140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#133ラヴェル クープランの墓

2023-10-22 11:19:55 | 音楽
第516回定期演奏会〈新しい音楽の継承〉
ラヴェル[作曲者,J.F.タイヤール編]:クープランの墓(全6曲版)
マルタン:3つの舞曲
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲
ホリガー:アルドゥル・ノワール(黒い熱)-ドビュッシーの「燃える炭火に照らされた夕べ」による
ドビュッシー:海-管弦楽のための3つの交響的素描

墓(Tombeau)というのは、故人を追悼する器楽曲のことを指しているらしい。
そして作曲者が追悼しているのはクープランではなくて、第一次世界大戦で犠牲となった彼の知人たちのことらしい。
かつて存在した人たちが、この大地から姿を消してしまった事実をいつまでも受け止められず、ただ呆然と立ち尽くしている。
胸にぽっかり空いてしまった穴を塞ぐ物をずっと探している。死を知った時の感情の昂ぶりが通り過ぎてしまってからは、ただ空虚だけが残る。
この曲は、そんな抑圧された哀しみを綴る音楽かもしれない。
戦争が原因でなくても、いつか人間は死を迎える。死にたくない、意識を持つ者が何故、黙って死を受け入れなければならないのか、
その不条理を訴えかけたところで誰も答えてはくれない。ただ墓標を訪れて、花を供えることくらいしか私たちにできることはない。
そこにはただ静かに風が吹いているだけかもしれない。そんな時にふと、何か超越した存在に包まれる気がする。私たちは何度も生き死にを繰り返している。
かつて存在した者が死に、その身体を構成していた有機物はばらばらに分解され、目に見えない分子に戻る。同じ分子は何度も生き物の身体に使われる。
そしていろんな動物や植物を経由して来た分子は今、私の身体を構成している。
一瞬のうちに私は何千年もの、何万年もの間に起きたことを体験したような気持ちになる。
そこでは故人も笑っていた。酒を酌み交わしながら朝になるまで私たちは語り合っていた。
懐かしい思い出か、それともただの空想なのか、死が遠くなるにつれて何が本当にあったことなのかさえ怪しくなる。
空は相変わらず空のまま、私たちを見下ろしている。雲はあの時の雲ではないかもしれないが、そこに存在している。
決して死ぬことのない空と雲と大地を前にして、私たちはすでにいなくなった故人を偲んでいる。
そして次は自分の番であることを自覚している。

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