「すなわち、わたくしは、この人に、また人々のこの合議体にたいして、自己を統治する
わたくしの権利を、権威づけ与えるが、それはあなたもおなじようにして、あなたの権利を
かれにあたえ、かれのすべての行為を権威づけるという、条件においてである。
このことがおこなわれると、こうして一人格に統一された群集は、コモン-ウェルス、
ラテン語ではキウィタスとよばれる。これが、あの偉大なリヴァイアサン、むしろあの
可死の神の生成であり、われわれは不死の神のもとで、われわれの平和と防衛について
この可死の神のおかげをこうむっているのである。というのは、コモン-ウェルスのなかの
各個人がかれにあたえたこの権威によって、かれは、かれに附与された、ひじょうに
おおきな権力とつよさを利用しうるのであり、そのおおきさは、かれが、それの威嚇によって、
かれらすべての意志を、国内における平和とかれらの外敵に対抗する相互援助へと、
形成することができるほどなのである。そして、かれのなかに、コモン-ウェルスの本質が
存在する。
それは、ひとつの人格であって、かれの諸行為については、一大群集がそのなかの各人の
相互の信約によって、かれらの各人のすべてを、それらの行為の本人としたのであり、
それは、この人格が、かれらの平和と共同防衛に好都合だとかんがえるところにしたがって、
かれらすべてのつよさと手段を利用しうるようにするためである。
そして、この人格をになうものは主権者とよばれ、主権者権力をもつといわれるのであり、
他のすべてのものは、かれの臣民である。」
基本的人権の尊重であるとか、国民主権であるといったことを、私たちは小学校で習う。
実際のところ、それがなんなのか、よくわかっていなかったりする。
そして女の前で恥をかかされたりすると「人間の尊厳を傷つけられた」といって
ツイッターで拡散したりする。
ホッブズの場合に人権に相当するのは生存権になるのだと思う。
各人の各人に対する戦争状態が続く限り個人の生存は脅かされるので、
そのような状態を免れるためにコモン-ウェルスが設立される。あるいは獲得される。
「獲得によるコモン-ウェルスとは、主権者権力が力(フォース)によって獲得される
コモン-ウェルスである。そして、力によって獲得されるとは、人々が個別的に、あるいは
おおくのものがいっしょに多数意見によって、死や枷への恐怖にもとづいて、かれらの生命と
自由を手中ににぎる人または合議体の、すべての行為を権威づけるというばあいである」
春秋戦国時代は秦の始皇帝により、日本の戦国時代は徳川家康により平定されたということだが、
その場合は「死や枷への恐怖にもとづいて」人々は統治される。
生存権を得るためにはどんな理不尽な命令にも従わなければならない。
家康すら力のない頃には信長に因縁をつけられ妻子を失った。
中国や北朝鮮では現代でもそのような状態かもしれない。
中国の軍事費の増大に各国は懸念を示しているが、
中国では軍事費よりも治安を維持するために必要な費用の方が大きいそうだ。
なんと不安定な・・・
民主主義の発達した現代では、生存権を含む人権は尊重されているのだろうか?
巷ではブラック企業についての書き込みが頻繁になされている。
そして国会議員は自分たちの年金は別枠で確保した上で、
(臣民については)年金の支給開始年齢を68歳にしようとしている。いずれ70歳を超えるだろう。
ブラック企業に関する書き込みは実際のところ想定内のことで別に驚いたりしない。
現代においても私たちは「生存権を得るためにはどんな理不尽な命令にも従わなければならない」
パワハラで自殺者が出ても誰も責任を取らない。
遺族の無念は推し量ることができない。
それで私は思うのだが、基本的人権の尊重であるとか国民主権というのは幻想であり、
施政者はそのように信じ込ませたいのではないかと思う。
国民主権といったところで、権力はその性質上、一部の人間にしか委ねられない。
そうしないと権力を発動することができなくなってしまう。
「そして、この人格をになうものは主権者とよばれ、主権者権力をもつといわれるのであり、
他のすべてのものは、かれの臣民である。」
そういうわけで臣民のみなさん!
今日もがんばりましょう。
わたくしの権利を、権威づけ与えるが、それはあなたもおなじようにして、あなたの権利を
かれにあたえ、かれのすべての行為を権威づけるという、条件においてである。
このことがおこなわれると、こうして一人格に統一された群集は、コモン-ウェルス、
ラテン語ではキウィタスとよばれる。これが、あの偉大なリヴァイアサン、むしろあの
可死の神の生成であり、われわれは不死の神のもとで、われわれの平和と防衛について
この可死の神のおかげをこうむっているのである。というのは、コモン-ウェルスのなかの
各個人がかれにあたえたこの権威によって、かれは、かれに附与された、ひじょうに
おおきな権力とつよさを利用しうるのであり、そのおおきさは、かれが、それの威嚇によって、
かれらすべての意志を、国内における平和とかれらの外敵に対抗する相互援助へと、
形成することができるほどなのである。そして、かれのなかに、コモン-ウェルスの本質が
存在する。
それは、ひとつの人格であって、かれの諸行為については、一大群集がそのなかの各人の
相互の信約によって、かれらの各人のすべてを、それらの行為の本人としたのであり、
それは、この人格が、かれらの平和と共同防衛に好都合だとかんがえるところにしたがって、
かれらすべてのつよさと手段を利用しうるようにするためである。
そして、この人格をになうものは主権者とよばれ、主権者権力をもつといわれるのであり、
他のすべてのものは、かれの臣民である。」
基本的人権の尊重であるとか、国民主権であるといったことを、私たちは小学校で習う。
実際のところ、それがなんなのか、よくわかっていなかったりする。
そして女の前で恥をかかされたりすると「人間の尊厳を傷つけられた」といって
ツイッターで拡散したりする。
ホッブズの場合に人権に相当するのは生存権になるのだと思う。
各人の各人に対する戦争状態が続く限り個人の生存は脅かされるので、
そのような状態を免れるためにコモン-ウェルスが設立される。あるいは獲得される。
「獲得によるコモン-ウェルスとは、主権者権力が力(フォース)によって獲得される
コモン-ウェルスである。そして、力によって獲得されるとは、人々が個別的に、あるいは
おおくのものがいっしょに多数意見によって、死や枷への恐怖にもとづいて、かれらの生命と
自由を手中ににぎる人または合議体の、すべての行為を権威づけるというばあいである」
春秋戦国時代は秦の始皇帝により、日本の戦国時代は徳川家康により平定されたということだが、
その場合は「死や枷への恐怖にもとづいて」人々は統治される。
生存権を得るためにはどんな理不尽な命令にも従わなければならない。
家康すら力のない頃には信長に因縁をつけられ妻子を失った。
中国や北朝鮮では現代でもそのような状態かもしれない。
中国の軍事費の増大に各国は懸念を示しているが、
中国では軍事費よりも治安を維持するために必要な費用の方が大きいそうだ。
なんと不安定な・・・
民主主義の発達した現代では、生存権を含む人権は尊重されているのだろうか?
巷ではブラック企業についての書き込みが頻繁になされている。
そして国会議員は自分たちの年金は別枠で確保した上で、
(臣民については)年金の支給開始年齢を68歳にしようとしている。いずれ70歳を超えるだろう。
ブラック企業に関する書き込みは実際のところ想定内のことで別に驚いたりしない。
現代においても私たちは「生存権を得るためにはどんな理不尽な命令にも従わなければならない」
パワハラで自殺者が出ても誰も責任を取らない。
遺族の無念は推し量ることができない。
それで私は思うのだが、基本的人権の尊重であるとか国民主権というのは幻想であり、
施政者はそのように信じ込ませたいのではないかと思う。
国民主権といったところで、権力はその性質上、一部の人間にしか委ねられない。
そうしないと権力を発動することができなくなってしまう。
「そして、この人格をになうものは主権者とよばれ、主権者権力をもつといわれるのであり、
他のすべてのものは、かれの臣民である。」
そういうわけで臣民のみなさん!
今日もがんばりましょう。