140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#128マーラー交響曲第5番

2023-04-16 07:02:18 | 音楽
第511回定期演奏会〈継承者/川瀬賢太郎音楽監督就任記念〉
ハイドン:交響曲第86番ニ長調 Hob.I-86
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調

「マーラー交響曲第5番」についてChatGPTに尋ねてみた。
『マーラーの交響曲第5番は、1901年に作曲された、全5楽章からなる交響曲です。
第1楽章は、葬送行進曲風の重々しい曲想から始まり、途中でロマンティックな旋律が現れ、
やがて再び葬送行進曲に戻る構成になっています。
第2楽章は、シュタンツェン(舞曲)と呼ばれる、陽気で軽快な曲で、オーケストラの各楽器が次々にソロを取っていきます。
第3楽章は、アダージョ。美しく壮大な旋律が印象的で、フルートやホルンのソロが特に美しい部分となっています。
第4楽章は、軽快なロンド形式の楽章で、中央部にはトランペットとトロンボーンのソロが登場し、大きなクライマックスを築きます。
最後の第5楽章は、前半は序奏付きの大規模なフーガで、後半は静かなエピローグとなっています。
マーラー交響曲第5番は、多彩な楽章構成と情感豊かな音楽表現が特徴であり、マーラーの代表作の一つとされています。』

第2楽章が「陽気で軽快」というのはちょっと違うと思う。
第1楽章も第2楽章も降りかかって来る運命や逃れようのない悲劇を扱っている感じがするが、
第1楽章は客観的で人格を持たない対象、つまり民族全体の運命、悲劇、受難であるのに対して、
第2楽章は私的なものといった感じがする。
悲しみも苦しみも個人が体験することでしか現実のものとならないが、
一方でそれらを包含した民族全体に降りかかる運命といったものも存在するのだと言っている感じがする。
いずれにしても私たちは自分の力でどうすることもできない強大な何かに翻弄されながら生きるしかない。
私はこの二つの楽章を聴きながら、その現実を確認することになる。
重苦しさ。息苦しさ。生きていると纏わりつかれる負の感情がそこにあるような気がする。
第3楽章は打って変わって楽しげになる。苦しみを克服するために努力や闘争は特に必要ないらしい。
ここには澄み切った喜びがあり、懐かしさがあり、のどかですらある。
それでいて少し寂しくもあり、物静かに水琴窟の音に耳を澄ませている風でもある。
そうかと思えば、熱狂もある。いろいろな要素が持ち込まれたスケルツォ。
偉大なシンフォニストはいずれもスケルツォの名手だが、この楽章はスケルツォにしては長くてちょっと変わっている。
人生における様々な要素が散りばめられている。そして全体としては、やはり謎めいている。
年老いた人であれば、そこにかつて体験した出来事を想起するかもしれない。
若い人であれば、これから遭遇することになる未来を目の当たりにすることになるかもしれない。
第4楽章。弦とハープだけで演奏される。とてもゆっくりと美しい調べが奏でられる。急ぐ必要はない。慌てる必要はない。
美しいもの、価値あるものはいつだってそこにある。
立ち止まってじっと耳を傾けていれば、愛に溢れた旋律が迸るのが聴こえて来る。
「ベニスに死す」でこの楽章が用いられたことがマーラーの音楽がブームになった一因ということだが、
この曲を知ってから映画を見た私にはよくわからない。
ただ、映画のそのシーンと音楽はとてもマッチしていると思った。
第5楽章。牧歌的で清浄な光に満ちた旋律。
マーラーの音楽にはしばしば美しさと醜さが同居していて、その両面性が最大の魅力に感じられることも多いが、
ここでは醜さは鳴りを潜め、美しさだけが響き渡っている感じがする。

この曲を初めて聴いてからかなりの年月が経過した。いつまでも魅力が色褪せない音色に満ちた曲だと思う。
そんな曲に出会えたことにとても感謝している。