140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

貧しき人々

2009-10-22 20:18:13 | 
-----------------------------------------------------------------------------------------
厚生労働省は20日、国民の経済格差を表す指標である「相対的貧困率」を初めて発表した。
平成19年は15・7%で、7人に1人が貧困状態という結果。
算出を行った10年以降で最悪となった。
相対的貧困率は、一家の収入から税金やローンなどを除いた自由に使える「可処分所得」を
1人当たりに換算し、高い人から順に並べた場合の中央値の半分に満たない人の割合を出したもの。
最悪の水準となった19年は、年間所得の中央値が228万円で、
相対的貧困率の対象となるのは所得が114万円未満の人。この比率が15・7%を占めた。
-----------------------------------------------------------------------------------------
一人当たりの可処分所得が114万円未満であれば「貧困」らしい。
うちも「貧困」かな?
えへへ・・・

景気が底を打ったとか景気回復の兆しが見えるとか言われて久しい。
一方でEU・米国・日本の失業率は高水準のままで今後も上昇する気配がある。
競争率を高めるために固定費つまり人員を削減することがまかり通っている。
そしてようやく日本は「貧困率」を公表した。
自民党政権下では「貧困はない」とされていたので一定の進歩があったと言える。

一昔前の「1億総中流」と呼ばれた頃の社会のあり方には
個性がないという批判が込められてはいたが
所得の分配という面では今より平等な社会だったと思う。
今はリストラをすると企業の株が上がるような世の中だ。
日本なんか人口が減少しているのに職がない。
私も失業したら雇ってくれるところなんてないだろう。
結局は資源のない国でなんとか一生懸命やってきたのだけれども限界が来た。
一部のIT業者を優遇することで経済が活性化しないか試してみたが
それは単に一部のIT長者を生み出しただけに終わった。

もはや私たち自身には未来を築き上げる力がないようにさえ思えるのだ。
そして現状をひどくするばかりでなく
国債という形で次世代にも多くの借金を背負わせる私たちには
もう何も出来ることはないのだろうか?
・・・まだ教育が残されている。
私たちが出来損ないの世代であったとしても
その誤りを認めて次の世代に伝えることが出来ると思う。
そして私たち自身は人を固定費としてしか見ない社会のあり方を許してしまったことを反省し
「1億総中流」の良かったところを思い出した方がいいだろう。

しかし現実は厳しい。
出世欲に捉われた生き物が多数棲息する自由主義経済で
「貧困」や「平等」を語るものなどいない。
飼い慣らされた既存の労働組合を変えなければならないのかも知れない。
政権交代したけれども問題が山積みで将来像が全く見えない。
高速道路無料とかこども手当てなんて取り下げてもいいので
「貧困」をなくすことを優先してほしい。

しかし貧困とは対照的に「富裕層」も存在する。
私は犬を散歩させている人を見ると「この人は富裕層だな」と感じる。
私なんて犬飼えるような家には住めないからね。
「富裕層」があるから「貧困層」があるのだろうか。
強欲な連中がいるから「固定費」を絞られたワーキングプアーの貧困層が出てくるのだろうか。
歴史で学んだ「資本家による搾取」みたいなことが今も起きているのだろうか。
私たちは今を生きることで精一杯で自分の都合しか考えないことが多いのだが
将来を考える余裕なんてなく、将来に何も望んでいないのだろうか。
そして富める者は富を増やすことのみ考え
貧しき者は今日を生きることのみを考え
結局は誰の頭の中にも将来像なんてないのだろう。

「貧しき人々」はドストエフスキーの処女作。
彼の作品の中では短い方だ。