やけに静かになったとっちゃんを従え、御池通りを越える。河原町通りいっぱいに広がった人波は、まだ肩と肩がぶつかるほどではない。30以上と聞いている各町内で保存されている山鉾の一部でも見ようと先を急ぐ。何処に何があるかわかってはいないが、尋ね歩けば大丈夫だろうと高をくくっていた。
ずらりとぶら下げられた道路脇の提灯には灯が入り、これからのさらなる賑わいを予感させている。歩道に沿って並んだ屋台の一部はまだオープン準備中とはいえ、まだ残る夏の日差しに、冷やし飴の店の元気はいい。紙コップ1杯の涼を求めて数人が群がっている。
四条通りまで急ぎ、右折。西へ向かう。四条通りにも人波が広がっている。
大丸百貨店を通り過ぎたあたりから、筋を覗くようにしては、山鉾が展示されている場所を探す。なかなか、ここだという場所が見つからない。
ジーンズのループからとっちゃんの指が離れていることに気付いたのは、四条烏丸の手前だった。
少し慌てた。振り向き目を凝らして見るが、姿は見えない。忌々しさが焦りに拍車をかける。歩道を横歩きするように進みながら、四条通りにとっちゃんを探していると、歩道脇のガードに腰掛けているとっちゃんに出くわした。
「とっちゃ~~ん。何してんの~?」
掛ける声に、どうしても怒気が混ざる。そのまま置いて行きたい気分だ。
「ガキガキ~~~」
こちらを向いた顔は、心細さに歪んでいるかと思いきや、明るく楽しげに見える。
「とっちゃ……」
もう一度掛けようとしていた声が止まってしまう。一体、何があったというのだろう。
行き交う人たちの邪魔にならないよう、前に投げ出したとっちゃんの足先を軽く蹴り、横に並んで腰掛ける。すると、とっちゃんが顔を近付け話しかけてきた。
「きれいなネエチャンばっかりやなあ」
またそれか!と思いつつ、彼の目を睨みつけると、「ええ匂いがするんやなあ、きれいなネエチャンは。なあ、ガキガキ」
何か注意をしようと思うのだが、何を言えばいいのか思いつかず、顔を逸らす。
折悪しく、そこに数人の若い女性が通りかかった。いかにも楽しそうで晴れやかな姿に、僕は思わず目を足元に落とす。
と、とっちゃんが立ち上がった。彼女たちの後に付いていく。一瞬遅れて立ち上がり、追い付いてシャツの背中を掴むと、とっちゃんは上半身を女性たちの方に倒れるように向けたまま、くるりと顔を向けてきた。
「ええ匂いや~~」。鼻をひくつかせているように見えるその顔は、興奮に紅潮している。
僕は切れた。「とっちゃん!帰るで!帰ろう!」。シャツの背中を掴みなおし、引きずるようにすぐ近くの筋に連れ込もうとした。
「なんでや~~?ええやないか。なあ、ガキガキ~~」
とっちゃんの粘りつくような声の同じ台詞が繰り返され、次第に大きくなっていく。顔が恥ずかしさに紅潮していくのがわかる。指先に一層力を込め、僕はとっちゃんを引きずって行った。
とっちゃんが落ち着くのに、そう時間はかからなかった。だが、その執念は容易には消えず、人込みを避けて筋を北へ向かう間も、時々「なんでや~~?ええやないか。なあ、ガキガキ~~」と立ち止まった。
腕を掴んで離さないようにしながら、御池通りに出る。夕闇が迫ってきている御池通りを右折。河原町通りを北へと向かう。女性の浴衣姿が見える度に、腕を掴む指に力を込めていた。
100mも行かないうちに、しかし、とっちゃんは動かなくなった。
前に進もうとする僕を、ジーンズのループに回した指先の力で止めている。振り向くと、口元に力が籠っている。指先に渾身の力を込めているようだ。
訝しく思い様子を窺うと、視線が一点に集中して動かない。新たなきれいなネエチャンの出現か、と舌打ちしたい気分で目線の先を追う。
そこに見えたのは、意外な人物だった。“おっさん”だったのだ。銭湯に来ることがなくなり、次の現場に移動していったはずの、“おっさん”だった。
「“おっさん”やないか。宵山に来はったんやろう」と言い、とっちゃんの腕を取る。“おっさん”だったら、声を掛けて合流すればいい。“おっさん”たちも揃っているに違いない。広い御池通り沿いで立ち止まって話すのであれば、宵山見物の人たちの邪魔になることもない。
ところが、とっちゃんは動かない。“おっさん”を凝視したままの目に不思議な色が宿っている。「何?どした?とっちゃん」
声を掛け腕を引っ張ってみるが、駄々っ子のように動かない。やむを得ず、とっちゃんが動く意思を示すまで待つことにする。腕を掴んだまま横に並ぶ。自然と僕の目も“おっさん”を見つめることになる。
“おっさん”が決して宵山見物に来たわけではないことは、すぐにわかった。河原町御池を少し上った東側の歩道脇で、“おっさん”はゆるゆると屋台の準備をしていた。
その横には“筋肉”も見えてきた。しゃがんで屋台の足の固定でもしていたのであろう。ひょっこり“おっさん”の横から頭を出し、やがてたくましい上半身を胸元まで見せてきた。“おっさん”と同じ白のTシャツ姿だった。
“長髪”と“ぽっこり”の姿は、見えない。何かいわくありげだった“長髪”が見えないのは不思議ではないが、“おっさん”がずっと面倒を見続けているはずの“ぽっこり”の姿がないのは奇妙だ。とっちゃんの目の色の変化は、彼が、僕と同様、奇妙な感覚に捕らわれているからかもしれない。
「“おっさん”、屋台出すみたいやねえ。行ってみる?」
奇妙とはいっても、深刻な問題ではないであろうと思えた。とっちゃんには、あれだけ親しかったはずの“おっさん”に意外な場所で遭遇した戸惑いもあるのだろう。近くまで連れて行けば、きっと話は弾むに違いないと、僕は思った。
もう一度、二度、腕を軽く引っ張ってみた。しかし、とっちゃんは動かない。さらに、一度、二度と引っ張ると、僕の腕を振り払ったとっちゃんの口から、小さな声が漏れた。
「嘘つきやなあ、“おっさん”」
いつも声の大きいとっちゃんの口から洩れた小さな呟きには、真実の色があった。僕は、驚いた。と同時に、とっちゃんの言葉の根拠を知りたいと思った。
とりあえず、動き出しそうにないとっちゃんと並んで、“おっさん”二人を観察してみることにした。目のいいとっちゃんは、ひょっとすると、随分手前で“おっさん”を見つけ観察していたのかもしれない。そして、僕が発見する前の“おっさん”の行動に、とっちゃんが不信を抱く理由があったのかもしれない。
これ以上近付くと、自分たちが発見される危険性が高まる。そのぎりぎりの距離感でとっちゃんは立ち止まったのだろう。
とっちゃんの中に生まれた不信感が落ち着き場所を見つけるまでは、遠くから見つめ続けるしかない。多少時間がかかることを、僕は覚悟した。
Kakky(柿本)
次回は、明日9月28日(金)です。
注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。
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