昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )   15.旅の終わり。

2012年09月15日 | 日記
旅の終わり    親父は、翌年平成14(2002)年の春、GW突入直前の4月28日に亡くなった。80歳まで2か月余りの79歳だった。 二つの法事を済ませた後の親父は、癌細胞との共生に成功したかのように思えるほど元気だった。毎朝の読経から始まる日課が、淡々と繰り返されていた。 体調を心配して電話をすると、「癌の奴らとうまく暮らしとるんじゃが、奴ら密かに勢力を拡大しとるかも知れん。ま . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )   13.癌との共生へ。   14.最愛の人との再会

2012年09月14日 | 日記
癌との共生へ。    その夜、従兄弟と会食。僕は率直に尋ねた。親父の容体は?治療法は?制癌剤治療以外の方法がないとすれば、制癌剤治療の問題点と患者が注意すべき点は?そして、………余命は? 従兄弟の答えは、優しく誠実な人柄が滲みこんだものだった。 「う~~ん。悪いねえ。はっきり言って治療法はそんなにないと思うねえ。僕も写真見たけど、何しろ無 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )   12.10か月後の再発。

2012年09月13日 | 日記
10か月後の再発   平成13年春、身辺のざわつきは増していた。失われた10年も終わり、ミレニアムを契機に好転すると期待されていた景気は、街でよく見かけるようになった腰パンのように、低位に留まったまま。事務所を訪れる友人・知人たちの表情にも、疲れが目立つようになっていた。事態を転回させなくては、とあがき努力した挙句、ふっと消えていく会社やクリエーターやプログラマーたちも多くなっていた . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )  10.雨のち晴れ  11.東京へ。そして……。

2012年09月12日 | 日記
雨のち晴れ   「おう。起きてるか~~」。わずかにまどろんだ僕を、親父のふんわりとした声が呼ぶ。午前7時半過ぎ。少し落ち着いたとはいえ、外の雨の勢いはまだ強い。 「飛行機は大丈夫なんか~?」の心配に、「8時過ぎに出れば、間に合うから」と起き上がり、親父の顔を覗き込む。 「大変じゃったのお。仕事はせやあないんかい?」「大丈夫、大丈夫」。額に手を当ててみる。少し熱いが、平熱に戻りつつ . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )  9.雨の術後

2012年09月11日 | 日記
雨の術後。   ベンチに戻り腰を下ろすと、恥ずかしさは自分に対する怒りへと変わっていった。ベンチと膝を交互に拳で殴る。次に、「そうだ!」と小さく口に出し、3階の踊り場からホテルに電話。事情を説明すると、快くキャンセルを承諾してもらう。 手術室の前で、親父が出てくるのを待つ。ベッドの動く音が聞こえ、次いで扉が開く電気音。足から出てきた親父の表情を見て取ることはできない。 「部屋に行 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )  8.手術本番。

2012年09月10日 | 日記
手術本番   病室に戻ると、生活の匂いとざわめきが満ちている。家族の訪問を受けている人が一人。僕を迎え入れてくれた一人は退院準備をしているようだ。 会釈をして、親父のベッドへ。親父は、いつものようにベッドに端座する。首を垂れたまま動きを止める。椅子を引き寄せ、覗き込む。その横顔は暗く、険しい。 「明快だったね、説明。…安心だねえ」と、探りを入れるように話しかける。 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )  7.親父の元へ、再び。

2012年09月09日 | 日記
親父の元へ、再び。  40歳になる直前、僕は日高という男を得た。やがて、これまでにはない未来への旅立ちを予感した。そして、50歳で、彼を失った。予感は失望へと変わった。それまでにも多くの知己を失っていたが、喪失感は比べようもなく大きかった。得ることに嬉々としていた時代は終わったのだ、と思った。これからは、失い続けていく……。失うことと向き合い、失った後をいか . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )  5.東京へ。日常へ。  6.喪失

2012年09月08日 | 日記
東京へ。日常へ。   目覚ましの音に飛び起きる。午前7時半。ひどい寝汗だが、不快感はない。下着をハンガーから取り込み、シャワーを浴びる。歯磨き、髭剃り、着替え…。一連の朝の動きが淀みなく爽やかだ。 ベッドに腰掛け、タバコに火を点ける。親父の横顔が浮かぶ。長い時を経て、またも病室の人となった親父の心細さと覚悟を思う。タバコをもみ消し、立ち上がる。 午前8時前。チェック . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )  4.親父の昭和

2012年09月07日 | 日記
親父の昭和 1922年(大正11年)、親父は福岡県久留米市に生まれた。父親は、八幡製鉄のサラリーマン。当時のエリートだった。中等学校野球大会の観戦が趣味で、甲子園で行われる全国大会には、わざわざ夜行列車に乗って出かけていた。幼い頃、久留米駅で見送った記憶が鮮明に残っている、と親父は語っていた。しかし、1928年(昭和2年)、親父が尋常小学校1年生の時、父親を脳出血のために突然失う。一人いた弟は、 . . . 本文を読む

第一章:親父への旅 (集中再掲載 )  2.親父の今との対面 3.故郷との再会

2012年09月06日 | 日記
親父の今との対面 親父と二人、背筋を伸ばして待つこと数分。「息子さんですか?いらっしゃったんですね」と、微笑みながら主治医はやってきた。主治医の“いらっしゃった”という言葉の裏に“やっと”という言葉が隠されているような気がして、僕は背を丸めた。 目の前のビューアーに、親父の患部の写真が並べられ、主治医の説明が始まった。明快だった。 ●肝臓癌 . . . 本文を読む