140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#132プロコフィエフ交響曲第5番

2023-09-18 21:11:55 | 音楽
第515回定期演奏会〈ロシア・ロマンティシズムの継承〉
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18
プロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調 作品100

うかつにも前回、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番について書いてしまっていた。今月の演奏曲ということを把握していなかった。
ではプロコフィエフの交響曲第5番について何か書けるだろうか? ちょっとむずかしそうだ。
今回のテーマは「ロシア・ロマンティシズムの継承」ということだが、これもちょっとむずかしい・・・
昨日、YouTubeで知った話。ロシアでは平均して月に一回暗殺が起きているらしい。まったくおそろしい国だ。それは今だからなのだろうか? 
確かに今の国家元首には良くない噂がいろいろある。だが、ピョートル大帝の時代とか、もっとひどかったのではないかと思う。
昔はロシアだけではなくてどの国でも権力闘争は命懸けだった。選挙によって政権が代わるのではなく、戦争によって政権が代わっていた。
そんな恐ろしい国でショスタコーヴィチは時折、政権寄りの音楽を書いて当局の追及をかわしていたようだが、でも暴力や恐怖や死を扱った音楽も書いている。
だが大衆的なものであっても前衛的なものであっても、そこにロマンティシズムのようなものはひとかけらも感じられない。
結局、ロシアでロマンティシズムと言えばチャイコフスキーではないだろうか?(ラフマニノフを除く)
凍てついた大地と共に生きる素朴な農民の姿。ロマンティシズムというよりはノスタルジーかもしれない。
素朴ですぐに騙される。良くない噂を耳にしても半裸になったプーチンを見たら、頼もしいと感じてしまうような人たち。
そんな国のロマンティシズムを求める私たち。。。
プロコフィエフの曲はあまり知らない。交響的協奏曲は好きだがロマンティシズムという気がしない。交響曲第5番もそんなにロマンティックとは思わない。
1944年に完成ということだから戦争中に書かれていたことになる。当然、そこにはショスタコーヴィチの第7番のように戦争を賛美するような力強い内容が求められる。
何者にも屈しない力強いロシアの精神。そんな感じ。
プロコフィエフはこの交響曲について、以下のように述べているということだ。
「戦争が始まって、誰も彼もが祖国のために全力を尽くして戦っているとき、自分も何か偉大な仕事に取り組まなければならないと感じた。」
「わたしの第5交響曲は自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美歌の意味を持っている。」
そのような高貴な魂を持つ民族の軍隊は日ソ中立条約を破棄して北方四島を占領し、今でも紛争の種になっている。
プロコフィエフが戦争に対して本当にそんなことを考えていたのかはよくわからない。そもそも自由に発言することが許される国ではないだろう。
ロシアや中国や北朝鮮に生まれなくて良かったと言いたいところだが、この国に本当に言論の自由があるのかは最近、よくわからなくなって来た。
芸能事務所に忖度して性犯罪に対して沈黙していたメディア。権力者が亡くなってからカルト教団との関係が暴露される政界。
権力者が生きている間は報道機関は沈黙する。つまり現在は、現在の権力に不都合な事実は隠蔽されるのだろう。音楽や芸術がその手先になるのはどうかと思う。
生き延びることを最優先すべきだが、事実から目を背けなかったという点で「バビ・ヤール」のような曲を残して死んで行った作曲家の方が素晴らしくはないか? 
だが、作曲家自身の曲に対する言及にはどの程度、意味があるものなのだろうか? 
それが平時に生まれたものなのか、戦時中に生まれたものなのか、それはあまり重要ではない気がする。
作品は生まれ落ちた時から、作者の手を離れて独自の道を歩き始める。それは後の時代の価値観によって様々に都合よく解釈される。
そこに唯一の絶対的な姿があるのだと信じて、指揮者がその姿を血眼になって見出そうとしても、
その時代に生きている彼はその時代のバイアスを受けている自身を認識することはない。
そして作曲者が死んだ後も、指揮者や演奏者が死んだ後も、感銘を受けた聴衆が死んだ後も、曲は生き続ける。
私たちは切り取られたその一瞬を共有して満足して帰路に着く。それで十分かもしれない。