140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#92危機の傑作

2019-06-24 20:52:52 | 音楽
第469回定期演奏会<危機の傑作>
ドヴォルザーク: 序曲『謝肉祭』作品92
グラズノフ: ヴァイオリン協奏曲イ短調 作品82
シューマン: 交響曲第2番ハ長調 作品61

「交響曲第2番(作品61)は、1845年末から約1年間を費やして完成した。
この間、1846年5月には幻聴や耳鳴りのために作曲できなくなり、双極性障害の症状も現れるようになっていた。
このため第2交響曲は、シューマンが危機を乗り越えて再生した「勝利の歌」ということもできる」
交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、子供の情景、森の情景を好んで聴いていた。
最近はあまり聴いていない。シューマンだけではなく、音楽を聴く時間が減っている。
名フィルの演奏会をきっかけに、知らない曲をYouTubeからダウンロードして覚えたり、
昔よく聴いていた曲を何年か振りで聴いてみたりする。
全部iPhoneに入っているので再生してみる。大きなスピーカーもいつの間にかなくなってしまった。
インナーイヤーヘッドフォンではなく、iPhoneの貧弱なスピーカーから音を出してみる。
幻想的であったり、憧憬が入り混じっていたり、何か自分と相性の良い何かが入っているような気がする。
堅牢な構成をしていてもどこか自由なところがある。今にも飛び立とうとするような。
外は雨が降っている。見えもしない金属のパイプが雨に打たれて軽快な音を立てている。
その音に穏やかで優しいピアノの旋律が重なる。互いに干渉しない。
今、聞こえている雨降りの音もピアノの音もずっと昔からそこにあったのだというように。
クララへの想い、喜びや悲しみ、あるいは苦痛が込められているのだと。
その想いはそれが哀しみに満ちたものであったとしても甘美な鍵盤の音に置き換えられている。
かつてあった二人の気持ちを夜の雨の中に感じ取ったような気分になる。
危機を乗り越えてこの交響曲は作曲された。障害を乗り越えた作曲家はこの曲の行く末を知らない。
それは170年後の異国で演奏された。そして次に演奏される機会を待っている。

名古屋フィル#91最後の傑作

2019-06-02 20:25:50 | 音楽
第468回定期演奏会<最後の傑作>
バルトーク:ハンガリーの風景 Sz.97
バルトーク:ヴィオラ協奏曲 Sz.120[シェルイ補筆版]
シベリウス:交響曲第6番ニ短調 作品104
シベリウス:交響曲第7番ハ長調 作品105

シベリウスの交響曲第7番は1924年、最後の完成作である交響詩タピオラは1926年に完成されたそうだ。
その後、さらに30年生きたが、大規模な作品が完成することはなかった。
1865年生まれだから1926年時点で60歳を超えている。
60歳から90歳までの30年間を隠居していたからと言って非難されるのは割に合わない話だ。
本当に彼が20世紀を代表する作曲家であるなら、死の間際まで作曲していてもおかしくはないはずだと
凡人の腹いせと知りながら、私たちはその手の要求を突き付け、同じ地べたに引きずり降ろそうとする。
交響曲第8番の自筆譜は1945年に本人によって焼却されたという話がある。
1945年であれば第7番から20年間、創作に取り組んでいたなら、非常な苦しみを伴っていたかもしれない。
同時期を生きたグスタフ・マーラーは彼より40年短い生涯をとっくに終えてしまった。
バルトークやショスタコーヴィチを才能のある若い世代と認めていたという。
ロシアからの独立という時期に音楽により国民を鼓舞したことにより名声を得た。
そして最後の作品を完成させてから、音楽上の新しい試みが結実することはなく30年の年月は過ぎた。
私たちの人生もそのようなものかもしれない。
何かやろうと思い立っても、何もできないまま時間だけが通り過ぎて行く。
何も出来なかったという罪悪感から逃れることは出来ない。