140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#80マンフレッド交響曲

2018-05-25 22:57:42 | 音楽
第457回定期演奏会〈バイロン『マンフレッド』〉
モーツァルト: ホルン協奏曲第1番ニ長調 K.412+514(386b)
モーツァルト: 歌劇『皇帝ティートの慈悲』 K.621 序曲
モーツァルト: ホルン協奏曲第4番変ホ長調 K.495
チャイコフスキー: マンフレッド交響曲 作品58

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あらすじ
アルプス山脈のユングフラウの城郭を舞台にマンフレッドと魔女、聖霊たちの形而上学的対話が展開される。
人間でありながら、神ほどの万能感を獲得したマンフレッドは、愛する人を失うという過去を持つ。
その悲痛な記憶を失いたくて、精霊を呼び出して、「忘却」をくれ、と要求する。精霊たちは、それはできないと言う。
「獲得」は自由なのに「喪失」は思いのままにならぬと悟ったマンフレッドは、
「喪失」の最高形態である「死」の問題に立ち向かうのであった。
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「マンフレッド」でググるとそういう説明があった。
読んだことはない。読んでみようかと少し考えたが、いまさら形而上学というのもどうなのだろう。
プラトンとキリスト教が共謀して、精神とか自由意志と呼ばれるものが異様に高い位置にあり
自然を改変して競争を生き抜いて行く科学と民主主義が重宝されるようになった。
精神性に対する賛美は、哲学、形而上学が最上のものであるという妄想につながって、
身体を離れた観念に閉じた思索が展開されていた時期が続いたが、
やがて脳とか精神とかいうのは身体の一部にすぎないという事実に気付く賢明な人々が現れた。
知性を駆使すればこの世で理解できないものはないという思い込み、
忙しくても時間を作って本を読んでいけばいずれはあらゆる現象を理解できるに違いないという期待、
このブログの主要な記事を読んだなら、その思い込みと期待が次第に打ち砕かれていったことに気付くかもしれない。
私は無知な自分をいずれは変えることができると信じていたが、たいして賢くもなれないのだと悟った。
知性にしても感性にしても、人間の取り分を少しずつ拡大して行くといった作業が続いている。
その作業を地道に続けていったとしていつになったら満足できるのだか。
そんなことを考えている間に寿命も尽きてしまうだろう。

チャイコフスキーの作品の中ではそんなに好きな方ではない。
最も高い評価を受けている第六番のような圧倒的なものは感じられない。
その第六番「悲愴」は日常的に聴けるような曲ではないので、第一番「冬の日の幻想」を聴く機会が多い。
長い冬を耐え忍んだ人々が春の訪れを待ちわびる気持ちと、
若い頃の希望に満ちた作曲家がとても丁寧に自分の第一交響曲を書いている姿が重なって
それも私の勝手な思い込み、幻想にすぎないのだけれども、それも含めて何だか満ち足りた気分になる。
そういう要素が、憧憬とメランコリーの共存というようなものがこの曲ではあまり感じられない。
あのチャイコフスキーが残した曲だから、そう思って聴いている。

木綿のハンカチーフ

2018-05-02 18:33:04 | 音楽
鶴舞公園の野外ステージでフォークソングのコンサートがあった。
事前に知っていたわけではなく、バラ園に沿って並んでいるベンチに座って、
記憶領域が32GBしかないパソコンを叩いている時に背後からギターをかき鳴らす音が聴こえて来たというのが実態だ。
いつもならそのステージに立つ人はいなくて、客席では牌を並べた四人組が麻雀をしていることが多い。
いや、麻雀をする人たちはその時もいたが、遠慮しているのかいつもよりはずっと後ろの席で打っていた。
吉田拓郎の隠れファンである私は、フォークソングなんて今頃やっている人がいるんだと思いながら、
かつては反戦を歌っていたものが今では反原発になっているという微妙な変化が気になったり、
いつの時代にも社会に適応しきれない自分を誇らしげに感じている気持ちを隠そうとしない人間がいることなど、
そういうのをずっと聞いているのもどうかなと思ってステージの方には向かわずにベンチにいた。
ステージから幾分離れたこの辺りでは、演奏の順番が近付いてきたグループが練習している場合があり、
私の隣のベンチではウクレレを持った男女のデュオが「守ってあげたい」の音を合わせていた。
それからしばらくして、書き物に行き詰った私は奏楽堂の辺りを歩いていたのだが、
その時、先ほどのウクレレの音が聴こえてきて、曲はオフコースの「秋の気配」(名曲です)
なんというか歌いにくそうな曲ばかり選曲するデュオなんだなあと思って、
でも気になって駆け足で野外ステージへと向かった。
私がステージに着いた時には二曲目の「守ってあげたい」の演奏中だった。
練習の時に聴いた声に比べて幾分かすれていると思った。
そして三曲目は「木綿のハンカチーフ」だった。

変わらないものを大切にしようとする彼女と変わることから逃れられない都会で暮らし始めた彼とのすれ違い。
彼女が振られたのかと思ったが、彼女は変わって行く彼には全然関心を示さなくて、
記憶の中に大切にしまい込んでいる彼の姿を追い求めているのであって、
そうすると変わってしまった彼は彼女にとって何の価値もないのかもしれない。
彼は流行りの指輪やスーツで彼女をこちらの世界に引き込もうとするが彼女は一向に関心を示さない。
「恋人よ」と「いいえ」の音階が二人のすれ違いの象徴のようだ。
下降する「いいえ」は彼女の否定が極端に強いことを示しているようだ。
そして歌詞に頻繁に現れる繰り返しは、彼らが二人とも譲らないことを示しているようだ。
純情な気持ちの裏でのお互いが良いと思うことの押し付け合い。
そういうことが人生のあらゆる局面で現れることを知っている私たちは、
わずか数分に凝縮されたこの曲の歌詞とリズムの価値にただ驚くしかない。
特に椎名林檎のカバーはそんな感じに聞こえる。
<木綿のハンカチーフ>