140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

海辺のカフカ

2015-08-29 00:05:21 | 村上春樹
「海辺のカフカ」に登場する人物の相関関係を洗い出すと次のようになる。

■予言
僕 田村カフカ/カラスと呼ばれる少年
姉 さくら
母 佐伯さん
父 田村浩一/ジョニー・ウォーカー

■父殺し
加害者 田村カフカ/ナカノさん/ホシノちゃん
被害者 田村浩一/ジョニー・ウォーカー/白い物体

■恋人
昔 海辺のカフカ/佐伯さん
今 田村カフカ/佐伯さん

■案内役
大島さん(田村カフカ)
カーネル・サンダース(ホシノちゃん)

■敵対関係
芸術 ジョニー・ウォーカー
論理 カーネル・サンダース

■あの絵の中の人物
海辺のカフカ/ナカノさん

■半分しか影がない人たち(出入りした人たち)
佐伯さん/ナカノさん

■物語の進行
表 田村カフカ/大島さん/佐伯さん
裏 ジョニー・ウォーカー/ナカノさん/ホシノちゃん/カーネル・サンダース

■海辺のカフカ
佐伯さんの恋人/絵/曲

かなり入り組んでいて、正直よくわからない。影やトリックスターが錯綜している感じがする。エディプス・コンプレックスという点でフロイトだがタイトルはカフカとなっている。「世界の仕組みそのものが滅びと喪失の上に成り立っている」ということなので根底には「喪失感」が潜んでいる。「僕」や大島さんの持つ知性が表であるならば、およそ知性とは無縁であるナカノさんとホシノちゃんが裏で活躍する。そこには「知性」という落とし穴を逃れるためのヒントみたいなものがあるのだろうか?
物語の最後の方では「僕」は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」にかなり似た内面の世界を訪れる。「僕」と違って成長著しいホシノちゃんは「無味乾燥ではない世界」を捉える感性を発展させて行く。激烈な人生を送ったベートーヴェンの「大公トリオ」の良さを感じとれるようになったホシノちゃんが、芸術生活に疲れ果てたのではないかと疑われるジョニー・ウォーカーの化身の息の根を止めるというのはなにかしら矛盾しているのではないかと思われるのだが、あまり気にしない方がよいかもしれない。だが、猫の魂で作ったとくべつな笛とは、まさに「大公トリオ」のことであるかもしれない。そうだとすると物語りは循環しているようだ。

[上巻]

65ページ
「名前はなんていうんですか?」と僕はたずねてみる。
「私の名前のこと?」
「そう」
「さくら」と彼女は言う。「君は?」
「田村カフカ」と僕は言う。
「田村カフカ」とさくらは反復する。「変わった名前だね。覚えやすいけど」
僕はうなずく。べつの人間になることは簡単じゃない。でもべつの名前になることは簡単にできる。

79ページ
「昔の世界は男と女ではなく、男男と男女と女女によって成立していた。つまり今の二人ぶんの素材でひとりの人間ができていたんだ。それでみんな満足して、こともなく暮らしていた。ところが神様が刃物を使って全員を半分に割ってしまった。きれいにまっぷたつに。その結果、世の中は男と女だけになり、人々はあるべき残りの半身をもとめて、右往左往しながら人生を送るようになった」

94ページ
「そうです。ナカタと申します。猫さん、あなたは?」
「名前は忘れた」と黒猫は言った。「まったくなかったわけじゃないんだが、途中からそんなもの必要もなくなってしまったもんだから、忘れた」
・・・
「・・・名前があるとなにかと便利なのであります。そうすればたとえば、何月何日の午後に**2丁目の空き地で黒猫のオオツカさんに出会って話をしたという具合に、ナカタのような頭の悪い人間にも、ものごとをわかりやすく整理することができます。そうすれば覚えやすくなります」

どちらかと言うとナカタさんも記憶とは関係が薄く現在にへばりついて生きている。猫はいっそう記憶とは無縁でほとんど現在に生きている。だから名前も要らない。映像とか音についての記憶であれば、名前は要らないかもしれないが、因果関係であれば名前や記号が必要になる。たいていの場合、体験を記憶して生存競争に役立てるためには、時刻と場所と客体を識別するための名称が必要になる。それらに先立って経験を一元的に管理するための主体が必要になる。そういういっさいのものが「猫」には必要ない。この物語では「名前の必要ない場所」がいくつか出て来る。たいていは記憶と無縁ということになる。記憶がなければ不幸になることはないのだろうが、幸福になることもない。そういうことは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に書かれていた。

101ページ
「・・・性欲というのは、まったく困ったものなんだ。でもそのときには、とにかくそのことしか考えられない。あとさきのことなんてなんにも考えられないんだ。それが・・・性欲ってもんだ・・・」

105ページ
「あんたの問題点はだね、オレは思うんだけれど、あんた・・・ちょっと影が薄いんじゃないかな。最初に見たときから思ってたんだけど、地面に落ちている影が普通の人の半分くらいの濃さしかない」

114ページ
今から百年後には、ここにいる人々はおそらくみんな(僕をもふくめて)地上から消えて、塵か灰になってしまっているはずだ。そう考えると不思議な気持ちになる。そこにあるすべてのものごとがはかない幻みたいに見えてくる。風に吹かれて今にも飛び散ってしまいそうに見える。僕は自分の両手を広げてじっと見つめる。僕はいったいなんのためにあくせくとこんなことをしているのだろう? どうしてこんなに必死に生きていかなくてはならないんだろう?

どうせ死んでしまうのに、どうしてあくせくしなければならないのか? 
べつに生きたいと思って生まれてきたわけでもない。死にたくないと思っても永遠の命が与えられるわけでもない。意思とは生物に自動操縦させるための仕掛けのようなものだ。それは用意されたものであってそれについて不満を言っても仕方がないのだし、人生を切り開くために神様から賜った最高の贈り物であると賞賛するようなものでもない。

118ページ
「もちろん君はフランツ・カフカの作品をいくつか読んだことはあるんだろうね?」
僕はうなずく。「『城』と『審判』と『変身』と、それから不思議な処刑機械の出てくる話」
「『流刑地にて』」と大島さんは言う。「僕の好きな話だ。世界にはたくさんの作家がいるけれど、カフカ以外の誰にもあんな話はかけない」

140ページ
意識が戻ったとき、僕は深い茂みの中にいる。湿った地面の上に丸太のように横になっている。あたりは深い闇に包まれていて、なにも見えない。

146ページ
やれやれ、君はいったいどこでこんなたくさんの血をつけてきたんだ? 君はいったいなにをしたんだ? でも君はなにひとつ覚えちゃいない。君自身の身体には傷らしきものは見あたらない。左肩のうずきをべつにすれば、痛みらしい痛みもない。だからそこについている血は君自身の血じゃない。それは誰かべつの人間の流した血だ。

208ページ
でもしばらくしてふと気がつくと、一人の男の子が何かを手に持って、私の方に歩いてくるのが見えました。中田という男の子でした。そうです。その事件後意識を回復しないまま、長いあいだ病院に入っていた子どもです。その子が手に持っているのは、血に染まった私の手拭いでした。
・・・
気がついたとき私はその子を、中田君を、叩いていました。肩のあたりをつかんで、何度も何度も平手で頬を張ってました。
213ページ
能力のある子どもは、能力があるが故に、まわりの大人の手によって、達成するべき目標をどんどん絶え間なく積み上げられていくことがあります。そうすると、目の前の現実的な課題の処理に追われるあまり、当然そこにあるべき子どもとしての新鮮な感動や達成感が
徐々に失われていくことが多いのです。
214ページ
もうひとつ、私はそこに暴力の影を認めないわけにはいきませんでした。彼のちょっとした表情や動作に、瞬間的な怯えのしるしを感じとることが再三ありました。それは長期間にわたって加えられてきた暴力に対する、反射的な反応のようなものです。
・・・
しかし中田君のお父さんは大学の先生でした。お母さんも、いただいた手紙を拝見する限り、高い教養を備えた方のようでした。つまり都会のエリートの家庭です。もしそこに暴力があったとしたら、それはおそらく田舎の子どもたちが家の中で日常的に受ける暴力とは異なった、もっと複雑な要素を持つ、そしてもっと内向した暴力であったはずです。子どもが自分一人の心に抱え込まなくてはならない種類の暴力です。ですから私がそのとき山の中で、無意識的ではあるにせよ、彼に対して暴力を振るわなくてはならなかったのは、まことに残念なことでしたし、それについて私は深く悔やんでおります。それは私がもっともやってはならないことだったのです。彼は集団疎開によって半ば強制的に親元から離され、新しい環境に入れられ、それをひとつの機会として私に対して少しずつ心を開こうと準備していたところだったのですから。

私の奥底に潜み、時々その姿を見せる怯えは、かつて家庭という名の監獄で繰り広げられた暴力の痕跡なのだろう。経済的に自立していない子供には逃げ場所がなく、成人してからも育ててもらった負い目が彼の逃げ場所を奪う。しかしそんな暴力に屈してはいけないのだし、そんな連中の相手をまともにしていても仕方がないのだろう。その子のためだとか、競争に生き残るためとかなんとか言って、彼らが自分たちの独善的な生き方を子供に押し付けようとするのは、自分たちの存在を世の中に承認させようとする欲求のひとつのあり方なのだろう。だから世襲の芸とか職業とか、親から子に一流の才能が引き継がれるというのであれば、みんながハッピーになれるのだろうが、カフカの小説の主人公のように疑問を持ってしまうと様相が異なってくる。それはある種の人間にとっては避けようのないことだ。

220ページ
「ここに来てからどんなものを読んだの?」
「今は『虞美人草』、その前は『坑夫』です」

231ページ
「フランツ・シューベルトのピアノ・ソナタを完璧に演奏することは、世界でいちばんむずかしい作業のひとつだからさ。とくにこのニ長調のソナタはそうだ。とびっきりの難物なんだ」
235ページ
「シューベルトというのは、僕に言わせれば、ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽なんだ。それがロマンティシズムの本質であり、シューベルトの音楽はそういう意味においてはロマンティシズムの精華なんだ」

18番から21番までののシューベルトのピアノ・ソナタを愛好している。
旧約聖書と呼ばれる平均律クラヴィーア曲集や新約聖書と呼ばれるベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタよりも好きだ。ものすごく演奏時間が長いのだが、ブルックナーやマーラーの交響曲と同様に、長いと感じることはない。ここで「ニ長調のソナタ」というのは番号で言えば17番にあたる。18番以降の作品に比べると「不完全」ということになる。そこに愛着を感じる著者の嗜好もどうかと思うが、この作曲家の特徴を的確に捉えているということかもしれない。フランツ・シューベルトが「ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽」というのであればフランツ・カフカもまた「ものごとのありかたに挑んで敗れるための小説」ということかもしれない。そういう滅びのあり方が、この小説の根底にあるのではないかと思う。

264ページ
「ウィスキーを嗜む人なら一目見てわかるんだが、まあよろしい。私の名前はジョニー・ウォーカーだ。ジョニー・ウォーカー。世間のだいたいの人は私のことを知っている。自慢するんじゃないが全地球的に有名なんだ。イコン的な有名さと言ってもいい。とはいえ、私は本物のジョニー・ウォーカーではない。英国の酒造会社とは何の関係もない。とりあえずラベルにあるその格好と名前を無断で拝借して使っているだけだ。格好と名前というのはなんといっても必要だからね」

295ページ
「いいかい、私がこうして猫たちを殺すのは、ただの楽しみのためではない。楽しみだけのためにたくさんの猫を殺すほど、私は心を病んではいない。というか、私はそれほど暇人ではない。こうやって猫を集めて殺すのだってけっこう手間がかかるわけだからね。私が猫を殺すのは、その魂を集めるためだ。その集めた猫の魂を使ってとくべつな笛を作るんだ。そしてその笛を吹いて、もっと大きな魂を集める。そのもっと大きな魂を集めて、もっと大きい笛を作る。最後にはおそらく宇宙的に大きな笛ができあがるはずだ」

すぐれた芸術とは「集めた猫の魂を使ってとくべつな笛を作る」ということなのかもしれない。どうしてそうなのかはよくわからない。

298ページ
「時間があまりない。単刀直入に言ってしまおう。私が君にやってもらいたいのは、私を殺すことだ。私の命を奪うことだ」

301ページ
「というわけでつまり、君はこう考えなくちゃならない。これは戦争なんだとね。それで君は兵隊さんなんだ。今ここで君は決断を下さなくてはならない。私が猫たちを殺すか、それとも君が私を殺すか、そのどちらかだ。君は今ここで、その選択を迫られている。もちろんそれは君の目から見れば実に理不尽な選択だろう。しかし考えてもみてごらん、この世の中のたいていの選択は理不尽なものじゃないか」

確かに、たいていの選択は理不尽であり、カフカであれば不条理と呼んだかもしれない。ひっそりと心静かに暮らしたいと願っても、そっとしておいてはくれない。世界にたった一人の例外もない。互いの存在目的を掲げてエゴとエゴが衝突し合う世界というのは、結局のところ万人にとって理不尽な世界になってしまう。そもそも個人の衝突を回避するためのシステムがいちばん理不尽なものであるかもしれない。世界がその結びつきを強固にすれば個人にとってはますます理不尽になって行く。戦争がなくなっても、戦争のようなものはなくならない。

314ページ
ジョニー・ウォーカーはくすくすと笑った。「人が人でなくなる」と彼は繰り返した。「君が君でなくなる。それだよ、ナカタさん。素敵だ。なんといっても、それが大事なことなんだ。『ああ、おれの心のなかを、さそりが一杯はいずりまわる!』、これもまたマクベスの台詞だな」

331ページ
「僕がいつか図書館で君に話したことを覚えているかな? 人はみんな自分の片割れを求めてさまよっているという話を」
「男男と女女と男女の話」
「そう。アリストパネスの話。僕らの大部分は自分の残り半分を必死に模索しながら、つたなく人生を送ることになる。しかし佐伯さんと彼にはそんな模索をする必要もなかった。二人は生まれながらにして、まさにその相手をみつけていたんだ」

335ページ
「曲のタイトルななんていうんですか?」
「『海辺のカフカ』」と大島さんは言った。
「『海辺のカフカ』?」
「そうだよ、田村カフカくん。君と同じ名前だ。奇しき因縁というところだね」

341ページ
「図書館がどうしてそんなに大事だったんだろう」
「ひとつには、そこに彼が住んでいたからだよ。彼は、佐伯さんの亡くなってしまった恋人は、今の甲村図書館がある建物で、
つまりかつての甲村家の書庫の中で生活していたんだ」

345ページ
「ナカタは寝ていたのでしょうか?」と彼は猫たちに尋ねた。2匹の猫は何かを訴えるように、口々に鳴いた。しかしナカタさんはその言葉を聞き取ることができなかった。

364ページ
部屋の中には装飾的なものはなにもないが、壁に一枚だけ小さな油絵がかかっている。海辺にいる少年の写実的な絵だった。悪くない絵だ。名のある画家が描いたのかもしれない。少年はたぶん12歳くらい。白い日よけ帽をかぶり、小振りなデッキチェアに座っている。手すりに肘をつき、頬杖をついている。いくぶん憂鬱そうな、いくぶん得意そうな表情を顔に浮かべている。黒いドイツ・シェパードが少年を護るような格好でそのとなりに腰をおろしている。背景には海が見える。何人かの人々も描きこまれているが、とても小さくて顔までは見えない。沖には小さな島が見える。海の上には握り拳のようなかたちをした雲がいくつか浮かんでいる。夏の風景だ。僕は机の前の椅子に座って、しばらくその絵を眺める。見ていると、実際に波の音が聞こえ、潮の匂いがかぎとれそうな気がしてくる。

380ページ
ただ、僕はこんな格好はしていても、レズビアンじゃない。性的嗜好でいえば、僕は男が好きです。つまり女性でありながら、ゲイです。

385ページ
「・・・結局のところ、佐伯さんの幼なじみの恋人を殺してしまったのも、そういった連中なんだ。想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。・・・」

想像力が欠けているというのであれば、思想の表面的な部分が伝播していって世界がますます混乱してしまうというのは、当然のことであるように思える。いちばん薄っぺらなところがいちばん伝わりやすいのだろう。そして結局のところ私たちという複合体は、想像力や責任を欠いたところで、もっともその正体を曝け出してしまうのだろう。そうすると大島さんはいったい誰を非難して何を怖れているのだろうか?
そういった連中とは誰のことなのか? 
自分ではない誰かのことなのか?
人間そのものか?

393ページ
「わかりません。でもそこに行けばわかります。とりあえず、トーメイ高速道路を西に向かいます。それからあとのことは、またあとで考えようと思います。とにかくナカタは西に向かわなくてはならないのです」

424ページ
「君のお父さんが殺された翌日、その現場のすぐ近くに、イワシとアジが2000匹空から降ってきた。これはきっと偶然の一致なんだろうね」
「たぶん」
「そして新聞には、東名高速道路の富士川サービスエリアで、同じ日の深夜に大量のヒルが空から降ってきたという記事が載っていた。狭い場所に局地的にふったんだ。そのおかげでいくつか軽い衝突事故が起こった。かなり大きなヒルだったらしい。どうしてヒルの大群が空から雨みたいにばらばらと降ってきたのか、誰にも説明できない。風もほとんどない、晴れた夜だった。それについても心当たりはない?」

427ページ
「僕はどんなに手を尽くしてもその運命から逃れることはっできない、と父は言った。その予言は時限装置みたいに僕の遺伝子の中に埋めこまれていて、なにをしようとそれを変更することはできないんだって。僕は父を殺し、母と姉と交わる」

429ページ
大島さんは言う。「君のお父さんの作品を作品をこれまで何度か実際に見たことがある。才能のある優れた彫刻家だった。オリジナルで、挑戦的で、おもねるところがなく、力強い。彼の造っているものはまちがいなく本物だった」
「そうかもしれない。でもね、大島さん、そういうものをひっぱりだしてきたあとの残りかすを、毒のようなものを、父はまわりにまきちらし、ぶっつけなくちゃならなかったんだ。父は自分のまわりにいる人間をすべて汚して、損なっていた。父が求めてそうしていたのかどうか、僕は知らない。ただそうしないわけにはいかなかったということなのかもしれない。もともとそういうふうにつくられていたということなのかもしれない。
でもどっちにしても父はそういう意味では、とくべつななにかと結びついていたんじゃないかと思うんだ。僕の言いたいことはわかる?」
「わかると思う」と大島さんは言う。「そのなにかはおそらく、善とか悪とかという峻別を超えたものだったんだろう。力の源泉と言えばいいのかもしれない」

芸術がなければ「無味乾燥な人生を送る」であろう私たちは、毒をまきちらされたり猫が殺されたりしても芸術を欲するのだろう。それは「善とか悪とかという峻別を超えたもの」なのだ。ワーグナーのパトロンが芸術にハマッて財政が傾いて当時生きていた人々は迷惑しただろうが、その時代が過ぎ去ってしまえば偉大な芸術作品として人類共通の財産となる。そういう作品に接することで私たちは自分自身を向上させることができるのだろうか?
おそらくは作品の生い立ちと作品そのものは別なのだろう。人格の優れた人物が偉大な作品を生み出すというわけではないのだろう。

432ページ
「とにかくそれが君がはるばる四国まで逃げてきた理由なんだね。お父さんの呪いから逃れることが」と大島さんは言う。

472ページ
そしてもうひとつ大事な事実―――僕はその<幽霊>に心をひかれている。僕は今そこにいる佐伯さんにではなく、今そこにはいない15歳の佐伯さんに心をひかれている。

476ページ
「・・・怪奇なる世界というのは、つまりは我々自身の心の闇のことだ。19世紀にフロイトやユングが出てきて、僕らの深層意識に分析の光をあてる以前には、そのふたつの闇の相関性は人々にとっていちいち考えるまでもない自明の事実であり、メタファーですらなかった。いや、もっとさかのぼれば、それは相関性ですらなかった。エジソンが電灯を発明するまでは、世界の大部分は文字通り深い漆黒の闇に包まれていた。そしてその外なる物理的な闇と、内なる魂の闇は境界線なくひとつに混じり合い、まさに直結していたんだ―――こんな具合に」
大島さんは両方の手のひらをぴたりとひいとつにあわせる。「紫式部の生きていた時代にあっては、生き霊というのは怪奇現象であると同時に、すぐそこにあるごく自然な心の状態だった。そのふたつの種類の闇をべつべつに分けて考えることは、当時の人々にはたぶん不可能だったろうね。しかし僕らの今いる世界はそうではなくなってしまった。外の世界の闇はほとんどそのまま残っている。僕らが自我や意識と名づけているものは、氷山と同じように、その大部分を闇の領域に沈めている。そのような乖離が、ある場合には僕らの中に深い矛盾と混乱を生みだすことになる」

「心の闇」という表現は、すべてが自我や意識に管理されるべきとか、認識されるべきといった傲慢さから派生しているのではないかと思う。自我そのものは幻想にすぎないのだから、無意識の欲求を承認できないとか、そんなことで苦しむ必要もないのではないかと思う。奔放の限りを尽くす夢にしたって自分を知るための手がかりにすれば良いのではないかと思う。脳の活動を心であるとか精神であるとか自我、意識に限定してしまうことがすでに誤りではないかと思う。精神とは身体という大きな自分の中の部分に過ぎないと確かニーチェがそんなことを書いていた。人間以外の脳の働きなんてものは、すべてが無意識であるかもしれない。内臓を含む身体の制御を脳が司るとして、そんなことをいちいち意識に報告する必要なんてないのだ。誰が逐一、呼吸や消化の状況を知りたがるだろう。そのような伝える必要のない身体の制御状況、無意識、意識といったことの総称が脳の活動ということになる。意識以外の領域を「闇」と呼ぶ必要さえないのではないかと思う。

480ページ
『海辺のカフカ』

あなたが世界の縁にいるとき
私は死んだ火口にいて
ドアのかげに立っているのは
文字をなくした言葉。

眠るとかげを月が照らし
空から小さな魚が降り
窓の外には心をかためた
兵士たちがいる

(リフレイン)
海辺の椅子にカフカは座り
世界を動かす振り子を想う。
心の輪が閉じるとき
とこにも行けないスフィンクスの
影がナイフとなって
あなたの夢を貫く。

溺れた少女の指は
入り口の石を探し求める。
青い衣の裾をあげて
海辺のカフカを見る。

484ページ
佐伯さんは『海辺のカフカ』の歌詞をこの部屋の中で書いたのだろう。レコードを何度も聴いているうちに、僕はだんだんそう確信するようになる。そして海辺のカフカとは、壁にかかった油絵の中に描かれている少年のことなのだ。

『海辺のカフカ』とは、佐伯さんの恋人であり、佐伯さんの書いた曲のタイトルであり、この部屋にある油絵であり、そして田村カフカのことでもある。

[下巻]

45ページ
「あなたを見ていると、ずっと昔に15歳だった男の子のことを思いだすわ」
「その人は僕に似ている?」
「あなたのほうが背は高いし、体つきもがっしりしている。でも似ているかもしれない。
彼は同年代の子どもたちとは話があわなくて、いつもひとりで部屋にこもって、本を読んだり音楽を聴いたりしていた。
むずかしい話をするときには、あなたと同じように眉のあいだにしわが寄った。あなたもよく本を読むということだけれど」

67ページ
「ホシノちゃん」とその老人は呼んだ。よくとおるきんきんとした声だった。少し訛がある。
星野青年は呆然としてその男の顔を見ていた。「あんたは―――」
「そうだ。サンダース大佐だ」
「そっくりだ」と青年は感心して言った。
「そっくりではない。わしがカーネル・サンダースだ」

89ページ
「ねえ田村くん、悪いとは思うんだけど、そのことについてはイエスともノオとも言えない。少なくとも今は。私は疲れているし、風も強いし」

96ページ
「『純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ』」
青年は顔をあげ、口を半分あけて、女の顔を見た。「それ、何?」
「アンリ・ベルグソン」と彼女は亀頭に唇をつけ、精液の残りを舐めてとりながら言った。

知覚を語ろうとしても記憶しか参照できないので「知覚が記憶である」ことになってしまうのではないかと思う。文章にする時には、すでに「現在」は失われてしまうのだ。

98ページ
「『<私>は関連の内容であるのと同時に、関連することそのものでもある』」
「ふうん」
「ヘーゲルは<自己意識>というものを規定し、人間はただ単に自己と客体を離ればなれに認識するだけではなく、媒介としての客体に自己を投射することによって、行為的に、自己をより深く理解することができると考えたの。それが自己意識」
「ぜんぜんわからないな」
「それはつまり、今私があなたにやっていることだよ、ホシノちゃん。私にとっては私が自己で、ホシノちゃんが客体なんだ。ホシノちゃんにとってはもちろん逆だね。ホシノちゃんが自己で、私が客体。私たちはこうしてお互いに、自己と客体を交換し、投射しあって、自己意識を確立しているんだよ。行為的に。簡単に言えば」
「まだよくわからないけど、なんか励まされるような気がする」
「それがポイントだよ」と女は言った。

考えている時に意識は自分のことを考えたりはしないが、意識が自分は考えていると思ったときには自己を意識している。「対自」というのは、そのことをうまく表現しているのではないかと思う。「自己と客体を交換」しているのかどうかわからない。

111ページ
彼女は頬杖をつくのをやめ、僕のほうに顔を向ける。それが佐伯さんであることに僕は気づく。僕は息を呑んだまま、吐きだすことができない。そこにいるのは、現在の佐伯さんなのだ。べつの言いかたをするなら、それは現実の佐伯さんなのだ。

121ページ
「・・・私の役目は世界と世界とのあいだの相関関係の管理だ。ものごとの順番をきちんと揃えることだ。原因のあとに結果が来るようにする。意味と意味が混じり合わないようにする。現在の前に過去が来るようにする。現在のあとに未来が来るようにする。・・・」
「私は人じゃない。何度言えばわかるんだ」

「原因のあとに結果が来るようにする。意味と意味が混じり合わないようにする。現在の前に過去が来るようにする」というのはとても人間的なことであるように思える。人間が介在しないのであれば、そんなことは誰も気にしないだろう。だからカーネル・サンダース本人が「人じゃない」と言ったとしても「人である」としか解釈できない。

127ページ
「いいか、ホシノちゃん。すべての物体は移動の途中にあるんだ。地球も時間も概念も、愛も生命も信念も、正義も悪も、すべてのものごとは液状的で過渡的なものだ。ひとつの場所にひとつのフォルムで永遠に留まるものはない。宇宙そのものが巨大なクロネコ宅急便なんだ」

138ページ
「その仮説の中では、私はあなたのお母さんなのね」

143ページ
彼女は首を振る。「べつに死のうとしているわけじゃないのよ。ほんとうのところ。私はここで、死ややってくるのをただ待っているだけ。
駅のベンチに座って列車を待っているみたいに」

145ページ
「あなたはあの二つのコードをどこでみつけたんですか?」
「二つのコード?」
「『海辺のカフカ』のブリッジのコード」
彼女は僕の顔を見る。「あのコードは好き?」
僕はうなずく。
「私はあの二つのコードを、とても遠くにある古い部屋の中で見つけたの。そのときにはその部屋のドアは開いていたの」と彼女は静かに言う。
「とてもとても遠くにある部屋」

153ページ
「ねえ知ってる? ずっと前に私はこれとまったく同じことをしていたわ。まったく同じ場所で」
「知ってるよ」と君は言う。

168ページ
「ナカタは頭が悪いばかりではありません。ナカタは空っぽなのです。それが今の今よくわかりました。ナカタは本が一冊もない図書館のようなものです。昔はそうではありませんでした。ナカタの中にも本がありました。ずっと思い出せずにいたのですが、今思い出しました。はい。ナカタはかつてはみんなと同じ普通の人間だったのです。しかしあるとき何かが起こって、その結果ナカタは空っぽの入れ物みたいになってしまったのです」
「でもさ、ナカタさん。そんなこと言い出したら、俺たちはみんな多かれ少なかれ空っぽなんじゃないのかい。メシ食って、クソして、ろくでもない仕事をして安い給料をもらって、ときどおきオマンコするだけじゃないか。それ以外に何があるんだい。・・・」

172ページ
「でもさ、どうしてナカタさんがその石を扱わなくちゃならないんだろう? どうしてそれはナカタさんじゃなくちゃいけないんだろう?」、星野青年は雷鳴が一段落したときに尋ねた。
「ナカタは出入りをした人間だからです」
「出入りをした?」
「はい。ナカタは一度ここから出ていって、また戻ってきたのです。日本が大きな戦争をしておりました頃のことです。そのときに何かの拍子で蓋があいて、ナカタはここから出ていきました。そしてまた何かの拍子に、ここに戻ってきました。そのせいでナカタは普通のナカタではなくなってしまいました。影も半分しかなくなってしまいました。そのかわり、今はうまくできませんが、猫さんと話をすることもできました。おそらくは空からものを降らせることもできました」

174ページ
「ジョニー・ウォーカーさんはナカタの中に入ってきました。ナカタが望んだことではないことをナカタにさせました。ジョニー・ウォーカーさんはナカタを利用したのです。でもナカタはそれに逆らうことができませんでした。ナカタには逆らえるだけの力がありませんでした。なぜならばナカタには中身というものがないからです」

192ページ
「誰も助けてはくれない。少なくともこれまでは誰も助けてはくれなかった。だから自分の力でやっていくしかなかった。そのためには強くなることが必要です。はぐれたカラスと同じです。だから僕は自分にカフカという名前をつけた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです」

「カフカというのはチェコ語でカラスのこと」なのだと言う。そうするとべつに不条理だとか理不尽ということではないかもしれない。

199ページ
僕が誰なのか、それは佐伯さん」にもきっとわかっているはずだ、と君は言う。僕は『海辺のカフカ』です。あなたの恋人であり、あなたの息子です。カラスと呼ばれる少年です。そして僕らは二人とも自由にはなれない。僕らは大きな渦の中にいる。ときには時間の外側にいる。僕らはどこかで雷に打たれたんです。音もなく姿も見えない雷に。

209ページ
たとえば俺はこれまで中日ドラゴンズを熱心に応援してきた」。でも俺にとって中日ドラゴンズというのはいったい何なんだ? 中日ドラゴンズが読売ジャイアンツに勝つことで、俺という人間が少しでも向上するのだろうか? するわけないよな、と青年は思った。じゃあなんでそんなものを、まるで自分の分身みたいに今まで一生懸命応援してきたんだろう?

212ページ
ある日お釈迦様が彼に言った。「よう、茗荷、お前頭わるいから、経典もう覚えなくていい。そのかわりずっと玄関の土間に座ってみんなの靴を磨いてな」とか。茗荷は素直だったので、「ふざけんじゃねえや、お釈迦。てめえのケツでもなめてろ」とは言わなかった。それから10年も20年も言われたとおりみんなの靴をせっせと磨き続けた。そしてある日ぽんと悟りを開き、お釈迦様の弟子たちの中でももっともすぐれた人物の一人になった―――というような話だったと星野青年は記憶していた。

216ページ
「ピエール・フルニエは私のもっとも敬愛する音楽家の一人です。上品なワインと同じです。香りがあり、実体があり、血を温め、心臓を静かに励ましてくます。・・・」

フルニエの無伴奏チェロ組曲をよく聴く。

226ページ
君もその老人も、中野区野方からまっすぐ高松に向かっている。偶然の一致にしてはできすぎている。当然、そこにはなにかがあると警察は考える。たとえば君たちが共謀して今回の事件を仕組んだんじゃないかとね。

233ページ
大島さんは長いあいだ黙っている。それから口を開く。「そのとおりだ」と彼は認める。「君の言うとおりだ。僕はそう考えている」
「僕が佐伯さんに死をもたらそうとしている、ということだね」

234ページ
「いろんなことは君のせいじゃない。僕のせいでもない。予言のせいでもないし、呪いのせいでもない。DNAのせいでもないし、不条理のせいでもない。構造主義のせいでもないし、第三次産業革命のせいでもない。僕らがみんな滅び、失われていくのは、世界の仕組みそのものが滅びと喪失の上に成り立っているからだ。僕らの存在はその原理の影絵のようなものに過ぎない。風は吹く。荒れ狂う強い風があり、心地よいそよ風がある。でもすべての風はいつか失われて消えていく。風は物体ではない。それは空気の移動の総称にすぎない。君は耳を澄ます。君はそのメタファーを理解する。

仏教では「無自性―空―縁起」ということだろう。
もともと生き物は永遠にその形を留めるようには作られてはいない。
そしてその世代交代は微生物によって支えられている。
死んだ個体が分解されないとしたら子孫の身体を作るための材料は提供されない。
そのような物質が循環する仕組みというのも世界の成り立ちであるかもしれない。
とりあえず元素を構成している陽子の崩壊はないと私たちは考えている。
核融合や核分裂が起こる条件下でなければ元素も安定しているのではないかと考えている。
だが世界を捉えようとする生き物はそれ自体が不安定なのだ。
一瞬のあいだだけその形を留める生き物は「影絵」のようなものに過ぎない。
そのことに不平を言ったところで不死が与えられるわけではない。
キリスト教やイスラム教であれば気前よく不死がもらえるかもしれない。

281ページ
1週間前だったら、俺はこんな音楽を聴いても、たぶんただの一切れも理解できなかっただろう、と青年は思った。理解しようという気持ちにだってなれなかっただろう、と青年は思った。理解しようという気持ちにだってなれなかっただろう。しかしふとした巡り合わせでたまたまあの小さな喫茶店に入って、座り心地のいいソファに座ってうまいコーヒーを飲み、おかげでこの音楽を自然に受け入れることができるようになった。

295ページ
「申しわけありませんんが、石さんは無口なのです」
「そうか、石は無口ときたね―――見かけからしてだいたいの想像はつくよ」と星野青年は言った。「石さんはきっと無口で、水泳がことのほか苦手なんだろう。まあいい。今更なにも考えるまい。ぐっすり眠って、明日になったらまた続きをやろう」

311ページ
君はもういろんなものに好き勝手に振りまわされたくない。混乱させられたくない。君はすでに父なるものを殺した。すでに母なるものを犯した。そしてこうして姉なるものの中に入っている。もしそこに呪いがあるのなら、それを進んで引き受けようと思う。そこにある一連のプログラムをさっさと終えてしまいたいと思う。一刻も早くその重荷を背中からおろして、そのあとは誰かの思惑の中に巻きこまれた誰かとしてではなく、まったくの君自身として生きていく。それが君の望んでいることだ。

330ページ
「じゃあひとつ訊きたいんだけどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う? つまり、あるときにある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらっと大きく変わっちまう、みたいな」
大島さんはうなずいた。「もちろん」と彼は言った。「そういうことはあります。何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります。たまにしかありませんが、たまにはあります。恋と同じです」
星野さんにはそんな大がかりな恋をした経験はなかったが、とりあえずうなずいた。「そういうのはきっと大事なことなんだろうね?」と彼は言った。「つまりこの俺たちの人生において」
「はい。僕はそう考えています」と大島さんは答えた。「そういうものがまったくないとしたら、僕らの人生はおそらく無味乾燥なものです。ベルリオーズは言っています。もしあなたが『ハムレット』を読まないまま人生を終えてしまうなら、あなたは炭坑の奥で一生を送ったようなものだって」

「一段階上にあがっている」とか「ひとまわり広がっている」かはわからないが、「それまでとは違う」というのは確かなことだろう。音楽が「人間を向上させる」ものであるかは私にはわからない。知らない作曲家の知らない曲の魅力がわかるようになって何かしら変わったのだと思う。そしていろいろな作曲家のいろいろな魅力がわかるということは何もわからないよりは良いことなのだろう。きっと人生においては大事なことなのだろう。だが実態としては「大公トリオ」を知らない人の方が知っている人よりもずっと多いだろう。そして知らない人は趣味というのは相対的なものであって、知らないことで非難される謂われはないと主張することだろう。あるいはクラシックなんて聴いている暇はないのだと主張することだろう。それぞれに忙しい人生というのは相対化した趣味が世俗化していくという道をたどる。そんなふうにして音楽も小説も映画も最大公約数化されて行く。誰かを「一段階上にひきあげる」音楽があるとすればリスナーの都合など考慮しない一方的圧倒的な音楽だろう。ベートーヴェンというのはそういう作曲家だろう。相対的ではなく一方的なのだ。

353ページ
「もし思い違いでなければ、たぶん私は、あなたがいらっしゃるのを待っていたのだと思います」と彼女は言った。

355ページ
「むずかしい問題です。思い出のことは、ナカタにはまだよくわかりません。ナカタには現在のことしかよくわからないのです」
「私はどうやらその逆のようです」と佐伯さんは言った。

360ページ
「・・・だから私はそのような侵入や流出を防ぐために入り口の石を開きました。どうやってそんなことができたのか、今となってはよく思い出せません。でも彼を失わないために、外なるものに私たちの世界を損なわせないために、何があろうと石を開かなくてはならないと私は心を決めたのです。それが何を意味するのか、そのときの私には理解できていませんでした。そして言うまでもなく、私は報いを受けました」

363ページ
「ナカタさん」
「なんでありましょう?」
「ずいぶん昔からあなたを知っているような気がするんです」と佐伯さんは行った。「あなたはあの絵の中にいませんでしたか? 海辺の背景にいる人として。白いズボンをたくしあげて、足を海につけている人として」

上巻364ページに「何人かの人々も描きこまれているが、とても小さくて顔までは見えない」と書かれている。

373ページ
どうして彼女は僕を愛してくれなかったのだろう。
僕には母に愛されるだけの資格がなかったのだろうか?

383ページ
「あのままでいれば、どうせ兵隊として外地につれていかれたんだ」とがっしりしたほうが言う。「そして人を殺したり、人に殺されたりしなくちゃならなかった。俺たちはそんなところに行きたくはなかった。俺はもともと百姓で、この人は大学を出たばかりだった。どっちにしても人なんて殺したくなかったし、殺されるのはもっと嫌だった。あたりまえの話だけどな」

理不尽な選択の続きかもしれないが、ここのところは「羊男」の台詞に似ている。

385ページ
「今はこの入り口はたまたま開いている」と背の高いほうが僕に説明する。

395ページ
「俺は思うんだけど、その中でもいちばん不思議なのは、なんといってもおじさん自身だ。そう、ナカタさんだよ。なぜおじさんが不思議かってえとだね、おじさんは俺という人間を変えちまったからだ。・・・」

417ページ
電気はどこからやって来るんですか?
二人は顔を見あわせる。
「小さな風力発電所だけど、森の奥のほうで電気をつくっている。そこでは風はいつも吹いている」と背の高いほうが説明する。
425ページ
台所ではひとりの少女が食事をつくっている。背中を向けて鍋の上にかがみこみ、スプーンで味見をしていたが、僕がドアを開けると顔を上げ、こちらを振りむく。甲村図書館で毎夜僕の部屋を訪れ、壁の絵を見つめていた少女だ。そう、15歳のときの佐伯さんだ。
428ページ
「君の名前は?」と僕はべつの質問をする。
彼女は小さく首を振る。「名前はないの。私たちはここでは名前をもたないの」

このあたりの記述は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に似ている。記憶がないので名前もない。あるいはその逆かもしれない。記憶がなければ不幸になることもないのかもしれないが結局のところ私たちは記憶のない世界で生きることはできない。それは理不尽で不条理なことかもしれないが、そんなふうに無防備に世界に投げ出されているのが私たちだろう。

445ページ
「よう、猫くん。今日はいい天気だな」
「そうだね、ホシノちゃん」と猫は返事をかえした。
「参ったなあ」と青年は言った。そして首を振った。

449ページ
「・・・こいつはね、善とか悪とか、情とか憎しみとか、そういう世俗の基準を超えたところにある笛なんだ。それをこしらえるのが長いあいだ私の天職だった。・・」

芸術は善悪を超えている。

463ページ
「記憶はここではそんなに重要な問題じゃない」

467ページ
「私があなたに求めていることはたったひとつ」と佐伯さんは言う。そして顔をあげ、僕の目をまっすぐに見る。
「あなたに私のことを覚えていてほしいの。あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかのすべての人に忘れられたってかまわない」

このあたりの記述は「ノルウェイの森」に似ている。誰か大切な人に私が生きていたことを覚えていてもらいたいのだと、他には何も望まないと、そういうことかもしれない。そういうことはこれまでに何億回も、あるいは何億×何億回も繰り返されてきたのかもしれない。そして誰かが生きていたことを覚えていた人が死んでしまったことすら何億回も忘れ去られて来たのだろう。実に私たちの存在というのはそんなふうにして軽々しく忘れ去られてしまうものなのだ。私が死んでもあなたは生き続けるという思い込みか無知が刹那的に「あなたに覚えていてほしい」と望むのだ。

468ページ
「ねえ、田村くん。あなたにお願いがあるの。あの絵を持っていって」
「図書館の僕のいた部屋にかかっていた、あの海辺の絵のことですか?」
佐伯さんはうなずく。「そう。『海辺のカフカ』。あの絵をあなたに持っていってほしいの。どこでもかまわない。これからあなたが行くところに」

471ページ
お母さん、と君は言う、僕はあなたをゆるします。そして君の心の中で、凍っていたなにかが音をたてる。

捨てられたと思っていた子供が母を許すということで問題が解決するというのは
どうなんでしょう?

482ページ
「名前はあるの?」
「名前くらいある」
「どんな名前?」
「トロ」と猫は言いにくそうに言った。

いわし、かもめ、サワラ、オオツカさん、カワムラさん、ミミ、ゴマちゃん、そしてトロ
猫の名前の系譜。

494ページ
懐中電灯の光は白く細長い物体を照らし出した。物体は死んだナカタさんの口から、もぞもぞと身をくねらせながら出てくるところだった。そのかたちはウリを思わせた。
500ページ
いったん入り口を閉めてしまうと、その白いものを片づけるのは思ったよりずっと簡単だった。もう行き場は塞がれてしまったのだ。白いものにもそのことはわかっていた。

ジョニー・ウォーカーの化身である白い物体は、猫のトロのチクリとホシノちゃんの活躍により滅ぼされてしまったのでした。

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