140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

音楽家と哲学者

2011-07-31 00:11:35 | 音楽
アファナシエフ演奏のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30~32番を聴いた。
私は指揮者で言えばインバルとピアニストで言えばアファナシエフと相性が良い。
インバルより優れた指揮者はたくさんいるだろうし
アファナシエフより優れたピアニストもたくさんいるだろう。
彼らの何が私を惹きつけるのだろう?

私が思うに彼らは音楽家であるとともに哲学者なのだ。
細部に至るまで徹底した解釈があり私は無条件に同意してしまうのだ。
インバルがマーラーの交響曲を演奏する時には「マーラーとは何か?」を提示する。
アファナシエフがベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタを演奏する時には
「後期のベートーヴェンとは何か?」を提示する。
私は楽曲の魅力を感じると共にもっと普遍的なものを感じる。
彼らはそういうタイプの音楽家なのだと思う。

音楽が表現するものは抽象的だが
音楽は他のどのような表現手段にも増して直接的に語りかけてくる。
彼らはそのようなことを熟知しているのだろう。
それは作曲家が意図したものだろうか?
彼らの取り組み方を見る限り
そうだと言える。

哲学の謎

2011-07-30 10:00:57 | 
野矢茂樹「哲学の謎」という本を読んだ。
難しい話をしようというものではなく日常に潜む「謎」の姿を
対話形式で浮かび上がらせようという感じの本だ。

「―――じゃあ、「時が流れる」というのはどうなんだろう。
われわれはそういう言い方をするよね。」
「言うね。」
「―――しかも、時間の経つのが速いとか遅いとか言う。だったら、時間の経つのが
うんと遅くなって止まってしまってもよさそうなものだけど、それはおかしい。」
「・・・時間が流れるとして、その流れの速さはどれくらいなのだろう。」
「―――そりゃ、まあ、時速一時間くらいじゃないの?」
「冗談だよね。」
「―――うん。」
という感じで適当にボケているが
単純な問いであればあるほど難しいものだと思う。

この問いかけに対しては
「―――世界の在り方、物やできごとだけを考えていたのでは時の流れは出てこない。
そこに籠められた見る側の在り方、世界の見方やそれに対する態度こそが、
時を流すだろう、ということ。」を述べている。

実際に私たちが生きているのは「現在」であり「過去」や「未来」は空想だと思う。
エピソード記憶を蓄積し自己同一性を保っているヒトが「過去」を生み出した。
記憶していることはかつてあったことなのだ。
そこで「過去」から「現在」に至る時間の方向性が生じたのだと思う。
そして経験や学習により最適な行動を行うべき「未来」が生み出された。
絶え間なく訪れる「現在」の連続は「未来」で置き換えることが出来る。
そこで「現在」から「未来」に至る時間の方向性が生じたのだと思う。
時間の流れはそのようにして生じたのだと思うが本当に流れがあるわけではないだろう。
粒子の運動は波動方程式に従うだけで粒子は「過去」も「未来」も知覚しない。

「―――私が『赤』と呼ぶ色は、彼が『赤』と呼ぶ色と同じだろうかと君は自問したね。
でも、「同じ色」っていうのが、例えば「両者を比べて差がない」といったことなら、
まずいんじゃない?」
「どうして。」
「―――だって、君の見ている色とぼくが見ている色を見比べることなんかできないでしょう。
ぼくがそれを見比べようとしたら、両方ともぼくの見ている色になっちゃう。」
「なるほど、すると「私の見ているこの色」と「他人の見ている色」を見比べることはできず、
両者の異同を述べることは論理的に不可能ということか。」
「―――うん。」
「では、私の知覚世界と他人の知覚世界とは比較不可能なのだ。それは完全に断絶している。」
「―――あらら、自閉しちゃった。」

知覚世界の自閉ということで上記の対話が書かれているが
知覚という主観的な現象と比較という客観的な行為は相容れない。
「私が赤い色を見る」ということと「彼が波長610~750nmの光を赤い色と呼ぶ」ということ
つまり一人称の記述と三人称の記述がどのようにして結びつくのだろうかということは
ラマチャンドランが「脳のなかの幽霊」で書いていた。
あるいは「赤い色のクオリア」と言って何か新しいものを発見したつもりの人もいた。
単純に考えて私たちは「知覚する」ということを理解していない。
それは脳の中で自然に生じる現象であるのに
よくわかっていないのだ。

そんな感じで文章は簡単だが「謎」について
たくさん書かれている。

とりとめのない話

2011-07-29 21:25:22 | Weblog
「彼らは、一度埋めた車両を掘り出した。」
ふーん。そうだったのか。画期的というか信じられない。中国らしくない。
日本を敵国とすることで自国の不満をかわす戦略は
「なでしこJAPAN」の活躍で通用しなくなったのだろうか?
新幹線だけでなく何をやっても日本の真似をしてしまう自分達に愛想が尽きたのだろうか?
「恥の無い世界に住んでいる2ちゃんねるの住民」に代わって
彼らが恥を感じるようになったのだろうか?
そうすると進化しているのは彼らで退化しているのが私たちということか。
確かに投票権付きのCDを何枚も買わせるなどという商売は「恥の文化」からは生まれてこない。
許せ!ルース・ベネディクトよ!日本は変わりすぎた。
しかし一方では「恥の文化」に変わる潮流が生まれている。
村上春樹の文学や武満徹の音楽は世界中で認められている。
マンガとアニメとゲームだけが得意なわけではない。
ちなみにゲームは衰退期に入りつつあるように感じる。
3DSの値下げと通期予想の大幅下方修正で任天堂の株価はストップ安でボロボロ
ソーシャルゲームに押されているというのが市場の評価
「Wii Uは理解されていない」と社長は嘆いているが
「理解してあげなきゃいけない製品」を売ろうとするなと言いたい。
任天堂は自らの驕りで自滅している。
イノベーションがどうのこうの言う例のオッサンも
ここまで凋落するとは思っていなかっただろう。

中国の話がいつの間にか任天堂の話になっている。反省・・・
それで中国は本当に変わろうとしているのだろうか?
人口が多すぎる国は独裁でしか統治できないと思っていたが違うのだろうか?
しかし日本の政治の迷走や米国債上限に関するアメリカのチキンレースや
盗聴が組織的に行われていたと告発した記者が死亡したイギリスを見ていると
私たちが中国の何を批判できるのだろうかという気もする。
民主主義の腐敗や機能不全を目の当たりにして私たちは何もできない。
政治を批判することで国民の溜飲を下げようとするメディアに同調して
我が身の不幸を嘆くばかり・・・

中国のことをあれこれ言うより自分達の問題を解決しなければならないのだろう。
しかし私たちはどういう問題を抱えてしまっているのだろうか?
他人のことをとやかく言う前に「恥」を感じなくなったことを反省すべきだろう。
そしてヤクザのような言動を行う人物を抜擢する人事も恥ずべきだろう。
尊敬できる人物がいないというのは誠に哀しいことだと思う。
しかし一般的な日本企業の実態としては当たらずとも遠からずといったところだろう。
つまりは矮小化した人間が増えている。
この有り様をニーチェが見たら嘔吐していることだろう。
しかし矮小化した人間なんていつの時代にも存在したのではないかと思う。
今に限った話ではない。結局はそういう人間たちとの戦いになる。
だが「海辺のカフカ」の大島さんではないが
そういう人間たちといちいち争っていたのでは自分が消耗するだけだろう。
そして私は口を閉ざした。とても長い間・・・

伊良部さんが亡くなったそうで哀しみが不意に訪れる。
彼のファンだったわけでもないが悲しい。
何をしたら良いかわからなくなってしまったのではないかと感じる。
そういう人は世の中にはたくさんいるのだと思う。
それでもね。生き延びてほしいんだよ。

島耕作になれるのは3人だけ

2011-07-27 23:11:38 | Weblog
「現代において、『高校・大学を出て大手企業の課長になる』という「日本の平均的
サラリーマン」は、100人のうち3人もいない。つまりサラリーマンとして出世を
めざす人がマジョリティの時代は、実はとうの昔に終わっているのだ。」
島耕作になれるのは100人中3人だけ!

島耕作も課長ではなく社長になってしまったからな。
100人中3人ではなくて10万人中1人ぐらいかもしれない。
いずれにしても私は島耕作の生き方が嫌いだ。
ビジネスに専念して死んでいくという生き方がキライだ。
私は学生の時にビジネスに専念できない人間になってしまったのだと思う。
世界の広さや深さや多様性を目の当たりにして単一の価値観で生きてゆくことが
出来なくなったのだと思う。そして出世する人は極めて盲目的な人だと感じている。
彼らは哲学や文学や音楽のことを何も知らない。ビジネスには関係ないからだ。
ドラッカーやコヴィーには興味を示すが彼らの著作がそれほど優れたものだろうか?
本当に優れた書物に出会ったならば打ちのめされてしまうだろう。
私がドストエフスキーに出会った時はそうだった。

しかしニートが良いとも思わない。親に寄生した生き方は推奨できない。
身に着けたスキルは時代遅れになってゆくが
だからといって何もしないのが良いわけではない。
何でも良いから稼ぐという厚かましさが必要だと思う。
生き延びるためには何かしなくてはならない。
何もしないニートは親が死んだら一緒に死ぬのだろう。
宿り主が死んだら寄生虫が生きてゆけるわけがない。

結局のところ課長もニートも哀しい生き物なのだろう。
「幸せ」だとは言い切れないという意味で・・・
私は好きなことが書けて「幸せ」なのかもしれない。
なんとなくそう思う。

バカな後輩ばかりですんません

2011-07-27 21:57:55 | Weblog
日大はツイッター入門を必修にすべき?!
分数の計算が出来ないとか九九もわからない大学生がいるらしいが
そんなのはカワイイ部類なのだろう。
実名が割り出されるとは考えもせず犯罪行為をツイートする。
大学の先輩は本当に可哀想だな・・・
昔は「若気の至り」で済んだこともネットに公開されると看過できなくなる。
そういう意味では今の学生には一層の分別が求められるのだろう。
現代ではプライベートな空間は徐々に無くなってきている。
ソーシャルに参加しようとすると必然的にそうなる。
生まれた時から便利な道具が身近にあった世代には
わからないことかもしれないね。

中国人が高速鉄道に・・・

2011-07-27 21:30:30 | Weblog
「中国北京在住のネットユーザーが、「もう高速鉄道の安全性は信用できない」と
ばかりに、フルフェイスのヘルメットを被ったまま乗車して話題になっている。」
中国人が高速鉄道にフルフェイスヘルメット着用で乗車

これは釣りだと思うが気持ちはわかる。
「真相が明らかになることを切に願う」といっても事故車両は既に土の中・・・
もう少しコソコソと隠蔽してほしいのだが堂々と証拠隠滅するところがスゴイ。
こんな国に勝とうとするのは間違いだわ・・・

死刑復活を求める声

2011-07-27 18:06:31 | Weblog
「ノルウェーでは死刑が廃止されており、同容疑者が訴追されているテロに関する罪を
含め、通常の罪の場合、最高刑は禁錮21年。今回のテロを受け、国民の間からは
死刑復活や終身刑の創設などを求める声が出ている。」
禁錮30年の適用を検討 ノルウェー連続テロ

日本だと二人殺せば死刑になる確率が高いがノルウェーには死刑も終身刑もないらしい。
しかしあれだけの惨事を起こしておいて禁錮30年は軽いと思う。
法治国家は遺族から復讐する権利を取り上げているわけだから
それなりの量刑を科して当然だと思う。
しかし人道的な弁護士は死刑制度そのものが殺人だと言う。
殺人は良くないと言いながら容疑者を死刑にするのは殺人を認めていることになるから
矛盾していると彼らは考えている。
私も矛盾していると思うが理性的な考え方が感情に優先する必要もないと思う。
被害者の無念と遺族の心情が優先されるべきだと思う。
それで野蛮な民族と呼ばれても私は気にしない。

「自然エネルギーか原発か」という議論の不毛

2011-07-26 19:53:23 | Weblog
「18世紀にイギリスで産業革命が起こる前は、世界は水車を動かしたり、風車を利用したり、
馬や牛を使ったり、薪を燃やしてエネルギーを得ていた。まさに自然エネルギーだけで
世界は運営されていた。
自然エネルギーしかもたなかった世界が、産業革命で化石燃料を見つけ、使い始めた。
それは圧倒的なエネルギー量を持っており、効率もものすごくよかった。これで世界は
変わった。現代の社会はここから始まっている。
自然エネルギーから化石エネルギーに移行したことで、従来とは比較にならないくらい
効率的で巨大な産業が可能となり、生活水準があがり、栄養、衛生、医療環境が飛躍的に
向上して平均寿命が延びた。そして世界の人口は当時の10倍まで増えた。
化石燃料も使わずに自然エネルギーに戻るなんていうのは、産業革命以前の人口の世界に
戻りましょうという話であり、現実的にあり得ない。」
「自然エネルギーか原発か」という議論の不毛

産業革命以前の世界に戻ることは有り得ないらしい。
酸素を利用することで運動能力を飛躍的に高めた生物と同じように過去には戻れない。
進化とか進歩と呼ばれるものは一方通行らしい。
一度それに馴染んでしまうと生活の一部となってしまう。
私はパソコンが無くても生きていけると思うが
iPod無しで生活してゆく自信はない。
そういうわけで宮崎さんのように産業文明を否定する資格はない。
レコードを聴きまくっている村上さんも同様に資格がないと思う。
逆に考えると産業文明のおかげでいろんな曲が聴けるということになる。

そして確かに化石燃料は電力を生み出すだけのものではない。
プラスチックなどの素材にたくさん使われている。
そういうものを見直した方が良いかもしれない。

しかしこの文章どこかおかしいんだよね。
「自然エネルギーで現在の社会を維持するのは無理。(質素な生活をすればいい、
というレベルではなく、人口の大半が維持できない=死ななくてはならない)」と
書いておきながら
「全エネルギー需要の9割近くは化石燃料であり、化石燃料は今後 2~300年は
無くならない」と書いている。
これらの文章を連結すると「今度300年以内に大半の人間は死ななくてはならない」と
いうことになってしまうのですが・・・

ちきりんさんはズバリ人類の滅亡を予測しているわけだ。
でも300年先のことだから関係ないと書いているわけだ。
その時には化石燃料や他の資源の奪い合いになり
20世紀のホロコーストを超える事件が起こるかもしれない。
資源の乏しくなった未来はどこまでも暗い。

それで「エネルギー政策の意味がわかっていない」と・・・
私は多分わかっていないのだろう。
iPodが動けばいいだけですから・・・

円高

2011-07-25 21:03:53 | Weblog
日本国債の発行額も相当なものだと思うが
ドルとユーロの信頼性はそんな円にも劣るということなのでだろうか?
確かに日本はギリシャほどの公務員天国でもなく
アメリカみたいにフードスタンプを当てにしている「太った」低所得者層もいない。
しかし仮に米国債がデフォルトを起こしたら世界中で金融パニックになり
私たちも巻き込まれてしまう。

国が借金を抱えるという仕組みは民主主義などと称している政治システムに
内在しているものだと考えられる。
公務員がおいしい思いをしたりバラマキや減税で国民の支持を集めるために
国債が発行される。

それはインチキではないかと思う。
個人が消費者金融で借りるのは悪くて国家が借金するのは悪くないのか?
景気を良くするためとかいいながら結局は楽な選択をしている。
紙切れを印刷しただけでみんながハッピーになれるわけがない。
誰かが後始末をしなければならない。

その誰かとは「私たち」かもしれないし「私たちの子どもたち」かもしれない。
矛盾を抱えたシステムはいつかは破綻する。
それで詳細な事情は異なるだろうが各国が同じようなことをしている。
そして私たちよりも先にギリシャやアメリカがハジケようとしている。
どこかがハジケると金融システムで連鎖反応が起こって
信用不安が拡大して収拾がつかなくなる。

その先は世界恐慌だろうか?
どんな賢い人たちが国家を動かしているのか知らないが
誰もが想定する最悪の事態を避けられないのであれば
あまり賢いとは言えないね・・・

ドル安ユーロ安は演出されているだけかも知れないね。
どの国も輸出産業を強くしたいので自国の通貨は安くしたい。
そのために格付け会社とグルになっているのではなかろうかと・・・
日本も格付け会社を作って日本国債の危機感を煽ると良いと思うのだが
やっぱりあまり賢くない・・・

ハイドン弦楽四重奏曲

2011-07-24 00:10:18 | 音楽
ハイドン弦楽四重奏曲全集 エオリアン四重奏団(22CD)
マルチバイ特価(税込)4,550円を買った。1枚あたり200円ぐらいか?
iTunesに入れると2.79GBになった。
偽作は除いているとのことで数えてみると69曲あった。
Wikipediaを見ると68曲が正確なところらしいが
この全集には弦楽四重奏用に編曲された「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」が
最後に収められている。

一般に弦楽四重奏曲といえばベートーヴェンの16曲、バルトークの6曲、
ショスタコーヴィチの15曲が多い方だと思う。
ブラームスは20曲ぐらい破棄したと言われていて残ったのは3曲しかない。
ベートーヴェン以降は交響曲も弦楽四重奏曲も迂闊にかけなくなったと
いうことになるのだろう。

ハイドンは「交響曲の父」であり「弦楽四重奏曲の父」である。
多くの交響曲と弦楽四重奏曲を残している。
しかしあまり人気がない。
私にしてもハイドン以外の弦楽四重奏曲をだいたい聴いてしまったので
今回の購入に至ったのだと思う。安かったし。
それでハイドンの良いところは何かというと「楽に聴ける」ということでは
ないだろうか。しかしCD22枚分を聴くのは量的には容易ではない。
一通り聴くのに二日かかった。

弦楽四重奏曲第77番の第2楽章は神聖ローマ皇帝フランツ2世に捧げた
「神よ、皇帝フランツを守り給え」の旋律を用いている。
このメロディーは「ドイツの国歌」となっている。
結構いい感じの国歌でうらやましい・・・
私だってハイドン作曲の国歌だったら喜んで歌うだろう。samfree作曲でもOKだ。
「君が代」は歌詞の解釈以前に著しく音楽性に欠けていると思う。
そんなものを喜んで歌うのは都知事と府知事ぐらいだろう。

現代と違ってハイドンの時代はゆっくりと時が流れていたのだと思う。
テレビも原発もツイッターもブログもない静かな時代
そして人々は穏やかな時を過ごしていたのだろうと
勝手に想像している・・・