140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#96ペトルーシュカ

2019-12-15 22:53:35 | 音楽
第474回定期演奏会〈「マスターピース」シリーズ/舞踊の傑作〉
デュカス: バレエ『ラ・ペリ』
酒井健治: ヴィジョン-ガブリエーレ・ダンヌンツィオに基づいて[委嘱新作,世界初演]
ストラヴィンスキー: バレエ『ペトルーシュカ』[1947年版]

<『ペトルーシュカ』は、ストラヴィンスキーが、1911年にバレエ・リュスのために作曲したバレエ音楽。
おがくずの体を持つわら人形の物語で、主人公のパペットは命を吹き込まれて恋を知る。
ペトルーシュカ(ピョートルの愛称)は、いわばロシア版のピノキオ>と書いてあった。
「命を吹き込まれて」というのは何も人形に限ったことではないような気がする。
生命の仕組み、意識や知性の働き、それがどういうことなのかを知らないで生きている私たちもまた、
「命を吹き込まれて」生きているようであり、数十年もすればその命を取り上げられてしまう。
人間になりきれない人形が哀れという気はしなくて、人間がいっそう哀れと感じる。
ペトルーシュカは権力者に振り回され続ける弱者のようであり、それは私たち自身の日常の姿に見える。
そこで繰り広げられているバレエと音楽がグロテスクで気持ちが悪いと感じたなら、
それは核心をついているのであり、私たちが日々感じている日常こそが本当はグロテスクかもしれない。
科学と技術を振りかざして自然を改変し続けることを正当化することに慣れた私たちは一方で、
占いや風水といった呪術的な要素をずっと振り払えないでいる。
命は吹き込まれるもので、それは簡単に壊れてしまうものなのだと本当に思っている。
初演されてからしばらく後、ウイーンフィルは、この楽曲を「いかがわしい音楽」と呼んだそうだ。
確かに高尚な音楽ではないかもしれない。人の気持ちを陽気にする音楽ではないかもしれない。
21世紀を生きる人間は、ディジタル録音された楽曲を何度も聴くことが出来るので、
この楽曲に対して、それほど違和感を覚えるというわけでもないと思うが。
この日、ペトルーシュカに先立って演奏された世界初演の楽曲を私を含む大勢の人間が理解出来なかったのと同じで、
当時のウイーンフィルも理解出来なかったということなのだろう。
そんな鋭敏な感覚は残念ながら持ち合わせていないということになる。
そのことで百年後を生きる人々は当時を生きた私たちを蔑むのかもしれない。

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