140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#94敬愛の傑作

2019-09-09 19:36:15 | 音楽
第471回定期演奏会<敬愛の傑作>
ワーグナー:ジークフリート牧歌
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調[ノヴァーク版]

第7番で初めて初演が成功して、ブルックナーは生きている間に評価された交響曲作曲家になったのだという。
第6番までと何が違うのだろう。どの曲も聴けばブルックナーとわかる。
「雨はまだ降りつづいていたが、服を買うのにも飽きたのでレインコートを探すのはやめ、ビヤホールに入って生ビールを飲み、
生ガキを食べた。ビヤホールではどういうわけかブルックナーのシンフォニーがかかっていた。
何番のシンフォニーなのかはわからなかったが、ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない。
とにかくビヤホールでブルックナーがかかっているなんて初めてだ」(世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド・下巻237p)
とある小説にはそんなことも書かれているが、第7番以降の交響曲はそれまでのものとは何かが違う・・・かも。
たとえば作曲家の人格を感じさせないほど完成度の高さを誇っている。
最も独創的であり個性的な音楽であるはずだがそれは私たちの中に共通している何物かを的確に捉え個人を超えたものに到達している。
いったいその記号の並びを何処で見つけたのだろうと不思議に感じる。
それを見つけ出す過程はとても苦しく困難なものかもしれないが、そこに触れることの出来る選ばれた人間というのは、
ただそのことだけでも楽しくて嬉しくて仕方がないのではないかと思う。
天才だけに許された自らも意識することのない直観で普遍的な新しい秩序に到達し万人が理解できる形式で定着させる。
厳しい訓練を経たいくつもの身体が正確に楽曲の姿を現そうと奮闘している場に、
11枚つづりの安いチケットで入場を許可された観客の一人はただ鳥肌を立てて聴き入るしかない。
何の準備も努力もなしに普遍的な価値に触れることが出来て終わった後はひたすら拍手をして、
その機会に参加させてもらったことに感謝している。
ビヤホールでかかっているブルックナーでは無理だろう。
貧弱な音響システムでは微細な音の重なりや惑星の運行を思わせるような律動は
再現しようがないのだから。