「・・・社会主義者らが提起する問題のすべては、二つの主要なる題目に帰結することができる。
第一:富を作り出すこと。
第二:富を分配すること。
第一の題目には労働問題が含まれる。
第二の題目には賃金問題が含まれる。
第一の題目においては労力の使用が問題である。
第二の題目においては享有の分配が問題である。
労力の適宜なる使用から、公衆の勢力が生じてくる。
享有の適宜なる分配から、個人の幸福が生じてくる。
適宜なる分配とは、平等なる分配の謂ではなくて、公平なる分配の謂である。
最上の平等とはすなわち公平のことである。」
富を蓄積することを覚えてから人はその分配をめぐって争い続けている。
平等な分配は怠け者を生み出し活力を削ぐので個人が発揮する能力に応じて富が分配されると言う。
一方で利益に対する各人の貢献を測る物差しのようなものはなく評価は恣意的になる。
権力者を取り巻く追従者が次の権力者となり富の分配を決めることになる。
社会主義者ですら権力を握った瞬間に暴君となり社会主義が成立しないことを証明した。
労働者の賃金はグローバル化の進展により下がり続けるのだと言う。
所得が減った労働者は購買力をなくし商品が売れなくなる。
世界で勝つためには労働者を甘やかしてはいけないのだと言う。
しかし実際の勝利者は柳井さんひとりだけで賃金の下がった社員は含まれていない。
王(会長)を富ますためには人民(社員)の犠牲はやむを得ない。
そして3年で半数に近い新卒がやめていくのだと言う。
使い切れないほどの富を蓄積してどうするつもりなのかよくわからない。
富は富の増殖を目的にしてしまう。
そして人は富に仕える。
「あなたは花の世話をなさるから天使に違いない。」
「いいえ、」と彼女は答えた。
「あたし悪魔よ。でもそんなことどうでもかまわないわ。」
エポニーヌは天使になれたかもしれない。
親の素行が彼女の人生を狂わせたのだろうか?
親が不幸であったコゼットには幸福が待っているが
親が悪人であったエポニーヌは自分を悪魔と考えるしかなかった。
全編を貫く悲惨と不幸の一部がそこにある。
「そんなことどうでもかまわない」と彼女は言う。
その通りかもしれない。
ガヴローシュはただこう答えた。
「巡査(おまわり)さんなんて言うやつがあるか、いぬと言うんだ。」
なるほど、19世紀から、フランスでも、「いぬ」と呼ばれていたのだ。日本にもこんな歌がある。
「いぬのー、おまわりさん、こまってしまって、ワン・ワン・ワワーン、ワン・ワン・ワワーン」
童謡かと思っていたが、そういう意味だったのか・・・
「革命の恩恵によって社会の状況は変わった。封建的王政的な病はもはや我々の血液の中にはない。
我々の政体のうちにはもはや中世は存しない。恐るべき黴菌が内部に満ちあふれていた時代、
恐ろしい響きのかすかに鳴り渡るのが足下に聞こえていた時代、土竜が穴を掘るような高まりが
文明の表面に見えていた時代、地面が亀裂していた時代、洞穴の口が開いていた時代、
そして怪物の頭がたちまち地下から出て来るのが見られた時代、そういう時代には
もはやいないのである。」
大革命に酔いしれて、社会の進歩を、人類の進歩を疑わない者は幸せだろう。
20世紀を知らない19世紀は幸せだろう。
19世紀が知らないホロコーストや核兵器を20世紀は経験した。
人は懐疑に陥り無邪気な進歩を信用しなくなる。
彼に「神」を語ったところで
徒労に終わるだろう。
「コゼットとマリユスにとっては、もはやマリユスとコゼットとのほかは何物も存在しなかった。
周囲の万物はすべて穴の中に没してしまっていた。彼らは光り輝く黄金の瞬間に生きていた。
前には何物もなく。後ろにも何物もなかった。」
予告されていた通りコゼットとマリユスは「互いに欽慕」し合うようになる。
そのようにして時を過ごすのは幸せなことに違いない。
その夢から覚めたのはいつのことだったろう。
どうしてそこに留まることが出来ないのだろう。
愛し合うだけでは暮らしては行けない。
第一:富を作り出すこと。
第二:富を分配すること。
第一の題目には労働問題が含まれる。
第二の題目には賃金問題が含まれる。
第一の題目においては労力の使用が問題である。
第二の題目においては享有の分配が問題である。
労力の適宜なる使用から、公衆の勢力が生じてくる。
享有の適宜なる分配から、個人の幸福が生じてくる。
適宜なる分配とは、平等なる分配の謂ではなくて、公平なる分配の謂である。
最上の平等とはすなわち公平のことである。」
富を蓄積することを覚えてから人はその分配をめぐって争い続けている。
平等な分配は怠け者を生み出し活力を削ぐので個人が発揮する能力に応じて富が分配されると言う。
一方で利益に対する各人の貢献を測る物差しのようなものはなく評価は恣意的になる。
権力者を取り巻く追従者が次の権力者となり富の分配を決めることになる。
社会主義者ですら権力を握った瞬間に暴君となり社会主義が成立しないことを証明した。
労働者の賃金はグローバル化の進展により下がり続けるのだと言う。
所得が減った労働者は購買力をなくし商品が売れなくなる。
世界で勝つためには労働者を甘やかしてはいけないのだと言う。
しかし実際の勝利者は柳井さんひとりだけで賃金の下がった社員は含まれていない。
王(会長)を富ますためには人民(社員)の犠牲はやむを得ない。
そして3年で半数に近い新卒がやめていくのだと言う。
使い切れないほどの富を蓄積してどうするつもりなのかよくわからない。
富は富の増殖を目的にしてしまう。
そして人は富に仕える。
「あなたは花の世話をなさるから天使に違いない。」
「いいえ、」と彼女は答えた。
「あたし悪魔よ。でもそんなことどうでもかまわないわ。」
エポニーヌは天使になれたかもしれない。
親の素行が彼女の人生を狂わせたのだろうか?
親が不幸であったコゼットには幸福が待っているが
親が悪人であったエポニーヌは自分を悪魔と考えるしかなかった。
全編を貫く悲惨と不幸の一部がそこにある。
「そんなことどうでもかまわない」と彼女は言う。
その通りかもしれない。
ガヴローシュはただこう答えた。
「巡査(おまわり)さんなんて言うやつがあるか、いぬと言うんだ。」
なるほど、19世紀から、フランスでも、「いぬ」と呼ばれていたのだ。日本にもこんな歌がある。
「いぬのー、おまわりさん、こまってしまって、ワン・ワン・ワワーン、ワン・ワン・ワワーン」
童謡かと思っていたが、そういう意味だったのか・・・
「革命の恩恵によって社会の状況は変わった。封建的王政的な病はもはや我々の血液の中にはない。
我々の政体のうちにはもはや中世は存しない。恐るべき黴菌が内部に満ちあふれていた時代、
恐ろしい響きのかすかに鳴り渡るのが足下に聞こえていた時代、土竜が穴を掘るような高まりが
文明の表面に見えていた時代、地面が亀裂していた時代、洞穴の口が開いていた時代、
そして怪物の頭がたちまち地下から出て来るのが見られた時代、そういう時代には
もはやいないのである。」
大革命に酔いしれて、社会の進歩を、人類の進歩を疑わない者は幸せだろう。
20世紀を知らない19世紀は幸せだろう。
19世紀が知らないホロコーストや核兵器を20世紀は経験した。
人は懐疑に陥り無邪気な進歩を信用しなくなる。
彼に「神」を語ったところで
徒労に終わるだろう。
「コゼットとマリユスにとっては、もはやマリユスとコゼットとのほかは何物も存在しなかった。
周囲の万物はすべて穴の中に没してしまっていた。彼らは光り輝く黄金の瞬間に生きていた。
前には何物もなく。後ろにも何物もなかった。」
予告されていた通りコゼットとマリユスは「互いに欽慕」し合うようになる。
そのようにして時を過ごすのは幸せなことに違いない。
その夢から覚めたのはいつのことだったろう。
どうしてそこに留まることが出来ないのだろう。
愛し合うだけでは暮らしては行けない。