140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#109フォーレ レクイエム

2021-06-13 21:47:58 | 音楽
第491回定期演奏会〈鈴木優人のラテン〉
ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第8番
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
フォーレ:レクイエム 作品48

静謐。曲の始まりから終わりまで貫かれる静謐。
たった一人、何処かに取り残されてしまったような気分の中、淡々と曲は進行する。
でも、そんなに寂しくはない。誰もが通らねばならない閑散とした道を、ひたすら歩いているだけだ。
誰もいないようだが、人の気配がする。かつてこの世界に存在していた懐かしい人たち。
彼らに安息を。まだ生きている私たちはそう願う。
だが、彼らとは、やがて順番の訪れる自分たちのことに他ならない。
これを読んでいるあなたは、いつか死にます。その前にこれを書いている私が死ぬかもしれません。
死を前にした時の圧倒的な無力感は人を浄化してしまうものなのかもしれない。
いつも厳しい生存競争に晒され、互いを批判し、自己の正当性を大きな声で主張している。
十分な時間が過ぎてしまえば、誹り合ったことを後悔して許し合えるかもしれない。
余裕のない言葉に苛立ち、思いやりのない言葉に憤慨し、でもきっと自分も相手に同じことをしている。
そうではなくて、互いに認め合えることは出来ないのだろうか。今さら無理かもしれない。
今までに罪を重ねて来たフィールドで、なかったことにしてくださいという訳にも行かない。
たとえ自分と家族を守るためであったとしても。

そうしている間にも、残された時間は次第に減って行く。
父が亡くなってから、次は自分の番なのだという現実が平穏な暮らしの中でしばしば呼び起される。
死ぬまでにやりたいことはいろいろある。だが、生き延びるための仕事を続けなければならない。
年金の支給開始年齢はこれからも引き上げられ続けるから、きっと死ぬまで働かなければならない。
それって、生きているのではなくて、生き延びているだけ? なんて哀しい。
仕方がないと言って諦める?

どうしてこんなに静かな曲に心を揺り動かされるのだろうかと思案する。
静かであるから、余計に掻き立てられる何かがあるのだろうか?
合唱はマスクをつけて歌っていた。混声合唱団と高校のコーラス部で構成されていた。
彼らはこの時代をどのように見つめているのだろうかと思った。
だが、そんなことを言う前に、私は自分の為すべきことを為さねばならないだろう。
精一杯のことをしない人間は次世代に望みをつなぐ資格がない。