第417回定期演奏会、曲目は以下の通り
ベートーヴェン: 交響曲第1番ハ長調 作品21
アホ: トロンボーン協奏曲 [日本初演]
藤倉大: バニツァ・グルーヴ!
ショスタコーヴィチ: 交響曲第1番ヘ短調 作品10
交響曲の系譜はベートーヴェン・ブルックナー・マーラーと引き継がれた。
番号が進むにつれて工夫が凝らされると共に心情は簡素化されていき
各々の第9番の交響曲は各々の境地に達した。
その系譜をショスタコーヴィチが引き継いでいるとは思わない。
ハイドンの時代、音楽家の地位はそれほど高いものではなかったという。
彼らは貴族を楽しませ、その家来と共に食事を取ったのだという。
ベートーヴェン以降の時代に音楽家の地位は向上したようだが
ショスタコーヴィチの時代には再び受難の時期を迎えた。
彼は貴族ではなく体制に仕える音楽家としてソ連という時代を生き延びた。
前衛的な第2番・第3番の交響曲は十月革命・メーデーの名を冠していたので
大目に見てもらえたかもしれないが
次に作曲した第4番の初演は曲に重大な欠陥があるということで中止され
その後、四半世紀の間、演奏されることがなかった。
隠さなくても良くなった時代、私たちはマーラーを連想させるような
その交響曲を聴くことが出来る。
そうした体制にそぐわない曲が当局の批判に晒されるのを彼は恐れ
代わりに書いたのが20世紀の名曲とされる第5番だ。
その後の第7番や森の歌も露骨なほどに体制のために書かれている。
そのことを批判するのではない。
民主主義の時代に自由と正義が保証されているというのは幻想であり
人々は今なお、官僚主義的な体制の中で媚び諂いながら生きている。
私だってそうだ。
そんな人間が「ソ連」という時代を生き抜いた作曲家を批判できるものではない。
ただ、交響曲第5番が彼の代表作だという誤解は解いておきたい。
第5番から第12番まで当局の批判をかわし続けていた彼が
第13番「バビ・ヤール」という極めて政治的な曲を書いた理由はよくわからないが
彼が書きたかったのは第13番・第14番のような曲だったのだと思う。
死と隣り合わせの不安とそれを退けるユーモアが同居している点が
曲の特徴ではないかと思う。
そんなショスタコーヴィチの曲を初めて生で聴いた。
不安と諧謔が同居しているような気がした。
ベートーヴェンもそうだが第1番にはその後の作曲家の方向性を
暗示しているようなものが含まれていると思う。
ベートーヴェン: 交響曲第1番ハ長調 作品21
アホ: トロンボーン協奏曲 [日本初演]
藤倉大: バニツァ・グルーヴ!
ショスタコーヴィチ: 交響曲第1番ヘ短調 作品10
交響曲の系譜はベートーヴェン・ブルックナー・マーラーと引き継がれた。
番号が進むにつれて工夫が凝らされると共に心情は簡素化されていき
各々の第9番の交響曲は各々の境地に達した。
その系譜をショスタコーヴィチが引き継いでいるとは思わない。
ハイドンの時代、音楽家の地位はそれほど高いものではなかったという。
彼らは貴族を楽しませ、その家来と共に食事を取ったのだという。
ベートーヴェン以降の時代に音楽家の地位は向上したようだが
ショスタコーヴィチの時代には再び受難の時期を迎えた。
彼は貴族ではなく体制に仕える音楽家としてソ連という時代を生き延びた。
前衛的な第2番・第3番の交響曲は十月革命・メーデーの名を冠していたので
大目に見てもらえたかもしれないが
次に作曲した第4番の初演は曲に重大な欠陥があるということで中止され
その後、四半世紀の間、演奏されることがなかった。
隠さなくても良くなった時代、私たちはマーラーを連想させるような
その交響曲を聴くことが出来る。
そうした体制にそぐわない曲が当局の批判に晒されるのを彼は恐れ
代わりに書いたのが20世紀の名曲とされる第5番だ。
その後の第7番や森の歌も露骨なほどに体制のために書かれている。
そのことを批判するのではない。
民主主義の時代に自由と正義が保証されているというのは幻想であり
人々は今なお、官僚主義的な体制の中で媚び諂いながら生きている。
私だってそうだ。
そんな人間が「ソ連」という時代を生き抜いた作曲家を批判できるものではない。
ただ、交響曲第5番が彼の代表作だという誤解は解いておきたい。
第5番から第12番まで当局の批判をかわし続けていた彼が
第13番「バビ・ヤール」という極めて政治的な曲を書いた理由はよくわからないが
彼が書きたかったのは第13番・第14番のような曲だったのだと思う。
死と隣り合わせの不安とそれを退けるユーモアが同居している点が
曲の特徴ではないかと思う。
そんなショスタコーヴィチの曲を初めて生で聴いた。
不安と諧謔が同居しているような気がした。
ベートーヴェンもそうだが第1番にはその後の作曲家の方向性を
暗示しているようなものが含まれていると思う。