140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#84マーラー交響曲第8番

2018-10-14 10:15:11 | 音楽
第461回定期演奏会〈ゲーテ『ファウスト』〉
マーラー: 交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』

学生の頃、ベートーヴェンの交響曲第3番の第1楽章とマーラーの交響曲第8番の第1部を繰り返し何度も聴いていた。
その頃はまだ何者でもなかったが、何者かになれる可能性があると信じていた。
それから長い年月が経過し、過ぎ去った時間と残された時間を勘案すると、何者かになれる可能性はなくなった。
開演十分前に着席する。周囲を見渡してみる。今日は満席だ。
階下を見下ろすと通常は客席の部分にまでステージが拡張され、大編成のオーケストラと合唱団を待ち構えている。
間もなく開演だ。ステージに合唱団のメンバーが続々と入場して来る。
横一列に並んだ人数を数えてみると三十人は超えている。それが十列以上あるので全体で三百人は超えているだろう。
もの静かに、礼儀正しく、男声、女声、児童合唱団、役割を持った人たちが入場して来る。列が揃うと着席する。
合唱団が揃った後に楽器を携えたオーケストラが現れる。その後にソリストが登場する。
まもなく日本でそう何度も演奏される機会のない曲が始まる。
指揮者を待つ沈黙。指揮者が登場する。壮大な曲の始まりを待つ間が空く。つめかけた観衆が息を飲んでいる。
タクトが振れ、オルガンの音が響き渡り、曲が開始される。聴き慣れた旋律が動き始める。
スピーカー越しの音と違って圧力がある。空気の粗密波がステージから遠く離れたこの三階席まで伝わって来る。
懐かしい音に初めて会ったような気持ちがする。
学生の頃の記憶が呼び覚まされると共に、新しい気持ちが奮い起こされているような気がする。
感動するとかしないとかではなく、理屈の通らぬ最も深いところへ音が直接的に働きかけて来る。
どういうわけだが、右眼から涙がこぼれて来る。暖かい液体が頬を伝って行く。
哀しいというわけでもなく、感動したというのではなく。
ただその場所にいてオーケストラとソリストと合唱団の方から発せられる音を浴びた結果として。
一種の連鎖反応として。