が大幅に延長されることによって
それまでに蓄積された何世代にも渡る知識の習得が可能となり
幅広い環境の変化に対応できるようになった。
その能力が特異化した成体の形質の能力を上回っているため
ヒトは特別なのだ。

チンパンジーでは学習期間が限られているので言語を習得させようとしても無駄だ。
つまりヒトの精神が発達するためには一定の期間が必要なのだと考えられる。
ネオテニー化がなければ深い精神は生まれてこなかったのだろう。

「心の最奥部でわれわれは幼児であり、それは一生をつうじて変わらない」
―――ジークムント・フロイト

幼児は未熟であり大人が完成形であると私たちは誤解をしている。
ヒトをヒトたらしめているのは幼児の特徴だ。
それは「なぜ?」を繰り返す好奇心に顕著に現れている。
その特徴に由来して今日の文化的・科学的な発展があるのだと思う。
「大人の鑑賞に堪える」などという批評は的外れであることが多い。

私が本を読むのも音楽を聴くのも好奇心という幼児の特徴に由来するのだと思う。
そして偏見を取り除けば新しい世界に触れることが出来る。

「そしてこどもらはその魅力で やすやすと
親たちの高慢な気位を挫いてしまった
そこで まわりにいる者たちも
暴力を加えることも、こうむることもないことを願って
友情のきずなにくわわりはじめた
そしてこどもらは おんな こどもに やさしくせよと要求したろう
すべての人が 弱い者を憐れむべきであることを 泣き声としぐさで
それとなく訴えながら
どこででも調和が保たれたわけではないが
おおかたのところで
彼らの契約は 忠実に守られた
でなければ 人類という種の全体が
ごく初期に絶滅したろう
あるいは
人間の性質を維持したまま
ここまで繁栄することもなかっただろう」
―――ルクレティウス

人間性の発達にとって子どもの果たした役割は大きいらしい。
愛情とか友情というものの起源は
泣き声やしぐさで示される子どもの無力さに
由来するものかもしれない。

スカイ・クロラ

2010-11-18 06:57:23 | 映画
「2008年8月2日にアニメーション映画化。監督は押井守で、アニメーション制作はProduction I.G。
丸の内TOEI2、渋谷東急、新宿ミラノ他東急系にて公開された。」

「若い人に生きることの意味を伝えたい」という動機で制作されたそうだが
どこに生きることの意味が描かれているのかわからなかった。
多分、若くないからだろう。

アヴァロンやイノセンスに比べると駄作ではないかと思うのだが
仮にも押井監督の作品なので玄人評論家はそんなことは口にしない。
素人は責任感がないので感じたことを書いてしまう・・・
単に飛行機の姿を映像にしたかったのではないの?

「戦争がなければ平和の意味もわからない」みたいなことを語らせるのだが
そんな陳腐な言葉で生きることの意味が伝わるのだろうか?
「繰り返される戦闘を終わらせるために命を絶つ」ような行為を描くことで
生きることの意味が伝わるのだろうか?

そもそも「生きることの意味」探しは徒労に終わると私は思っている。
どちらかというと熱心に意味を求めた過去を持つから・・・
今、生きていることを大切にした方が良いと思う。