永井均「ウィトゲンシュタイン入門」を読んだ。
「いろいろな機会に何度か見かけ、あいさつ程度の会話はかわすようになっても、
それほど深く気にとめはしなかった人物が、ある日突然、自分の人生を決定するほどの
重要性をもって立ち現れる、そういった体験はないだろうか。
私とウィトゲンシュタインとの出会いは、そういう体験に似ていた」
そういう文章で始まっている。
初めて「論理哲学論考」を読んだ時はさっぱりだったねぇ・・・
野矢茂樹さんの「『論理哲学論考』を読む」を読んで(しかも2回目)
「えっ、なに、それっ」と思った瞬間が私にとって
「そういった体験」になるのかもしれない。
その時に、おそらくは私にとって最重要人物であることを直観したのだと思うが
明確な像は結べてはいない・・・それで最近、永井さんの本ばっかり読んでいるのは、
ウィトゲンシュタイン的なところに惹かれているからだと思う。
永井さんが子どもの頃に「私の心を捉えていた問題」として
「私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか」という問いを紹介している。
そんなことは誰でも考えることじゃないのと思うかもしれない。しかしこの問いは
「なぜこの子(つまり永井均)が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」と
いうことだと説明されている。同じことを問うたことがあるなら意味はわかると思うが、
ややこしいことに、そこで問いが一般化・普遍化されてしまうので
同じかどうかはわからなくなってしまう。
そういうことになるのだとしても「私の問題」として私は考えて行きたい。
しかし、おそらくは答なんてない。
ウィトゲンシュタインの「語りえぬもの」は二種類あると紹介されている。
「世界の形式である先験的な語りえぬもの」と
「倫理、宗教、形而上学、独我論、といった超越的な語りえぬもの」である。
ウィトゲンシュタインの中で進展したのは前者の「語りえぬもの」であって
それは、論理形式・文法形式・生活形式というかたちで示されている。
後者の「語りえぬもの」についての直観は、ほとんど変えなかったそうだ。
彼はトルストイの「要約福音書」を大切にしていたそうだ。
しかし彼の宗教は、彼の哲学とは無縁のものだ。
彼は前者の「語りえぬもの」を示した。
「八人兄弟の末っ子として育つが、兄四人、姉三人のうち、
長男、三男、次男は、その後、あいついで自殺する。
ロシア戦線で右腕を失った片腕のピアニストである四男パウルと、
五男ルートウィッヒも、終生、自殺の誘惑と闘い続けたようである」と書いてあった。
そしてウィトゲンシュタインは同性愛者だったそうだ。
そういうことを気にする人もいるだろう・・・
最後の方で「私自身にとって、法外な値段がつく思想家は、今のところ
ウィトゲンシュタインとニーチェの二人だけである」と書いてあった。
「他の人がまったく語らなかった、彼らがいなければ誰も気づかなかったかもしれない、
まったく独自の問題を、ただ一人で提起した人たち」ということだ。
特にウィトゲンシュタインについては、「彼が勇気をもって語ってくれなければ、
私自身が彼と独立に感じていたある問題を、私は一つの問題として考えてよいという
ことすら、知らないで終わったであろう」とのことだ。
「思想の値段は勇気の量で決まる」とウィトゲンシュタインは
語ったそうだ。
「いろいろな機会に何度か見かけ、あいさつ程度の会話はかわすようになっても、
それほど深く気にとめはしなかった人物が、ある日突然、自分の人生を決定するほどの
重要性をもって立ち現れる、そういった体験はないだろうか。
私とウィトゲンシュタインとの出会いは、そういう体験に似ていた」
そういう文章で始まっている。
初めて「論理哲学論考」を読んだ時はさっぱりだったねぇ・・・
野矢茂樹さんの「『論理哲学論考』を読む」を読んで(しかも2回目)
「えっ、なに、それっ」と思った瞬間が私にとって
「そういった体験」になるのかもしれない。
その時に、おそらくは私にとって最重要人物であることを直観したのだと思うが
明確な像は結べてはいない・・・それで最近、永井さんの本ばっかり読んでいるのは、
ウィトゲンシュタイン的なところに惹かれているからだと思う。
永井さんが子どもの頃に「私の心を捉えていた問題」として
「私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか」という問いを紹介している。
そんなことは誰でも考えることじゃないのと思うかもしれない。しかしこの問いは
「なぜこの子(つまり永井均)が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」と
いうことだと説明されている。同じことを問うたことがあるなら意味はわかると思うが、
ややこしいことに、そこで問いが一般化・普遍化されてしまうので
同じかどうかはわからなくなってしまう。
そういうことになるのだとしても「私の問題」として私は考えて行きたい。
しかし、おそらくは答なんてない。
ウィトゲンシュタインの「語りえぬもの」は二種類あると紹介されている。
「世界の形式である先験的な語りえぬもの」と
「倫理、宗教、形而上学、独我論、といった超越的な語りえぬもの」である。
ウィトゲンシュタインの中で進展したのは前者の「語りえぬもの」であって
それは、論理形式・文法形式・生活形式というかたちで示されている。
後者の「語りえぬもの」についての直観は、ほとんど変えなかったそうだ。
彼はトルストイの「要約福音書」を大切にしていたそうだ。
しかし彼の宗教は、彼の哲学とは無縁のものだ。
彼は前者の「語りえぬもの」を示した。
「八人兄弟の末っ子として育つが、兄四人、姉三人のうち、
長男、三男、次男は、その後、あいついで自殺する。
ロシア戦線で右腕を失った片腕のピアニストである四男パウルと、
五男ルートウィッヒも、終生、自殺の誘惑と闘い続けたようである」と書いてあった。
そしてウィトゲンシュタインは同性愛者だったそうだ。
そういうことを気にする人もいるだろう・・・
最後の方で「私自身にとって、法外な値段がつく思想家は、今のところ
ウィトゲンシュタインとニーチェの二人だけである」と書いてあった。
「他の人がまったく語らなかった、彼らがいなければ誰も気づかなかったかもしれない、
まったく独自の問題を、ただ一人で提起した人たち」ということだ。
特にウィトゲンシュタインについては、「彼が勇気をもって語ってくれなければ、
私自身が彼と独立に感じていたある問題を、私は一つの問題として考えてよいという
ことすら、知らないで終わったであろう」とのことだ。
「思想の値段は勇気の量で決まる」とウィトゲンシュタインは
語ったそうだ。