140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#103ベートーヴェン交響曲第8番

2020-12-20 21:40:03 | 音楽
第485回定期演奏会〈「生誕250年記念 トリビュート・トゥ・ベートーヴェン」シリーズ/快活〉
シャブリエ:田園組曲
シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番 作品61
ラヴェル:クープランの墓
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 作品93

「自治体から発表されたガイドラインにおける「イベント開催制限の緩和」に伴い、
名フィルでは12月の主催公演から、演奏会場の座席数に対して収容率を
最大100%(前後左右を空けない客席)で開催いたします」ということだったが、
私の座っている3階のR席は、この日も左右の座席が空いていた。
クラシックはいつも三密回避ができているのだなあと友人は感想を述べていた。
別にいつもという訳ではないが、交響曲第8番はあまり人気がない。
第3番~第7番、第9番のように音楽の玄人でなくても肌で感じ取れるような、
サッカーのルールを知らなくてもマラドーナのプレイには魅入ってしまうのと似ている
論理とは程遠い音楽を超えた何か純粋なものが、ここにはないのかもしれない。
専門家にはよくわかることであっても、凡庸な聴衆には感じ取れない類のことかもしれない。
でも、第7番よりも第8番が好きだという人はあまりいないだろう。
本日の演奏会のタイトルにあるように「快活」という点で秀でているのかもしれない。
今の時代のように感染症と隣り合わせで生きて行かなければならない状況では、
「快活」に過ごすことも大切に違いない。
シャブリエ「田園組曲」を聴く。初めて聴く作曲家だ。
この曲には「快活」という言葉がよく当てはまりそうだ。
シマノフスキの曲も初めてだ。ポーランドの貴族として生まれたが、1917年に襲撃を受けて、
一家は経済的にも精神的にも打ちのめされてしまったと書いてあった。
この曲は「快活」と言えるだろうか。
甘美で少々退廃的な音をちらつかせながら、激しい情熱が迸ることもあり、
時には勇猛果敢になり、真っ直ぐに一点に凝縮された視点の先を見極めている。
そうかと思ったらいつの間にか静寂の中にたたずんでいる。
創作に憑りつかれた芸術家は不幸や困難に巡り合おうとも、尊い何かを残してくれる。
個人的な不幸や困難があっても、コロナ禍の中も何か求めてコンサートホールにやって来る。
いつも何かをもらって帰っている。