中島義道「働くことがイヤな人のための本」という本を読んだ。
なんてストレートな表題なんだろうと思った。
「・・・しかし、あなたは確実に死んでしまう。あなたはこの地上ばかりか、
この宇宙の果てまで探してもいなくなる。
そして生を受けたこのチャンスはたぶんただ一度かぎり。
もう二度とあなたが生きることはない。
こうした残酷な状況の中で、ではあなたは何をすべきなのだろうか?
生きるかぎり、働かなければならないとすると、
どのような仕事をすべきなのだろうか?」
そのような記述から始められる。
「どうせ死んでしまうことの意味を問いつつ生きる」という「虚しさや不条理」から
「目を逸らしてはいけない」ということが著者の伝えたいことであると感じる。
「人生において何らかの壁にぶちあたっている人」に対して
「もっと前向きに」とか「もっと明るいことを見て」といった言葉が
いかに欺瞞に満ちているかを語っている。
それは「前向きな人々」に対して私が日常的に感じていることと似ている。
彼らに共通していることは「考えても仕方のないことは考えない」という姿勢だ。
理由もなく生まれ理由もなく死んでゆくという不条理を
「前向きな人々」が直視することはない。
やがて自らの死が訪れることを認識するまでに発達した生物は
ある意味では不幸だと思う。
世界と一体になっている動植物とは違って人間だけが世界と分離してしまった。
あらゆるものに名前を与え、あらゆる事象の因果関係を理解しようとすることが
生存に役立つが故に進化はその方向に傾いたのだと思う。
しかしそのような「進化のいたずら」は
たかだか遺伝子の乗り物にすぎない生物に心を与え世界と分離させ
個体の死を認識させるまでに至った。
あるいは自殺という行為はこうした不条理の一面であるかもしれない。
中島さんも引用しているが自殺が哲学上の重要問題であることを指摘したのはカミュだった。
人生が「生きるに値しない」と結論してしまう人々が日本だけで年間3万人以上いる。
それが精神の弱さを示しているのか敏感さを示しているのか私は判断できない。
しかし「生きるに値しない」という結論に対して
「前向きに」という言葉が欺瞞であることは確かなことだろう。
仕事に生きがいを見いだせない二十代、三十代、四十代、五十代の代表である四人と
著者との対話という形式で話は進められる。
「働くことがイヤな人」は実はたくさんいるのではないかと思う。
しかし「前向きな人々」が支配する社会の中では
そのような事を口にすることさえ憚られる。
そして生物間の生存競争を引き合いにして努力の尊さを滔々と説き
「怠け者」の存在を決して許すことはないのだろう。
「ある意味では不幸」だが「別の意味では不幸ではない」と思っている。
つまり私は多くのことについて考えることができる。
死そのものについても考えることができる。
そこには安直な答などない。
なんてストレートな表題なんだろうと思った。
「・・・しかし、あなたは確実に死んでしまう。あなたはこの地上ばかりか、
この宇宙の果てまで探してもいなくなる。
そして生を受けたこのチャンスはたぶんただ一度かぎり。
もう二度とあなたが生きることはない。
こうした残酷な状況の中で、ではあなたは何をすべきなのだろうか?
生きるかぎり、働かなければならないとすると、
どのような仕事をすべきなのだろうか?」
そのような記述から始められる。
「どうせ死んでしまうことの意味を問いつつ生きる」という「虚しさや不条理」から
「目を逸らしてはいけない」ということが著者の伝えたいことであると感じる。
「人生において何らかの壁にぶちあたっている人」に対して
「もっと前向きに」とか「もっと明るいことを見て」といった言葉が
いかに欺瞞に満ちているかを語っている。
それは「前向きな人々」に対して私が日常的に感じていることと似ている。
彼らに共通していることは「考えても仕方のないことは考えない」という姿勢だ。
理由もなく生まれ理由もなく死んでゆくという不条理を
「前向きな人々」が直視することはない。
やがて自らの死が訪れることを認識するまでに発達した生物は
ある意味では不幸だと思う。
世界と一体になっている動植物とは違って人間だけが世界と分離してしまった。
あらゆるものに名前を与え、あらゆる事象の因果関係を理解しようとすることが
生存に役立つが故に進化はその方向に傾いたのだと思う。
しかしそのような「進化のいたずら」は
たかだか遺伝子の乗り物にすぎない生物に心を与え世界と分離させ
個体の死を認識させるまでに至った。
あるいは自殺という行為はこうした不条理の一面であるかもしれない。
中島さんも引用しているが自殺が哲学上の重要問題であることを指摘したのはカミュだった。
人生が「生きるに値しない」と結論してしまう人々が日本だけで年間3万人以上いる。
それが精神の弱さを示しているのか敏感さを示しているのか私は判断できない。
しかし「生きるに値しない」という結論に対して
「前向きに」という言葉が欺瞞であることは確かなことだろう。
仕事に生きがいを見いだせない二十代、三十代、四十代、五十代の代表である四人と
著者との対話という形式で話は進められる。
「働くことがイヤな人」は実はたくさんいるのではないかと思う。
しかし「前向きな人々」が支配する社会の中では
そのような事を口にすることさえ憚られる。
そして生物間の生存競争を引き合いにして努力の尊さを滔々と説き
「怠け者」の存在を決して許すことはないのだろう。
「ある意味では不幸」だが「別の意味では不幸ではない」と思っている。
つまり私は多くのことについて考えることができる。
死そのものについても考えることができる。
そこには安直な答などない。