140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

源氏物語(巻八)

2013-08-31 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻八」には、竹河・橋姫・椎本・総角が収められている。

【竹河】
未亡人となった玉蔓は子どもの将来について悩む。
それにしても髭黒の太政大臣は、あっけなく亡くなってしまった。
二人の娘のうち大君は冷泉院と今上帝の両方から切望されている。
薫についても婿として世話したいと考えている。
明石の中宮の御威勢に気圧されることを案じて大君は院に差し上げることにする。
大君は寵愛され、姫君を生み、続いて若宮を生む。
若宮は源氏の直系の男子ということになるが帝位につくには時期を逸している。
院があまりに若い御息所(大君)に夢中になってしまったので弘徽殿の女御が嫉妬する。
宮仕えがわずらわしくなった御息所は里下がりする。

【橋姫】
源氏の異母弟にあたる八の宮は世間からすっかり見放され零落していた。
かつて弘徽殿の大后が東宮に擁立しようとしたが退けられ源氏の復権とともに冷たくされるようになった。
北の方との間に二人の姫君をもうけたが、北の方には先立たれた。
そうこうするうちに邸が焼けてしまい宇治の山荘に移った。
宇治の山中に聖めいた阿闍梨が住んでおり八の宮を尊敬し参上していた。
この阿闍梨は冷泉院にも伺侯しており八の宮の様子を院に伝える。
その時、御前にひかえていた薫は興味を持ち宇治を訪れる。
それから三年目の秋、月下に琵琶と箏の琴を合奏する姫君たちの姿を見てしまう。
一方、八の宮に仕えている老いた女房から自らの出生の秘密を聞く。
この女房は柏木の乳母の娘であった。

【椎本】
八の宮は薫に姫君たちを託して亡くなる。
薫は大君に思いを寄せ、薫から宇治の姫君たちの様子を聞いていた匂宮は中の君に惹かれる。

【総角】
薫を拒み続ける大君は薫と中の君の間を取り持とうとする。
薫は匂宮と中の君を結びつけてしまえば、大君が振り向いてくれるかもしれないと考える。
大君は中の君のことを思って薫を手引きしようとするが
寝所に手引きされたのは匂宮だった。中の君は次第に匂宮に靡いていく。
紅葉見物で宇治を訪れた匂宮は山荘に立ち寄るつもりだったが
中宮の指示などによりお供が増え大人数になったため素通りする。
このことに憤慨した大君は病気になってしまう。
やがて大君は、匂宮と夕霧の大臣の娘の六の君との縁談が決まったことを知り、
ますます絶望し病状が悪化する。
薫は宇治に見舞いに訪れるが大君は衰弱しきっており、
まもなく亡くなってしまう。

「匂宮」以降の作者は紫式部ではないとする説があるらしい。
確かに「雲隠」以前と「匂宮」以降の雰囲気は違う。
「匂宮」「紅梅」「竹河」と「橋姫」以降の宇治十帖とも違うような気がする。
源氏と彼を取り巻く華やかな女性たちが繰り広げる物語の展開と
薫と大君のストイックな関係が延々と続く「総角」の展開は異なる。
しかし堅物の薫と違って源氏の血を引いている匂宮はとっとと目的を達成する。
読者が望むのであれば同じような話を書くことも出来たと思うが
著者は違った話を書きたかったのだと思う。
男性の性格は、陰の薫と陽の匂宮が描かれている。薫の描写は夕霧よりも細かいと思う。
女性の性格は、大君・中の君・浮舟に分けて描かれる。
大君は現世とか男にまったく期待していない。どうしてそこまで拒むのかよくわからない。
不遇であった父宮の影響なのか相当にプライドが高いのか理想が高いのかわからない。
生きていればちょっとはいいことあるのにと思う。
中の君はわけの分からないまま薫の謀に便乗した匂宮と初夜を迎えてしまうが
その後は次第に匂宮に惹かれていく。姉のようにくどくど言わず現状を肯定する。
浮舟はそのどちらとも異なっている。そしてこのような魅力的な人物を創造したのは、
やはり紫式部ではないかと思う。

源氏物語(巻七)

2013-08-28 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻七」には、
柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻・雲隠・匂宮・紅梅が収められている。

【柏木】
女三の宮が御子を生むが、引き続いて病に伏せる。
その様子を聞いた朱雀院は山を下る。そして出家を願う女三の宮を落飾させる。
葵や紫の上を苦しめた六条の御息所の物の怪が女三の宮取り憑いていたのだという。
子どもが生れてまもなく柏木は亡くなってしまう。
「幼い時から、人とは違った高い理想を抱いて、何事につけても、人よりは一段、まさりたいと、
公私につけて並々ならず自負してきた。しかし、一度、二度と蹉跌を重ねるうち、
そんな望みはなま易しくは叶わないのだと、思い知らされ、その度毎に、次第に自信を失ってきた」
そのようなことを思いながら死んで行く柏木は負け犬なのだろう。
世の中は様々な種類の負け犬に満ちている。
機動戦士ガンダムSEEDの敵役であるラウ・ル・クルーゼも競争社会の不合理を嘆いている。
彼は世界を否定する権利を持って生れてきたのだ。
負け犬にすらなれない哀しい運命・・・

【横笛】
夕霧は未亡人となった女二の宮の邸を訪ねる。母君である御息所がその応対をする。
御息所は柏木の形見である笛を夕霧に贈る。

【鈴虫】
秋好む中宮は、物の怪になって名乗り出る母の妄執の炎をさましてあげたいと考え、
出家を望むが、親代わりの源氏は許そうとはしない。
それにしても全編を通して六条の御息所は化け物のような描かれ方をしていて気の毒だ。
生き霊とか物の怪とか魔女にされた者には無実を証明する手段はない。
真実などはどこにもなく影響力のある人が言ったことや多くの人々が信じたことが
事実に取って代わる。

【夕霧】
「この帖はまるで現代のサラリーマンの家庭の夫の浮気事件のようで、
ことごとくリアリティのある描写が、はからずもユーモア小説のようなおかしさを誘い、
おもわず笑ってしまう。芝居で言えば世話物に相当する」と解説に書いてある。
夕霧は友人である柏木の妻であった女二の宮を口説こうとするがうまくいかない。
彼は源氏の息子だが女の扱いに慣れていない。父と違って女に恥をかかせてしまったりする。
女の方はうまく騙されたいと思っているだけかもしれないのに・・・
そして大勢の子どもを抱えてすっかり所帯じみた雲居の雁の君とは口論が絶えない。
源氏を中心とした物語がまもなく終ろうとしている中で「ユーモア小説」を挿んでいるのだが、
それは源氏や紫の上のような実在しそうにもない主人公と
夕霧や雲居の雁の君のような実在しそうな人物を
対比させるためではないかと思う。

【御法】
紫の上が亡くなる。解説によると「出家すればセックスが出来ない戒律があったので
源氏は女たちの出家を嫌がった」ということだが、紫の上はとうとう出家もさせてもらえなかった。
幼い頃から源氏に養育され、その教養とたしなみの深さは源氏の虚栄心を満足させ、
その美しさは源氏の欲望を満足させてきた。彼女の人生に何の意味があっただろう?

【幻】
「紫式部はまるで悪意があるかのように、変り果てた源氏の姿を、くどくどしいまでに
書きつける」と解説に書いている。主人公が最愛の人を失って哀しみに暮れ、
人生の無常を悟って、物語が終るというのではなく、ひたすら惨めな晩年が描かれている。
紫の上が亡くなってしまって源氏の生きる意味もまた消失してしまったという感じがする。
経済力のない哀れな女君が源氏の情けを受けて生きていたように見えて
実は源氏が紫の上に依存して生きていたのではないかと思う。
「もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世も今日や尽きぬる」
(物思いにふけっていて月日が経つのもつい知らないでいた間に今年も自分の生涯も今日で終ってしまうのか)
そんな歌で源氏を主人公とした物語は閉じられる。
・・・私たちは明日も生きているという前提で今日を生きている。
目標やノルマを達成するために現在のあり方は制限される。
日々の糧を得るために現在は未来の犠牲となる。場合によっては魂を売ってまで生き延びねばならない。
現在に張り付いている他の生き物たちとは異なる生き方を強いられる。
未来を予測する能力を持ち、未来を変えようとする意思を持ち、
「7つの習慣」に沿って成長を自覚する喜びを持ち、
前向きに主体的に積極的に生きなければならないという教義と
明日も生きているという前提で
私たちは今日を生きている。
ドラッカーさんやコヴィーさんにとって世界はそのようなものだと思う。
それを虚構だと思う人間はニヒリズムに陥ってしまうので彼らは本能的に怖れる。
ニヒリズムやペシミズムはそれ自体が共産主義と同様に遠ざけねばならないものとされる。
疑問を持つこと自体が禁じられている世界にあっては、
一度こぎだした自転車を止めるようなことがあってはならない。
4千本もヒットを打ったことは素晴らしいと言って皆でお祝いしなければならない。
明日、死ぬことがわかっていたら、今日は何をして過ごすだろうか?
来年、死ぬことがわかっていたら、今年は何をして過ごすだろうか?
商業主義に呑み込まれた世界で一個の商品としてしか生きる術がない自分を見つめてみよう。
私は1本もヒットが打てない人間なのです。
そんな自己紹介はOK?・・・

【雲隠】
本文なし

【匂宮】
明石の中宮が生んだ三の宮(匂宮)と柏木の胤で女三の宮が生んだ薫を中心に
源氏の後の世代の話が語られる。

【紅梅】
柏木の弟にあたる按察使の大納言は一の姫君を東宮妃として入内させる。
「后は藤原氏から立てるようにとの春日明神の御宣託も、もしや自分の代で実現することが
出来たらどんなにいいか」と彼は考えている。
源氏物語の時代は藤原氏全盛の時代よりも前に設定されている。
なんで神が藤原氏の味方をしているのかはよくわからない。
その後、中の姫君を匂宮にと考え、
歌のやりとりをしている。

第3回将棋電王戦開催決定

2013-08-25 00:05:05 | Weblog
第3回将棋電王戦が2014年3月から4月に開催されると発表された。
第2回の結果はプロ棋士の1勝3敗1分けだった。
棋譜は全部見たが、敗勢になりながらなんとか引き分けに持ち込んだ第4局と、
A級棋士が一度も攻めることなく無残に敗れ去った第5局が印象的だった。
第5局で登場したGPS将棋は700台のパソコンをクラスタ接続していたそうだが、
第3回のルールではそういうのは出来なくなったらしい。
チェスで人間がコンピュータに負けたのは随分と昔の話だ。
相手の駒を奪って使える将棋はチェスに比べると複雑なので、その頃は人間の方が強かった。
コンピュータのスペックとアルゴリズムは年々向上していくが、
人間のスペックが向上することはなくアルゴリズムの向上も遅々たるものなので、
いつかは負けることになると思っていた。今まさにそういう時期なのだろう。
ところで電王戦に出場できるソフトはコンピュータどうしの戦いを勝ち抜いたソフトだ。
ハードウェアのスペックではなくアルゴリズムの優劣で勝敗が決まる。
そのアルゴリズムを作るのは人間なのだから人間どうしの戦いと言えなくはない。
ソフトと対戦した棋士たちは「コンピュータが考えている」と思っただろうか?
人間そっくりに行動するロボットを人間と区別することは出来ないと、
確か永井均さんが書いていたと思う。
だから棋士たちにも「コンピュータが考えている」かどうかはわからないだろう。
だが、よく考えてみると「考えている」とはどういうことなのか私たちは知っているのだろうか?
実際のところ、ロボットと人間の区別が出来ないということを受け入れることと、
思考が何であるかを理解できないと認めることは同じだと思う。
もともと言語を使った思考は世界を構成する対象に意味を与えるためのものであるため、
その活動自体に何らかの意味を与えることは超越論に陥ってしまう。
そして私たちは沈黙してしまう。
アルゴリズムを考えている連中は思考そのものに近づくことが出来たとしたら
創造主と呼ばれるだろう。

かつて単純な労働は機械に置き換えられてきた。
そして今では、優れた将棋ソフトがプロ棋士の存在価値を脅かしている。
将来、優れたロボットが難しい交渉をするようになればネゴシエーターは要らなくなるかもしれない。
彼らは、相手に先に話をさせ、相手に共感したことを伝えることで信頼関係を構築するのだという。
限定された論理空間であれば、たとえば「源氏物語」なんて知らなくても共感できるだろう。
いつの日か私たちは巧みな交渉をするロボットを相手にしているかもしれない。
それがロボットか人間かなんて気が付かない・・・

源氏物語(巻六)

2013-08-24 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻六」には、若菜(上・下)が収められている。

【若菜 上】
朱雀院は娘の女三の宮を源氏に降嫁させる。
源氏の異母兄の娘が源氏に降嫁というのも不自然な感じがするが、
六条の院のバランスを消失させ紫の上を不安定な立場に置くことを意図しているのだと思う。
一方、明石の女御が東宮の御子を出産する。
帝の血筋を元に戻す必要があるのだか、仏道に背いているのだか、
理由はよくわからないが源氏の実子である冷泉帝に御子は生れない。
源氏のモデルは源融ということだが、
男系の血筋を残せず女系の血筋を帝位に結びつけるという点では源氏は藤原氏と似ている。
そういう意味では藤原道長がモデルなのかもしれない。
道長の娘の彰子に仕えた著者がひそかに道長を讃えたとしても
不思議はないと思う。

【若菜 下】
冷泉帝が譲位し、明石の女御の皇子が東宮に立った。
明石一族の繁栄を見た人々にとっては「明石の尼君」は幸運な人の代名詞となった。
近江の君は「明石の尼君、明石の尼君」と唱えながら双六の賽を振ったという。
源氏は夕霧の母である葵や秋好む中宮の母である六条の御息所や明石の君といった
これまで関わりのあった女君について紫の上に語り、
「たくさんの女の人と付き合ってきたけれど、あなたのような心ばえの人は二人といなかった」と褒める。
しかし解説で指摘されているように実際の紫の上は、
「源氏の許可なくしては何一つ行動することが出来ない」女性に過ぎない。
そういう女性を理想であると言ったり褒めたりするのは、どこまでいっても源氏の自己都合だろう。
数々の女性遍歴を経て源氏の辿り着いた結論とはそんなものなのだ。
そして源氏に育てられ源氏のためにのみ生きる紫の上は、
現代で言えばペットのようなもので食べ物も幸福も全て主人から与えられる。
さて紫の上の看病で手薄になった六条の院では、太政大臣の長男の柏木が女三の宮と密通してしまった。
それが源氏の知るところとなり柏木は病気になってしまう。
「帝の御寵愛のお后と間違って過ちを犯し、それが発覚した場合にも、これほど苦しみを
味わうのなら、いっそそのために死ぬようなことになっても、辛くも思わないだろう。
自分の場合は、それほどの大罪には当たらないにしても、あの源氏の院に、睨まれ
嫌われるようなことになれば、とても恐ろしくて面目なくてたまらないだろう」
柏木はそんなふうに考えている。
父としての帝を裏切り、帝としての父を裏切った二重の意味で罪のある源氏は、
過ちを犯したとは思っても自責の念に捉われるということがない。
大罪を犯した源氏が自分も同じような目に遭うという点で源氏物語は優れていると言われるが、
源氏は女三の宮をそれほど大切にしていないし罪の意識もないので私はそんなふうには思わない。
自分の顔に泥を塗った柏木に酒をすすめる源氏は不気味だと感じるだけだ。
実際の権力者である道長もそんな感じで周囲に圧力をかけていたのではないだろうか?
柏木と女三の宮の密通を知った源氏は桐壺帝も全てを知っていたのではないかと考える。
だが柏木のような細い神経を持っていないので悩んだりはしない。
女性についても人生についても源氏は悩んだりはしない。
ドストエフスキーの小説の主人公とは違う。
だが悩まない主人公の代わりに読者が悩むことになる。
優れた作品は読者に問い掛けてくる。
「しかし、あなたの若さだって今しばらくのことですよ。決して逆さまに流れていかないのが
年月というもの。老いはどうしたって人の逃れられない運命なのです」と
柏木を見据えて源氏は語る。現代で「あらゆるものは通りすぎる」というアレか?
時の流れを止めることができないのが哀しいというが、
そもそも時間というものがなければ私たちは感じたり考えたりもできないということの方が
もっと哀しくはないだろうか?

最高気温38℃

2013-08-22 21:59:39 | Weblog
暑い。ものすごく暑い。
昔々「暑い、暑いと思うから暑いんだ」というような熱血漢がいて暑かったのだが、
暑いと思う前に既に暑い。暑いという言葉にする気が失せるような暑さだ。
今日の名古屋の最高気温は38℃だったらしい。
ユニクロは嫌いだがエアリズムは必要・・・

「体温より高いじゃないか?」
「動く気がしない。」

しかし寒すぎたとしても、やはり動けない。なんて不自由な生き物だろう。
・・・というよりは生息するために必要な環境への要件というものがあって、
生き物はうまれつき不自由に出来ている。
巨大隕石の落下で恐竜は滅びてしまったというが、落下そのものの影響だけではなく、
衝突で舞い上がった粉塵による寒冷化についていけなかったのだという。
彼らは変温動物なので温度の低下により運動能力が落ちてしまうらしい。
しかし私たちの体温は通常37℃以下だから、38℃だと放熱もできない。
そういうわけで恒温動物だからOKともいえない。
生化学反応に適した温度の範囲は限られている。
暑すぎても寒すぎてもダメなんです。

「宇宙の中で生命が誕生するのに適した環境となる天文学上の領域」はハビタブルゾーンと呼ばれている。
なるほど、私たちは天文学的に恵まれていたわけだ。
私たちが感じる暑さや寒さは生存に適したものでないが故に不快感を与える。
暑さの中にあって何もしないのであれば生命は危機に陥ってしまう。
それを避けるための仕掛けが「不快感」というわけだ。
それで、ピッとリモコンを操作してしまうのだ。

子どもの頃は扇風機に向かって「あ”-っ」と言っていたような気がする。
その後、快適さを追求して冷房器具は進化していったのだが、
「人工的に涼を取る術を手に入れた」私たちは、おそらくは、
「人工的に涼を取る術を手に入れる」前には体験しなかったであろう暑さに
直面しているのではないかと思う。
快適さを追求すればするほど不快さが増して行く。
きっと化石燃料を使い果たしてしまっても不快さは人口の数だけ存在を続けるだろう。
その時は原発反対の人々もきっとリモコンのスイッチを全力で押すことだろう。

核融合を制御できない私たちのレベルは太陽神ラーを崇拝する未開人と変わらないのではないだろうか?
磁場でプラズマを封じ込めるなんて出来ないんですね。
それは重力でしか封じ込めることが出来ないのだが
クリーンエネルギーとか言って研究が続けられている。
そんなの地震予知と同じでムリだと思う。

そして、この文章を書く前と書いた後で、暑さは変わらない。
そんな生き物が語る言葉に意味なんてない。
いやー、それにしても暑いですね・・・

源氏物語(巻五)

2013-08-21 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻五」には、
蛍・常夏・篝火・野分・行幸・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉が収められている。

【蛍】
玉蔓から真木柱までの十帖は、玉蔓十帖と呼ばれているそうだ。
この帖ではイタズラ好きな源氏がこっそり集めた蛍を玉蔓のまわりにばら撒く。
あわてて扇で顔を隠す玉蔓の姿が妖しく映し出される。
兵部卿の宮は思いもかけない光が姫君を照らしているのを目にとめる。
そしてこのことがあってから宮は蛍兵部卿の宮と呼ばれることになる。
あだ名か?

【常夏】
双六をしている相手に小さな目がでるように「小賽、小賽」と唱えながら
近江の君が登場する。内大臣の娘らしいのだが源氏物語の笑われ役になっている。
こうした滑稽な話も長い物語を構成する要素として必要なのだそうだ。
玉蔓十帖では六条の院における源氏の栄華についても描かれているが、
大衆小説的な要素も多く含まれているのではないかと思う。
ベートーヴェンの第九交響曲は大衆について語ると共に大衆について語りかけるものだと
言われている。それを高尚なものと考えている音楽ファンは、
演奏が終った途端に余韻に浸ることなく自らの感情のままにブラヴォーと叫ぶ。
そんなんじゃAKBとおんなじですから・・・
近江の君は笑われ役ではあるが、親しみやすくて愛嬌もある。
樋洗の役でも何でもやると言っている。
内大臣つまり藤原氏の一族にしてもやがては政治の中枢から追い出される。
貴族のたしなみがないということでバカにされる近江の君は、
多様性の一端を担うことで藤原氏の遺伝子の存続に寄与しているのかもしれない。
それにしても笑いや蔑みの対象というのは今も昔もあまり変わらないようだ。
人と違うとか時代に即していないということで笑われたり蔑まされたりする。
そもそも美人の顔とは平均的な顔だという。
平均から逸脱した顔は醜いし、平均から逸脱した行動は受け入れられない。
そんな平均的な世の中は面白みがない。

【篝火】
内大臣の息子たちが玉蔓の前で合奏する。
音楽は、この時代の楽しみのひとつだろうが、どんな曲を聴いていたのだかわからない。
ギリシャ神話の時代にしてもオルフェウスがどんなに素晴らしかったかなんてわからない。
私たちはバッハ・ヘンデル以前の音楽についてほとんど知らない。
彼らはそれ以前の音楽を淘汰してしまったのかもしれない。
何らかの形で平安時代の音楽が残っていたとしても価値あるものと捉えられるか疑問だ。
百万枚の絵を見れば、よい絵とわるい絵を見わけることが出来るとヴォネガットは語る。
音楽についても同じことで数をこなせば判断を可能にする回路が脳に形成される。
MP3プレーヤーに1000枚以上のCDが収納できる時代に生きていることに感謝しよう。
その気になれば何だって聴けるのだ。

【野分】
激しい野分が吹き荒れ、夕霧が六条の院の各御殿を見舞う。
この帖は夕霧の視点で書かれている。

【行幸】
冷泉帝の大野原への行幸について書かれている。源氏は内大臣に玉蔓のことを打ち明ける。
昔気質の末摘花はお決まりの歌を添えて玉蔓の御裳着のお祝いの品を送る。
彼女の歌には「唐衣」が欠かせない・・・

【藤袴】
夕霧は玉蔓に藤袴(蘭の花)を送る。彼女のことを姉だと思っていたのだが、
そうではないことがわかると口説きにかかるところはさすがに源氏の息子だ。
いちおう源氏物語の中ではまじめな方なんですけど・・・

【真木柱】
弁のおもとという女房の手引きにより髭黒の大将が玉蔓を手に入れる。
やってしまったものは仕方がない。それが平安時代の結婚というものらしい。
おもとは里で謹慎しているということだが江戸時代であれば命はなかっただろう。
平安時代というのは命令系統が厳格ではないためか寛容な感じがする。
近代国家では官僚制が発達し厳格な体系が築かれ虐殺までもが効率化されていた。
そんな時代に比べれば平安時代の方がよいかもしれない。
さて玉蔓を手に入れた髭黒の大将には家庭崩壊が待っていた。
北の方は父宮を頼って子どもを連れて邸を出て行く。
父に可愛がられていた姫君は「真木の柱はわれを忘るな」と書いて
邸を去っていった。

【梅枝】
源氏は明石の姫君の入内の準備を進める。まわりが源氏と競争したくないという噂を聞くと
「宮仕えというものは、大勢のお妃たちがお仕えして、その中で少しでも魅力を競争し合うのが
元々の筋道だろう。こんなことで多くのすばらしい姫君たちが、みんな家に引き籠められて
しまったら、惜しい話だ」などと言う。
何を競うのだかよくわからないが、実態は娘に皇子を生ませ、皇子を東宮にし、
そして帝に擁立した者が権力を掌握するというだけのことだ。
そもそもそんな嫌らしい競争の中で母である桐壺は亡くなったのではなかったのか?
栄耀栄華を極めた源氏には必ず勝利する競争であるわけだ。
そんなものは競争とは呼ばない。

【藤裏葉】
夕霧が雲居の雁の君とようやく結ばれる。
「乙女」の帖で内大臣が夕霧にケチをつけてから七年が過ぎていた。
四月になって明石の姫君が入内した。
北の方が付き添うのが慣例であったが明石の君が後見として付き添うことになった。
明石の君はたいそう嬉しくなったということだ。

これがミクちゃんですか

2013-08-20 20:14:31 | Weblog
皇后さまは前衛芸術家・草間彌生さんの作品やダリ、シャガールの絵画を鑑賞。
バーチャルアイドル「初音ミク」の展示を見て「これがミクちゃんですか」と話していたそうです。
皇后さま「これがミクちゃんですか」LOVE展を鑑賞

ええ、これがミクちゃんですとも。
「年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音聞かせよ」by 初音ミク
・・・ウソです。by 明石の君

源氏物語(巻四)

2013-08-17 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻四」には、
薄雲・朝顔・乙女・玉蔓・初音・胡蝶が収められている。

【薄雲】
源氏は明石の姫君の将来を考え、紫の上に養育させようと考える。
母方の素性次第で身分に相違ができるのだと母の尼君に明石の君は言い聞かされる。
生みの親が卑しくても育ての親が高貴であれば良いのだろうか?
私には、そういうことはよくわからない。
迎えの車に乗った幼い姫君は母も一緒に行くものだと思って袖を引っ張る。
著者の作戦であることはわかっているのだが泣けてしまう・・・
しばらくして、太政大臣が亡くなり、藤壺も亡くなる。
そして藤壺が祈祷を命じていた僧が出生の秘密を冷泉帝に漏らしてしまう。
帝が自分に譲位しようなどと言ったりして様子がおかしいことから、
源氏は秘密が漏れたことを察する。
帝王の血筋が乱れていることについて平安時代の読者は平気だったのだろうか?
冷泉帝の子孫が即位しなかったことから一時的に乱れた血筋は
元に戻っているのでお咎めがなかったのかもしれない。
実際には帝が主人公の物語を描いてもおもしろくもなんともないので、
ギリギリを狙った人物設定なのだろう。

【朝顔】
朝顔の斎院は父宮の服喪のため、斎院の職を下がった。
伊勢神宮に仕えるのが斎宮で賀茂神社に仕えるのが斎院ということだ。
賀茂神社は上賀茂神社と下鴨神社の両方を含むらしい。内親王もたいへんだ。
朝顔の姫宮は源氏を袖にしたことで存在を示しているということだが、
読者が源氏の色恋沙汰の成功パターンに飽きているということを
想定した内容になっているのではないかと思う。

【乙女】
源氏は六条京極あたりの四町ほどの広大な敷地に女君を集めて一緒に暮らそうと計画する。
解説によると四町というのは六万平方メートルでかつての後楽園球場の五倍の広さだという。
それを可能とする経済力は強大なものなのだろう。
解説には「男としての最高の贅沢と願望の実現」ということが書いてある。
島耕作を見ていても男は経済力で目的は女でしかないということがよくわかる。
西南の町は秋好む中宮(六条の御息所の娘の前斎宮)がお住まいになり、
東南の町は源氏と紫の上が、東北の町は花散里、西北の町は明石の君がお住まいになる。
六条の院には築山やら泉やら池やら遣水の流れやら季節を彩る草木やら
様々な趣向が凝らされている。

【玉蔓】
夕顔が亡くなって筑紫に逃れていた玉蔓が京に帰還する様子が描かれている。
解説によると「平安シンデレラ物語」ということらしい。
ディズニーによると王子様が迎えにくるのを待っている白雪姫とは違い、
王子様に会いに行くシンデレラは積極的だということだ。
なるほど幸運は自らの行動で掴み取るという姿勢は西洋的であり、
現代においては世界中のビジネスパーソンに信仰されている成功の秘訣なのだろう。
そういう意味では、かつて夕顔の女房であった右近が源氏に奉公しており、
玉蔓の一行がその右近に偶然出会うという展開は、
シンデレラ的ではなくて白雪姫的なのだろう。
私だって本当は高貴な生まれかもしれないと玉蔓を読んだあらゆる時代の人々は
胸をときめかせては夢が果たされることもなく死んでいったのかもしれない。
シンデレラでなくとも白雪姫でもいいんじゃない?
夢を見させることが目的であれば

【初音】
千年前にボーカロイドがいたわけではない。
「年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音聞かせよ」と明石の君が書いている。
娘に会えずに過ごしている明石の君が可哀想で涙が溢れてしまう。
本当にかわいそうだ。

【胡蝶】
玉蔓という年頃の姫君を迎えたことで六条の院に求婚者たちが集まるようになる。
源氏の弟にあたるさして若くもない兵部卿の宮も含まれている。
家柄はよいがあまり雅な感じがしない髭黒の右大将や
内大臣(かつての頭の中将)の息子の柏木も玉蔓に恋焦がれる。
柏木は実の姉であるということを知らない。
そんな中、親代わりの源氏までもが恋心を抑えきれず、添い寝までしてしまう。
兄弟やら親代わりの源氏にまで言い寄られてしまい、
読者は玉蔓の身を案じるばかりだ。

源氏物語(巻三)

2013-08-14 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻三」には、
須磨・明石・澪標・蓬生・関屋・絵合・松風が収められている。

【須磨】
朧月夜との密通がもとで源氏は官位を剥奪され除名の処分を受ける。
そして流罪の辱めを受ける前に自分から都を離れようと考え須磨を訪れる。
都の女君たちと便りを交わしたり絵を描いたりして日々を過ごす。
須磨で暮らしてから一年近くが過ぎた三月のはじめ、天候が急変し暴風雨となる。

【明石】
亡き桐壺院が夢に現れ、須磨を立ち去るよう告げる。
それと同期して明石の入道が源氏を迎えに現れ、一行は明石へと渡る。
やがて源氏は入道の娘の明石の君と結ばれる。
都では太政大臣(元右大臣)が亡くなり、弘徽殿の大后も病となり、夢で父帝に叱責された
朱雀帝も目を患う。心細くなった帝は源氏に京へ帰るようとの宣旨を下す。
その頃には明石の君は源氏の子を身篭っていた。
このように源氏の復権は悪天候と桐壺院の亡霊によるもので権力闘争に勝利してのことではない。
詩吟や音楽や舞いや絵画のすべてに優れた光り輝く君には腹黒い闘争は似合わない。
そこにある現実の権力闘争を藤原氏の腹から生まれた一条天皇に
意識させてはならないということだったかもしれない。

【澪標】
朱雀帝が譲位し、十一歳の冷泉帝が即位する。明石では姫君が誕生する。
六条の御息所は娘である前斎宮の後見をしてくれるよう源氏に遺言して亡くなる。

【蓬生】
末摘花は父宮の邸を一途に守ろうとする。彼女の窮乏を事細かに描く著者は、
きっと源氏が助けてくれるに違いないと読者に思わせる。
それで、この帖は恋愛小説ではなくて人情物語になっている。
そして読者の期待は裏切られることなく果たされる。
しかし実際には零落していく貴族は打ち捨てられるのだろう。
何も貴族に限った話ではなく、繁栄する一族があれば衰退する一族がある。
生きんとする意思は互いを退け合うだけだ。しかし実際には勝った者にも何も残らない。
望月の欠けたることもなかった藤原道長が何を残せただろうか?
彼は紫式部を庇護することで類稀な物語を残したと言えるかもしれない。
誰もが自分の人生の成功を願っているらしい。
しかしその成功とはいったい何なのか?

【関屋】
空蝉の後日談。夫に先立たれた後、継息子に言い寄られた空蝉は出家する。

【絵合】
源氏は藤壺と共謀し彼らの息子である十三歳の冷泉帝に九歳上の前斎宮を嫁がせる。
ところで斎宮とは、伊勢神宮を祭る宮のことらしい。伊勢では天照大神を祭っている。
古代においては王族は祈祷師の役割りも果たしていたとされている。
それで神に仕える斎宮は皇族から選出されたのだろう。
そして神に仕えている間は仏の庇護はないのだろう。
古来よりの神と輸入した仏教が両立するというのもよくわからない。
神社と寺が混在するこの国の宗教のあり方がよくわからない。
それもまた思考停止の産物なのかもしれない。

【松風】
明石の君とその姫君が嵯峨に移り住む。
あちこちで契ってはいるのだが源氏の実子は三人だけだ。
藤壺が生んだ冷泉帝、葵の上が生んだ夕霧、そして明石の君が生んだ姫君
恋に生きると言ってもそれは遺伝子に操られてのことだ。
しかし遺伝子そのものに意志があるわけでもなく存続することが自己目的化している。
それを生存競争に勝利したかのように私たちは語るのだが、
先にも書いたように成功とか勝利が何であるか私にはよくわからない。
一生懸命恋に生きた源氏の世代が過ぎ去ってしまうと何もなかったような静寂が訪れる。
かつて生きていた人はあっという間にいなくなる。
それを無常と呼ぶのも憚られる。

源氏物語(巻二)

2013-08-11 00:05:05 | 源氏物語
瀬戸内寂聴訳「源氏物語巻二」には、
末摘花・紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里が収められている。

【末摘花】
源氏物語で笑えるのは、末摘花と近江の君ではないかと思う。
この帖に書かれている末摘花の描写はちょっとかわいそうな気もするが、
後々になって出て来る彼女の態度には思わず微笑んでしまう。
容姿がすぐれていないことを笑うのではなく貴族として一途な姿に微笑んでしまう。
流行に疎く、まわりに合わせることが出来ないという点では、
実は自分にそっくりなのではないかと思う。

【紅葉賀】
藤壺が皇子を出産する。源氏に生き写しの若宮の顔だちに藤壺は苦しむ。
藤壺は桐壺に似ているのだから、帝と桐壺の間に生れた源氏とそっくりだとしても、
不思議はないと思うのだが、藤壺は醜聞が発覚することを恐れ疑心暗鬼に陥る。
源氏は相変わらず自分の欲望のままに動くが母となった藤壺は源氏を受け入れない。
帝は光り輝く御子を寵愛する。そして若宮の後見として藤壺を中宮に立てる。
譲位の準備を進め藤壺の生んだ若宮を東宮にと考えている。
桐壺帝は藤壺の不義を知らなかったのだろうか?
若宮を抱いて喜んでいる帝を描くことで著者は藤壺の苦しみをいっそう深いものにしている。
「この子は実にそなたに似ている。ごく小さい間は、みなこんなふうなのだろうか」という
帝の仰せに源氏は顔色の変わる心地がしたということだが、
「自分が若宮に似ているのなら、我ながら自分をたいそう大切にしなければならない」と
お思いになるというのだから、やはり罪の意識なんてないらしい。

【花宴】
朧月夜が登場する。朧月夜は右大臣の娘で弘徽殿の女御(のちの大后)の妹にあたる。
そして源氏は、いつものように事に及ぶ。
「わたしは何をしても誰からも咎められないから、人をお呼びになっても何にも
なりませんよ」と言う不敵な源氏に、女はさては源氏の君だったのかとわかって安心している。
そんなふうにしているものだから弘徽殿の女御にはいっそう憎まれることになる。

【葵】
亡くなった東宮が寵愛していて今は源氏の恋人のひとりである六条の御息所の生き霊により、
左大臣の娘で源氏の正妻である葵の上が絶命するという話になっている。
フレイザーが研究した未開人と同様に、この時代、病気の原因は物の怪であると信じられていた。
そして人々は病気の治療のためすぐれた験者に加持祈祷をさせる。
きっと仮定した原因に対する処置は正しいのだろう。
しかしそのすぐれた験者というのは実際には詐欺師なわけだ。
病床の妻に付き添っていた源氏は、病人の声音や様子がおかしいことに気付く。
その姿をよく見れば六条の御息所に入れ替わっており、不気味に思う。
読者もまた人を呪い殺そうとする生き霊にぞっとするのだが、
実際には恨みや呪いで復讐を果たそうとする原初的な感情が自らの内にあることを
認めてぞっとしているのかもしれない。
それとは対象的に、すべてにおいて優れている源氏は恨みという感情を持たない。
そして喪中に紫の上との初夜を果たすなど不謹慎というか自己チューな人生を謳歌している。
著者は六条の御息所ほどには葵の心理を描写していない。
左大臣や源氏や兄である頭の中将が葵を偲ぶシーンが続くが、
読者に惜しいと思わせないように配慮していると感じる。
そういう意味で葵が哀れに思えてならない。
彼女の役割は六条の御息所の恨みの対象であることと夕霧を生むことだけだった。
他人の恨みを買い子孫を残すだけという点で
葵は私たち凡人の代表と言える。

【賢木】
既に譲位していた桐壺院がおかくれになる。
源氏の異母兄である朱雀帝は母の弘徽殿の大后に頭が上がらない。
右大臣の娘である弘徽殿の大后は桐壺が寵愛されている頃から源氏を憎んでいた。
そんなわけでしばらくは右大臣派の天下が続き左大臣派は干されてしまう。
そして桐壺院の一周忌には藤壺が出家する。
藤壺の出家は東宮を守るためのもの、源氏の執拗な要求を拒むためのものであり、
宇治十帖における出家の意味に比べるとそんなに重たい感じはしない。
朧月夜との密会現場を右大臣に見られてしまったことで
源氏はますます窮地に陥っていく・・・
しかし源氏物語そのものが権力闘争の道具だったかもしれないので、
この物語で実際の権力闘争が描かれることはない。
紫式部のパトロンは娘の彰子を入内させた藤原道長であったが、
藤原道隆の娘の定子に仕えた清少納言との確執はどのようなものであったか?
源氏物語の最も大切な読者であったという一条天皇は、
母親も皇后も中宮も女御も藤原氏の娘であって
藤原氏とはズブズブの関係であったらしい。
かつて王とは、強き者、優れた者、美しき者であった。
源氏物語の時代の皇族は優れた者、美しき者として描かれているが強き者ではない。
強き者、つまり実際の権力者は天皇との外戚関係によりその地位を築き上げた。
欧州その他の地域における王が、より強き者にとって代わられたのとは異なり、
我が国における王は千年以上前より時の権力者に利用されてきた。
そうする方が新しい王朝を作るよりも手間がかからないのだと思う。
帝は時の権力者の地位を権威付けるための基準として維持されてきたのではないだろうか?
数十年前ですら統帥権を利用した大本営に利用されていた。
敗戦国として統治される際にも天皇は基準として利用された。
進駐軍は天皇よりも偉かったのだ。
そして現代において象徴とされた天皇に我慢がならず、
皇国史観と武士道の入り混じったものを日本人のこころと考えた、とある作家は、
割腹自殺を遂げたのだろう。
しかし基準であることと象徴であることに、それほどの違いがあるのだろうか?
藤原氏のDNAも入っていれば小和田氏のDNAも入っている。
男系優先なら秋篠宮親王が継ぐのだろうか?そうすると川嶋氏のDNAが入るのか?
神武天皇のY染色体がそれほど大切なものなのだろうか?
紀元前660年に即位したというが本当なのだろうか?
そのようにしていろいろ考えていると面倒になって思考停止に陥る。
そんなふうにして、いつの時代も思考停止していたのではないだろうか?
おそらくは紀元前より思考停止してきた結果が
天皇の存続であったのではないだろうか?

【花散里】
花散里は他の女君に比べて美しいというわけではないが温厚な性格の人物だ。
障害の多い恋にしか興味を持たない源氏にも
安らぎを得たいと思うことがあるらしい。