ちくま文庫 芥川龍之介全集8を読んだ。
本書には紀行・日記・詩歌・文芸講座・講演が収められている。
1~7巻に比べるとあまりおもしろくはないのだが、
小説家のあまり知られていない側面に興味があれば読んでみては如何かと思う。
「文芸鑑賞」に書かれていることによると、
「鑑賞の上にもそれ相当の訓練を受けることが必要であります」ということだ。
天才も「驚くべき短い時間の驚くべき深い訓練」によって作られるのだという。
凡人はもっと訓練しなければならないとは頭が痛い。
その訓練が実用的には何ら役に立つものではないということがよくわかっているなら、
きっと訓練を受ける資格があるのだろう。
すでに足を突っ込んでいるかも・・・
【文芸鑑賞】
488ページ
文芸上の作品を鑑賞する為には文芸的素質がなければなりません。文芸的素質のない人は
如何なる傑作に親んでも、如何なる良師に従つても、やはり常に鑑賞上の盲人に了る外は
ないのであります。
489ページ
では文芸的素質さへあれば、文芸上の作品を鑑賞することも容易に出来るものかと言ふと、
これはさうは行きません。やはり創作と同じやうに、鑑賞の上にもそれ相当の訓練を受けることが
必要であります。尤もつともダンヌンツィオは十五の時に詩集を出したとか、池大雅は五つの時に
書を善くしたとか言ふやうに、古来の英霊漢は創作の上にさへ、天成の才能を発揮してゐます。
が、これは天才と称する怪物のことでありますから、我々凡人は気にかけずともよろしい。
のみならず彼等の早熟は訓練を受けなかつたと言ふよりも、
驚く可く短い時間の中に驚く可く深い訓練を受けたと言ふ方が妥当であります。
すると我々凡人はいやが上にも訓練を受ける覚悟をしなければなりません。
491ページ
成程鑑賞出来る美は必しも創作出来ないでありませう。けれども亦鑑賞出来ない美は到底創作も
出来ません。この故に古来の英霊漢は鑑賞上の訓練を受けた上にも更に又訓練を重ねようとしました。
それも文芸上の作品の鑑賞ばかりではない、屡美術とか音楽とかにも鑑賞上の訓練を加へた上、
その機敏に捉へ得た所を文芸上の創作に活用しました。殊にゲエテの一生は
かう言ふ芸術的多慾それ自身であります。
本書には紀行・日記・詩歌・文芸講座・講演が収められている。
1~7巻に比べるとあまりおもしろくはないのだが、
小説家のあまり知られていない側面に興味があれば読んでみては如何かと思う。
「文芸鑑賞」に書かれていることによると、
「鑑賞の上にもそれ相当の訓練を受けることが必要であります」ということだ。
天才も「驚くべき短い時間の驚くべき深い訓練」によって作られるのだという。
凡人はもっと訓練しなければならないとは頭が痛い。
その訓練が実用的には何ら役に立つものではないということがよくわかっているなら、
きっと訓練を受ける資格があるのだろう。
すでに足を突っ込んでいるかも・・・
【文芸鑑賞】
488ページ
文芸上の作品を鑑賞する為には文芸的素質がなければなりません。文芸的素質のない人は
如何なる傑作に親んでも、如何なる良師に従つても、やはり常に鑑賞上の盲人に了る外は
ないのであります。
489ページ
では文芸的素質さへあれば、文芸上の作品を鑑賞することも容易に出来るものかと言ふと、
これはさうは行きません。やはり創作と同じやうに、鑑賞の上にもそれ相当の訓練を受けることが
必要であります。尤もつともダンヌンツィオは十五の時に詩集を出したとか、池大雅は五つの時に
書を善くしたとか言ふやうに、古来の英霊漢は創作の上にさへ、天成の才能を発揮してゐます。
が、これは天才と称する怪物のことでありますから、我々凡人は気にかけずともよろしい。
のみならず彼等の早熟は訓練を受けなかつたと言ふよりも、
驚く可く短い時間の中に驚く可く深い訓練を受けたと言ふ方が妥当であります。
すると我々凡人はいやが上にも訓練を受ける覚悟をしなければなりません。
491ページ
成程鑑賞出来る美は必しも創作出来ないでありませう。けれども亦鑑賞出来ない美は到底創作も
出来ません。この故に古来の英霊漢は鑑賞上の訓練を受けた上にも更に又訓練を重ねようとしました。
それも文芸上の作品の鑑賞ばかりではない、屡美術とか音楽とかにも鑑賞上の訓練を加へた上、
その機敏に捉へ得た所を文芸上の創作に活用しました。殊にゲエテの一生は
かう言ふ芸術的多慾それ自身であります。