140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

三洋堂書店でレンタル

2009-11-29 18:57:53 | 音楽
久しぶりに三洋堂書店でレンタルした。
CD5枚とDVD1枚:合計1240円、CDは5枚借りると1000円になり、お借り得。

CD1枚目:小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ ベートーヴェン交響曲第九番
第九はCDで4枚持っている。コリン・デイビス、カラヤン、アバド、インバル
そういうわけでiPodの容量がいくらあっても足りない。
「サイトウ・キネン・オーケストラは、長野県松本市で毎年8、9月に開かれる
サイトウ・キネン・フェスティバル松本で臨時編成されるオーケストラ」で
この演奏は2002年のライブ録音。しかし臨時編成とは思えないほどすごい演奏だ。
2002年と言えば小澤征爾がニュー・イヤー・コンサートの指揮を務めた年で
控え目に言って一番有名な日本人なんでしょうね。

CD2枚目:ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 ヤナーチェク シンフォニエッタ/タラス・ブーリバ
1Q84のおかげですっかり有名になってしまったヤナーチェク。
私はシンフォニエッタと弦楽四重奏曲をCDで持っている。
もう少し開拓したいところだが同じ曲を借りても仕方ないか。
だってレンタルにヤナーチェクがあるなんて珍しくて・・・

CD3枚目:サイモン&ガーファンクル グレイテスト・ヒッツ
サイモン&ガーファンクルのベスト盤
以前はLPをレンタルして聴いていたが何となく懐かしくなり借りてしまった。
私はスカボロー・フェアとボクサーが好きだ。
ボクサーの歌詞に出てくるLie-la-lieというのは「嘘」のことなのか
それとも意味のないフレーズなのだろうか?
借りてきた歌詞カード読んだら後者のような気がしたが
昔は「嘘」と訳していたような気もする。
そうだとするとね。ものすごく寂しい歌だよ。

CD4枚目:いきものがかり My song Your song
中古でプラネタリム、気まぐれロマンティック、ブルーバード、
帰りたくなったよ、Happy Smile Againを持っている。
それらがこのアルバムにも入っているので何か半分ぐらい知っている曲だった。
彼らの素なところが魅力だ。

CD5枚目:初音ミク 初音ミクベスト-memories-
そういえばそんなのがあったなと思って借りた。
すっかり流行から遅れているがあまり気にしないタイプ。
これはどういう現象なのかを確認するのが目的かな?
聴いてみてヴォーカルとしての魅力は感じられなかった。
曲も普通でおもしろくない。
やはりこういうのは作曲したい人が趣味でやるものなのだろう。

DVD:宮崎駿監督作品 崖の上のポニョ
ようやく見ました。
世の中と1年ぐらいズレているかな?

QUEENの名曲のPVを松本零士が制作

2009-11-26 18:16:45 | 音楽
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QUEENのヴォーカリスト、故フレディ・マーキュリーの命日11月24日に東京・新宿バルト9、
大阪・梅田ブルク7の2つの映画館で開催された
【伝説のチャンピオン・スペシャル・メモリアル・イベント】でアニメ界の巨匠、
松本零士が手がけた「ボヘミアン・ラプソディ」の新PVの一部が公開された。

このヴィデオは、クラシックファンとして知られる松本零士が、
そのオペラ調の曲想に魅了されたというナンバー「ボヘミアン・ラプソディ」を、
連載中のデジタルコミック『銀のコーシカ』をモチーフにオリジナルの創作アニメーションとして
制作したもので、今年年末にモバイル・サイトで配信を予定しているという。
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松本零士さんと言えば
「銀河鉄道999」「キャプテン・ハーロック」「クィーン・エメラルダス」「我が青春のアルカディア」
などを立ち読みした。「宇宙戦艦ヤマト」だけは買いました。
テレビ放映していたのは「ヤマト」「999」「ハーロック」かな。
「ヤマト」と「999」は映画も見に行った。
「銀のコーシカ」?すみませんが見たことないです。

Queenと言えば
「Bohemian Rhapsody」「Another One Bites The Dust(地獄へ道連れ)」「Save me」「Radio Ga-Ga」
「We Will Rock You」「We Are The Champions」などが好きだ。
フレディ・マーキュリーみたいなヴォーカルはもう出てこないのだろうね。

松本零士さんとQueenは私の頭の中では別々のところに配置されていたが
この度、融合することになったらしい。
なんかおもしろそうだ。
わくわく。

そういえばREBECCAのNOKKOが10年ぶりに活動を再開するという。
NOKKOも好きなタイプのヴォーカルだ。
記事の中でREBECCAのことを「伝説的ロックバンド」と書いていた。
意味がわからん。

シュレディンガーの猫

2009-11-24 19:14:20 | 科学
光について
速度(c)
 c=νλ
 ν:振動数
 λ:波長
エネルギー(E)
 E=hν(=hc/λ)
 h:プランク定数
運動量(p)
 p=E/c(=h/λ)
 (∵相対論的なエネルギー・運動量・質量の関係はEE=ppcc+mmcccc
 ここでm=0だからEE=ppcc→E=pc→p=E/c)

電子について
エネルギー(E)
 E=mvv/2
運動量(p)
 p=mv
波長(物質波:λ)
 λ=h/p=h/(mv)
 (∵p=h/λ→λ=h/p)

正弦波(Ψ)
 Ψ=exp{i(2π(x/λ-νt)}

エネルギー(E)と運動量(p)の関係は
 E=mvv/2=mmvv/(2m)=pp/(2m)
EとPをνとλで書くと
 hν=(1/(2m))(h/λ)(h/λ)

ところで
∂Ψ/∂t=-i(2πν)Ψだから
 i(h/(2π))(∂Ψ/∂t)=i(h/(2π))(-i(2πc))Ψ=hνΨ
(∂/∂x)(∂Ψ/∂x)=-(2π/λ)(2π/λ)Ψだから
 -(hh/(2m))(1/(2π))(1/(2π))(∂/∂x)(∂Ψ/∂x)
 =(hh/(2m))(1/(2π))(1/(2π))(2π/λ)(2π/λ)Ψ
 =(1/(2m))(h/λ)(h/λ)Ψ=hνΨ
したがって
 i(h/(2π))(∂Ψ/∂t)=-(1/(2m))(h/(2π))(h/(2π))(∂/∂x)(∂Ψ/∂x)
 これが1次元の自由粒子のシュレディンガー方程式(波動方程式)
 電子が全空間(1次元だが)にわたって自由にのびのびとしている状態を示している。
 この方程式の解(波動関数)は、はじめに考えた正弦波(Ψ=exp{i(2π(x/λ-vt)})のことだ。

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電子の干渉について考える。
電子銃とスクリーンの間に2つのスリットを設けて
電子を発射するとスクリーン上で電子は粒子として観測されるが
たくさんの電子の到達位置を集計すると強弱のある干渉模様があらわれる。
到達した電子の分布はシュレディンガー方程式の解である波動関数の絶対値の2乗で
表される「確率」に一致する。
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ここでスリットの一方を塞いでしまうと干渉模様はあらわれない。
いったい電子の干渉という現象はどの時点で生じているのか?
非常識なことに1個の電子は同時に2つのスリットを通過しているというのが答えだ。
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例えば電子がスクリーンの上半分で観測された場合に毒ガスを放出するスイッチが入る装置を設け、
中が見えない箱の中に入れる。そしてその箱の中には猫も入れる。
1個の電子を発射すると何が起こるだろうか?
もし電子がスクリーンの上半分に到達すれば毒ガスが放出され猫は死ぬ。
もし電子がスクリーンの下半分に到達すれば猫は助かる。
猫の生死はいつ決まるのか?
電子がスクリーンに到達した瞬間に決まるのはあたり前だが
電子の位置を観測していなかったとすれば
箱のふたを開けて猫を観測した瞬間に猫の生死が決まるということになる。
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私は猫がかわいそうだと思う。
なぜ犬ではなくて猫なのか?
なぜ鼠ではなくて猫なのか?
なぜ兎ではなくて・・・

ところで
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東京大、京都大など旧7帝大と早稲田大、慶応大の9大学の学長が24日、
政府が事業仕分けなどで科学技術予算の削減を提案している状況に対し、
「世界の潮流に逆行し、さらなる国家の危機を招く」などとして見直しを求める共同声明を発表した。
有力大学の学長が共同で政策決定過程に発言することは異例だ。(毎日新聞)
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無駄と思えば無駄だ。
無駄なものみんな無くすのだったら初めから大学なんていらない。
無駄を許容する社会の懐の深さが大学の存在を可能にするのだと思うけれど
そんな懐の深さはもうないか。
科学する心もないなんて
不憫だな。

存在の耐えられない軽さ

2009-11-23 13:26:38 | 
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人生のドラマはつねに重さのメタファーで言い表される。
彼女に襲いかかったのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さだった。
・・・
歴史もまた個人の人生とまったく同じように軽く、耐えられないほど軽く、
綿毛のように、舞いあがる埃のように、
明日にも消え去ってしまうもののように軽いのだ。
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「存在の耐えられない軽さ」を図書館で見つけた。
「買わなければならない」としたら買わなかっただろう。本体2400円というのは結構な値段だ。
「借りれる」から借りた。

ニーチェの永遠の回帰やベートーヴェンの弦楽四重奏曲が引用されている。
現代の小説にはいろいろなものが引用される。
例えば村上春樹の作品にも様々な小説や音楽が引用される。
だから小説を読むには様々な予備知識が必要だ。
だがそうした作品に共通するのは引用される作品の方が優れていることだ。
「予備知識」の方が実は大切なことだったりする。

チェコの歴史小説として
あるいは普遍的な内容を持つ小説として
解説者は様々な美点を挙げる。
共鳴できない私は解説者の指摘する点を見落としていたのだろう。
しかし「それがどうした?」というのだ。
重いあるいは軽いという測定結果で表される人生観に深い意味があるとは思えない。
そしてこの小説の構造には音楽のポリフォニーが「小説的対位法」として見られるという。
それを小説に適用したのは新しいことかも知れないが
それほど大切なこととは思えない。

だが「勤労感謝の日」である今日
「私たちの存在は妙に軽いものになった」と真似てみたくなる。
尊い労働を行っているはずの私たちは、現代では固定費削減の対象としか見られていない。
「格差社会の中心で、友愛を叫ぶ」(http://diamond.jp/series/yuuai/10001/)では
労働者の悲惨な実態が語られている。

そういえばこんな言葉もあったな。
「人間一人の命は地球よりも重い。」
いつからこんなに軽くなったのだろう。
縦軸を命の重さ、横軸を年としてグラフを書こうと思ったら
対数の目盛りが必要になるかも知れないな。

空色の猫

2009-11-22 13:38:38 | 音楽
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心の中にある傷跡捨てられるとして
最初からそぅ苦しみのない生き方選ぶでしょうか...

溢れ出るやさしい歌を聴いて
空色の猫がゆく
彼の胸に響くたった一つの歌声をさがしてる
(GARNET CROW「空色の猫」より)
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空色の猫・・・
どんな猫だろう。
そんな猫がいたらいいな。
素敵な猫なんだろうな。

やさしい歌を聴いて
たった一つの歌声をさがしてる猫なんだよ。
きっとやさしい猫なんだよ。

彼は深く傷ついている。
苦しみのない生き方なんて意味ないけど
苦しみのない生き方を続けていると
心の中が傷だらけになり
心そのものも疲弊してくる。
彼は歌声を聴いて休まなければならない。

でも彼は回復するだろう。
だって空色の猫が歌声を見つけてくるんだもの。

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ほら空色の猫がまちを出る
初めての海へゆく
幻のような波の音に一日が暮れてゆく
いつかその影が寄り添うように
二つ並ぶといいね...yeah~
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空色の猫に会ってみたいな。
空色の猫に会えれば
いろんな事が
うまくいくような気がする。

時々訪れてくれるmajyonekoさんなら
空色の猫の居場所を
知っているような気がするにゃん☆

ウェーベルン

2009-11-20 19:58:37 | 音楽
Webernはドイツ語読みだとヴェーベルンで英語読みだとウェーベルン
Wagnerもドイツ語読みだとヴァーグナーで英語読みだとワーグナー
Webernはオーストリア人だしWagnerはドイツ人なので
どちらもドイツ語読みするのが正しいと思うが
英語読みに慣れてしまっているのでウェーベルンと書いている。

彼は新ウィーン楽派のひとりでシェーンベルクが創始した12音技法を駆使して
前衛的な音楽を作曲した。
彼の音楽は非常に短い。
そして独特の音色と間合いを持っている。
そこに強く引き付けられる。

多くの前衛的な作曲家がそうであるように
彼も生前は評価されなかった。
交響曲Op.21の初演では反応に困った聴衆が笑い出したという。
確かに1回聴いただけでこの曲の良さがわかる人はほとんどいないだろう。
私にしたって初めは???という感じだった。
いわゆる「交響曲」じゃないので本当に???な感じだよ。

それから彼はひどい死に方をしている。
1945年にオーストリア占領軍の米兵に射殺されたそうだ。

インバル指揮フランクフルト放送交響楽団のCDを聴いている。
インバルは私の好きな指揮者の一人だ。

時間

2009-11-18 06:25:30 | 
「時間論」という本を読んだが中身は相対論の説明だった。
光に近い速度で運動している場合や
強い重力が働く場合は
時間の流れ方が遅くなる。
そういうことが書いてあるだけだった。

たとえばヤマトは人類滅亡までに残された期限が1年の状況で
14万8千光年離れたイスカンダルを訪れて放射能除去装置を受け取り
地球に持ち帰る使命を委ねられる。
つまりは1年で29万6千光年を旅することになる。
ヤマトが光に限りなく近い速度で進むことができれば
時間の進み方が遅くなり14万8千光年の距離はローレンツ収縮で短くなり
ヤマト乗組員にとっては1年という時間で往復することができるだろう。
しかしその時彼らが見る地球の姿は
29万6千年後の姿だ。

相対論をSFに適用するとストーリーが成り立たなくなるので
そういう面倒なことは「ワープ」で解決することになっている。
でもそんなのウソ!

しかしヤマトと地球で時間の進み方が違うとしたら
なぜ宇宙の年齢は137±2億年と言われているのだろう。
・・・その数値は宇宙の膨張速度や宇宙背景放射から見積もられている。
現在の膨張速度は光速に比較して十分遅いので
私たちの銀河系や似たような銀河系で時間の進み方はだいたい同じと考えていいだろう。
ただし1回だけ宇宙の膨張速度が光速を超えたことがあると言われている。
(空間が広がる場合は光速を超えることが出来る。物体は光速を超えられない。)
そして私たちの太陽系や似たような恒星系ではそんなに強い重力が働いているわけではない。
ただしブラックホールでは強い重力が働くので時間の進み方が遅くなる。
だからブラックホール付近の年齢は137±2億年よりは若いだろう。
しかしこの137±2億年はどうやっても確認することができない。
面倒なので私のブログでは140億年としている。

それなら宇宙の始まりの前はどうだったの?
・・・と聞かれても困る。
量子力学的に「宇宙は無のゆらぎから生まれた。」と言う人もいるが
じゃあ「無のゆらぎ」が起こる前は?
で同じ話になる。
「時間そのものがない」ので「その前」というのはないのです。
地べたに張り付いて数十年を生きる三次元的な生き物には
「その前」というのは想像できないのです。
これで許して。

ところで私は宇宙人(知的地球外生命体)の存在は信じている。
なぜなら、私たちも普通に考えて宇宙人(知的地球内生命体)だからだ。
銀河系がいくつあるかもわからないほど広い宇宙において
地球と同じ条件が成立しない確率はゼロに近い。
しかし異なる知的生命体が出会う確率もゼロに近いと思っている。
それほど遠く離れている。

そういうわけで宇宙人の存在は肯定するがUFOの飛来は否定している。
だって母星を離れてわざわざ地球を訪れて何か得るものがあるだろうか?
帰ったら知っている人みんな死んでいるし文明も滅んでいるかもしれないのに
そんな恒星間航行をしようなんて考えないだろう。

なんとなく宇宙人の話を書いてしまったが時間の話に戻ろう。
たとえば時間について思うこと。
私の心臓が鼓動を打てる回数はあらかじめ定められている・・・
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たとえば明日がこないとしたら
僕が生きた過去も今も
ゼロになり
無意味な物になるのかな?
時間の上を立ち止まり君が問いかける

雪が溶けて消えるように
僕の命も終りがあって
だからこそ輝ける

僕らの見えない未来
強く生きて最後は笑っていたいから
(UVERworld「ゼロの答」より)
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時間の意味を知りたいというよりは
時間が限られているというところに納得がいかないのだろう。
「終りがあるからこそ輝ける」だって
格好いいことを言うね。
でもちょっと青いね。

それは納得できるものではないのだと思うが
納得できないからといって免除してもらえるものでもない。
不平を言うものも消え去り
そしてまた次の世代が同じようなことを繰り返す。

時間・空間・物質・力は互いに関連している。
そういう物理学が語る関係を知れば納得するようなことではない。
そうしていつまでも時間についての問いかけは続く。
問いかける主体がいる限り。

ノヴァーリス

2009-11-14 11:11:48 | 
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ドイツ初期ロマン派の代表的詩人。本名はフリードリヒ・フォン・ハルデンベルク。
1772年オーベルヴィーダーシュタットで貴族の家に生まれる。
イエナ大学でフィヒテに学んだ後、ライプツィヒ大学に学ぶ。
フリードリヒ・シュレーゲルと親交を結び、強い影響を受ける。
1794年ヴィッテンベルク大学を卒業はテンシュテットの郡役場で勤務。
同年12歳の少女ゾフィー・フォン・キューンと出会い、翌春婚約を結ぶが、
ゾフィーは病気のため2年後に死去した。
ゾフィーの死が以後のノヴァーリスの詩作に決定的な意味をもつものとなった。
そして詩集『夜の賛歌』で死への憧れを謳う。
1801年肺疾患のため29歳で死去。
代表作は他に『青い花』『断章』、長編小説『ザイスの弟子たち』など。
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ノヴァーリスの「青い花」を読んだ。
GARNET CROWの「君の思い描いた夢 集メル HEAVEN」という歌にでてくるので
興味をもったのだが、未完であり、形式もかなり自由奔放なものであり、
誰にでもオススメできる本ではないな。

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あの夢この夢 君にもみえるかな
青い花を咲かすノヴァーリスの扉を
明日が生まれるのは僕ら次第だって
世界がつながるよ
(君の思い描いた夢 集メル HEAVEN/GARNET CROW)
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無限を語るものとしてノヴァーリスを引っ張り出してきているのだろうか?
でも私は「時を超越した無限」なんてものをそもそも信じてはいないので
同調できない。
超越とか無限大とか特異点とかいうのは
あまり好きではない。

しかし29歳で夭折した彼の作品が200年以上も語り継がれるのはすごいことだと思う。
その彼に影響を与えた15歳の誕生日の2日後に亡くなった少女も。
彼らは確かにその時代を生きたのだ。

クオリア

2009-11-07 10:01:57 | 
茂木健一郎著「意識とはなにか」という本が図書館にあったので読んだ。
「クオリア」という言葉だけで一冊の本を書いてしまう才能には驚くばかりだ。
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クオリアは、一般的にさまざまな関係性、文脈が反映された認識の結果をユニークな質感として
把握する、脳/意識の働きであると言うことができる。「透明感」のクオリアは、ある空間的な
広がりの中の色の関係性を「透明感」というコンパクトな質感に反映させた結果である。
<あるもの>と<あるもの>が「同じ」か「違う」かという判断も、さまざまな関係性、文脈を最終的に
コンパクトな質感=クオリアに落とし込むことによって成立している。
私たちが、「同じ」、「違う」を近似的に判断する認知プロセスは、意識の中に立ち上がっている
クオリアのユニークさを把握するプロセスに支えられている。
さまざまな問題が、私たちの心の中で<あるもの>が<あるもの>であること=クオリアとして
把握されるメカニズムへと集約されていく。
クオリアは、脳の中で神経細胞が形成する関係性の中から生まれてくる。
この、関係性からクオリアが生み出される課程と、「同じ」か「違う」かという判断がなされる過程は、
おそらく同じである。
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あとがきも含めて222ページ全てこんな調子だ。
どこを読んでも同じようなことが書いてある。
10%ぐらいに圧縮できそうだ。
この人は他にも「クオリア」という名詞のついた本をいっぱい書いている。
どの本に書かれていることもだいたい同じだろうという気がする。

私たちの認知プロセスは主観的なものだから客観的に第3者が把握できないというのは
なるほどその通りで、客観性を求める科学的手法は通用しないというのはおそらく正しい。
だがその主観的なプロセスを認識しようとしている人にはそんなことはわかっているはずだ。

脳に関する本もいろいろ読んでみたが
新しい発見があるようでいて実は核心に全然近づいていないことに気が付く。
私の生きている間に解決するような問題じゃないんだろうと思う。
今こうして文章を書いていることもよく考えてみれば実に不思議な現象だ。
この不思議な現象を理解することなく死んでいくなんて
ものすごく不幸だな。

ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団

2009-11-01 17:59:12 | 音楽
レオシュ・スワロフスキー指揮
ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団
ベン・キム(ピアノ)
の演奏を聴きに行った。
不勉強なので指揮者もオケもソリストも全然知らない。

場所は愛知県芸術劇場コンサートホールで
メンデルスゾーン生誕200年の演奏を聴いたのと同じ場所だ。
このホールは作りがちょっと変わっていて
オーケストラの後ろにも客席が設けられている。
今回は正面の客席から見てオーケストラの右後方にある席にした。
どんなふうに見えるか
どんなふうに聴こえるか
少し興味があったので。
ピアノがちょっと聴こえにくかったが
指揮者の表情がよく見えて結構おもしろかった。

曲目は以下の通り
スメタナ:交響詩モルダウ
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
ドヴォルザーク:交響曲第8番
どの曲も「ベスト・クラシック100」には入っていると思われる名曲だ。

ピアニストはとても若く正直な演奏だった。
オーケストラは特に管楽器が素晴らしかった。
それぐらいでないとドヴォルザークの第8番は演奏できない。
ドヴォルザークと言えば交響曲第9番「新世界より」が有名だけど
私は第8番けっこう好きです。

このオケでブルックナーが聴きたいなぁと思いながら
会場を後にした。