140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

脳研究の最前線(5)

2009-10-07 05:36:57 | 
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第9章 精神疾患から脳を探る[加藤忠史氏]より
うつ病研究からは、ストレスによって、脳内の神経細胞が縮んでしまったり、
意欲や興味を取り戻すには、新しい神経細胞ができるまで待つ必要があるかも知れないなど、
これまで考えられなかったようなことがわかってきた。
統合失調症は、自我の機能を担う神経系の発達が障害される病気である可能性が考えられ、
躁うつ病は、気分を安定させるような神経系の細胞が、年齢とともに失われていく
病気である可能性が考えられる。
自我や気分を担う神経系が、どこにあるどのような神経系なのか、今後10~20年の研究で、
明らかにされていくだろう。
そして、きっとその頃には、精神疾患も肝臓や心臓の病気と同じような身体の変調であることを
疑う人はいなくなっていることだろう。
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この章も専門的で難しい。
ただ著者が冒頭に触れていることだが、脳に対する理解は病気の存在によって進んできた面もある。
そこで病気の治療法が見つかるとともに
「自我や気分を担う神経系が、どこにあるどのような神経系なのか」が明らかにされていくことに
期待したい。

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第10章 ロボットから脳を読み解く[谷淳氏]より
ロボット工学は、脳モデルを身体とその環境へとカップリングするための実験プラットフォームを
与えてくれる。
内部の神経ダイナミクスと外的な物理世界とがカップリングした複雑なロボット実験では、
実験者が当初想定していなかったような現象に行き当たることが往々にしてある。
そしてそういった現象の中にこそ、原理の可能性が潜んでいる。
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この章もさっぱりわからなかった。
何を実験しているかの説明が素人に理解できるものになっていない。
グラフの複数の曲線が何を示しているのかとか、そもそも何を「活性値」と呼んでいるのか
そういった配慮がない。
ここでは行為の学習がいかにしてなされるかを説明しているようだけれど
実験結果から行為の学習に関する神経回路が推定できるというわけでもない。
ただ入力がキーボードで出力が画面のコンピュータとは異なり
目や手足(感覚器官と運動器官)を持つロボットの研究が
私たち自身を知ることにつながるかも知れない。

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第11章 快楽が脳を創る[中原裕之氏]より
ドーパミン神経細胞の反応を利用した脳の学習としては、その状況での報酬予測のレベルをあげ、
そのときに選択された行動をより頻繁に選択するように脳活動を変化させていくのが
(神経細胞間のシナプスのつながりが強くなる)望ましいということになる。
ドーパミン神経細胞の活動は報酬予測誤差(予測された報酬―実際の報酬)を表し
R(t+1)+kV(t+1)-V(t)で示すことが出来る。
ここでR(t+1)は時刻(t+1)で得られる報酬、V(t+1)、V(t)はそれぞれ時刻(t+1)、時刻(t)での
状態の持つ価値関数
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快楽(報酬)により脳が学習を行っていくことを説明している。
そしてそれが情報処理であるからには数理的に記述できなければならないとしている。
(ここで記載されている数式は最も単純なものだ。)
脳が行う情報処理には愛情とか信頼も含まれる。
それがどのような数式になるかはよくわからないが実際に私たちの中では
そういうことが起きているのだと思う。
心を数理的に表現するというのがどのぐらい大変なことなのかわからないが
コンピュータの理解だって回路やアルゴリズムでしか理解できない。
それを適当な単語を並べて理解するというのは本質的な理解とは言えない。
しかしいつになったらそこに辿り着けるのか途方もない目論見だと思う。

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第12章 脳は理論でわかるか[甘利俊一氏]より
パーセプトロンは、技術としては革新的であったが今は当たり前、しかも本当の脳では
このような形では学習が進んでいないということで、その生命を終えたのであろうか。
それは違う。
パーセプトロンは、高次元への符号化と学習能力という点で、普遍的な意味を持っている。
この仕組みを理論的に昇華して、その意味を考えるのが理論の役割である。
ここに数理脳科学の出番がある。
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パーセプトロンというモデルを使って脳における情報の判別や学習(重みづけ)について説明している。
それほど難しいモデルではないので本に載っている図を見れば理解できると思う。
しかし脳というのは私たちの知らないところで、すごい数理を使っているのだと思うと不思議だ。
私たちが理解してもしなくても、その仕組みに従って動作している。
しかもその動作によって「心」が生じる。
まあ知らないのは脳だけじゃないけどね。
消化の仕組みも知らないし呼吸の仕組みも知らない。
でも一番知りたいのは、やっぱり脳のことだ。
今では「考える」とはどういうことなのかという最大の疑問に脳科学は挑戦している。
それに比べて、哲学や思想は、道具としての科学や情報処理技術についていくことが出来ず、
とり残されてしまっているように思える。
ニーチェは「神は死んだ。」と書いたが
今や「哲学は死んだ。」ように思える。

本当にそうだろうか?
実は脳科学の方が壁にぶつかっているのではないだろうか?
意識・心・私・・・・・
それを理解するための手段を持たないままで
暗闇を進んでいればいつか何処かに辿り着くだろうという
根拠のない希望を持っているだけのような気がする。