140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

脳研究の最前線(2)

2009-10-04 07:46:58 | 
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第3章 知性の起源[入來篤史氏]より
野生動物は、その過酷な生存環境の中で生命を維持するために、「状況」「主体」「行為」という
構成要素を一体化させてきました。そして、それらをほとんど自動的にかつ効率的に利用するために、
「行為」を行う主体と客体を不可分なものとして「意思」や「心」を想定することなく、
自然現象の一部として、「行為」を発現していました。
しかし、様相が一変したのは、ヒトの祖先が、外界の事物を手に持ち、そえを身体の延長として
動かそうと、道具の使用をはじめたときでした。
このとき、道具が身体の一部となると同時に、身体は道具と同様の事物として「客体化」されて、
脳内に表象されるようになります。
自己の身体が客体化されて分離されると、それを「動かす」脳神経系の機能の内に独立した
地位を占める「主体」を想定せざるを得なくなります。
その仮想的な主体につけられた名称が、意志を持ち感情を抱く座である「心」というものでは
ないでしょうか。
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道具の使用により「主体」つまり「心」が生じたと説明している。
それまでの動物には「動かす」ものがなく「動く」だけだったので「心」は不要だった。
そう言われるとそういう気もするが「心」の説明としては弱いと思う。
「主体」が「動く」場合でもヒトの「心」に似たようなものが生じると思う。
犬には犬の「心」、猫には猫の「心」があるのだと思う。
「知性の起源」というタイトルも過剰な期待を抱かせるが十分な答は用意されていない。
しかし道具の使用による手先の発達は脳の発達と強い相関があるのだと思う。

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第4章 言語の起源と脳の進化[岡ノ谷一夫氏]より
ホモ・サピエンスに直結する種は、歌をうたう霊長類であったのだろう。
そのような種では、双方向的な性淘汰により、すなわち、オスがメスを選び、
メスがオスを選ぶことで、雌雄ともに歌をうたっていた。
歌を学ぶことで大脳全体が大きくなり、その他の認知機構全般が発達した。
当初求愛の文脈でのみ用いられていた歌は、さまざまな場面でうたわれるようになった。
ある文脈でうたわれる歌と他の文脈でうたわれる歌との間に共通部分があるとすれば、
その部分と、文脈どうしの共通部分が相互に文節化され対応するようになる。
(文節化していく課程で、単語と文法が同時に生ずるのだと考えられる。)
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ジュウシマツのメスは複雑な配列を好むという特徴をもっていて
ジュシシマツはオスとても複雑な歌をうたっているそうである。
そういう性淘汰が働いている。
ヒトの祖先も歌をうたって双方向的な性淘汰により歌が複雑になっていった。
そして他の認知機構全般が発達することで歌は求愛だけでなく獲物を見つけたとか
敵がきたとかさまざまな場面でうたわれるようになった。
この歌が漠然とした意味に分解され、さらに漠然とした意味が単語や助詞に分解されることで
言語ができたという。
そうするとジュウシマツもいつか言語を持つようになるのだろうかと突っ込みたくなる。
しかし求愛から言語が生まれたというのもロマンティックな話ではないかと思う。

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