昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章“とっちゃんの宵山”(短期集中再掲載)  9.“おっさん”達の、意外な実体

2012年09月28日 | 日記

意欲のなさを横顔に露わにしながら、怠惰な動きで“おっさん”は作業を続けていた。屋台を完成する頃には、沈み始めている陽は落ちてしまい、とっぷりと暗くなってしまうのではないかと思わせるほどだった。道路脇の提灯が集蛾灯のように人を引き寄せ、辺りはこれから混雑を極めていく予感に満ち満ちていた。

「もう、帰ろう」。人混みと暗さに“おっさん”の姿も見えにくくなったので、僕はとっちゃんを帰路へと誘った。

「あ!」。とっちゃんが、小さく声を上げた。背伸びして見ると、“ぽっこり”の姿があった。サックスブルーの長袖シャツを着ている。

「あ!」。今度は僕が、思わず声を上げてしまった。“ぽっこり”が“おっさん”の頭を叩くのが見えたからだった。とっちゃんは生唾を飲み、僕は顔が上気していくのを感じた。見てはいけないものを見てしまった気分だった。早く帰るべきだったと後悔した。

「とっちゃん!帰ろ!」。声を押し殺しながら、強い声で言う。とっちゃんは、帰るそぶりを見せながら、僕に訴えるように言った。「さっきも、はたいてたんや、“おっさん”を」。

突然立ち止まった理由がわかった。とっちゃんにとって絶対に近い存在だった“おっさん”が頭を叩かれているのをとっちゃんは遠くに見たのだ。しかも、叩いたのが、“おっさん”の子分とも言うべき“ぽっこり”だとは……。

僕はもう一度「帰ろ!」と言い、とっちゃんの腕を引いた。彼らに近付かないよう向きを変え、御池通りを南へ渡った。鴨川べりに出て北上しようと思ったのだった。

とっちゃんは素直についてきた。しかし、御池橋の袂で鴨川の河川敷に降りると、また立ち止まった。僕を窺う目つきが何か言いたそうだ。

“おっさん”たちの相関関係の図式が崩れ、僕の頭も混乱していた。小さな怒りが湧き上がって来ていた。僕は「ちょっと座らへんか?」と、とっちゃんを鴨川の護岸まで連れて行った。

いつもの夕暮れよりもたくさんのカップルが、打ち合わせたかのように等間隔で座っている。やむなく御池橋の下で川の近くまで降り、二人並んで座った。

「びっくりしたなあ」。軽い調子で言って、とっちゃんの肩を叩いた。「………」。叩いた手をそのまま肩に置き、「な!びっくりしたなあ」と、今度は小さく揺すってみた。

すると、揺すった僕の手にとっちゃんの身体の小刻みな震えが伝わってくる。「な!」「な!」と顔を覗き込むと、とっちゃんの目に涙が浮かんでいる。

「わし、泣いたことあらへんねん」と、いつも顎を上げて言っていたとっちゃんだ。余程のことだろうと思いつつも、その理由がわからない。質問攻めにするのも可哀想だと思い、僕は肩に手を置いたまま待つことにした。後ろを通って行くカップルや女性たちの楽しげな風情に、恥ずかしさが募った。

 

4~5分も経っただろうか、とっちゃんがやっと口を開いた。「“おっさん”、嘘つきなんやもん!」という怒りの言葉から、それは始まった。“おっさん”がとっちゃんに繰り返していた忠告と、最後の銭湯の夜、とっちゃんと交わした約束の話だった。

 

とっちゃんが突然語り始めた“会社員になる”とか“結婚しなくちゃいけない”といった話の源は、“おっさん”にあったのだった。

最後に銭湯であった夜、とっちゃんは“おっさん”にラーメンと餃子をご馳走になった。2人前の餃子を貪るとっちゃんの向かいでビールの瓶を次々と空けながら、“おっさん”はとくとくと語った。

ずっと新聞配達をしていていいのか?販売所の“おっちゃん”にこき使われ続けてていいのか?今のままで、年老いていく母親の面倒を見ることはできるのか?結婚はできるのか?子供は欲しくないのか?自分のやりたいことを見つけなくていいのか?…………。

一時間半にも及ぶ“おっさん”の話は、“おっさん”の空けたビール瓶の数が増えるにつれ、忠告から説教へと色合いを変えて行き、酔いに任せて熱を帯びていった。

その間、とっちゃんは美味しさで評判の餃子を追加。合計4人前をたいらげた。そして、腹が満たされていくにしたがって、最初の頃は流すように聞いていた“おっさん”の話が気になり始めた。“長髪”が言っていた「“おっちゃん”に搾取されてるんちゃうか?」という言葉まで思い出し、不安と疑問は掻き立てられていった。

とっちゃんは、5本目のビール瓶を最後の一滴まで絞り出すようにグラスの上で振っている“おっさん”に、思い余って声を掛けた。

「おっさん。ほなら、わし、どないしたらええの?」

手を止めた“おっさん”はグラスに少し口をつけ、咳払いをしてからこう言った。

「よし、わかった!とっちゃん!わしが、とっちゃんを会社員にしたる!任しとかんかい!わし、また会社始めるし。わしが雇うたるわ」

とっちゃんは、自分でもわかるほど上ずった声で「ほんま?……頼むで、“おっさん”!頼むわ」と、頭を思い切り下げた。鼻先が餃子のタレに触れた。

“おっさん”はそれを見て笑い、「任しときって!」と大袈裟に胸を叩き、少しよろめいた………。

言葉は拙く理解しがたい表現も多かったが、初めて聞くとっちゃんの長い話は驚くほど情景描写が細かく、おもしろいものだった。

「ほんでな、ほんでな」と継がれていった話が一旦途切れる頃には、とっちゃんの目に浮かんでいた涙は乾いていた。すっかり暗くなった鴨川の水面を見つめる横顔には、代わって当惑と怒りの色が差していた。

酷い話だなあ、と僕は思った。ずっととっちゃんは弄ばれていたんじゃないか、と思った。“おっさん”の「弱い人間の面倒を見る時は……」という言葉が空々しく思い出され、無性に腹立たしくもあった。

しかし、と僕は頭を切り替えた。遠くから見た“おっさん”の姿から“おっさん”がとっちゃんにした話を全否定するのも早計だと思った。確認すべきだ。それに、“おっさん”には今の己の確かな姿と立場、さらにはこれから約束を守る意志があるのかないのかを、とっちゃんに伝えるべき責任がある。

「とっちゃん、“おっさん”に話を聞きに行かへんか?」。僕はとっちゃんの肩を揺すった。

「いや、もうええ!もうええ、て」。とっちゃんは首を横に振る。

“おっさん”の深い好意に感激し、思わずすっぽりと寄りかかり、自分の未来まで託そうとしたとっちゃんの痛手は大きい。それはわかるが……。

「何か事情があるかもしれへんやん。行こう!行って、直接聞いてみよう」

抱きかかえるように立ち上がらせ、河原町御池に向かおうとする。するととっちゃんは身を屈め、するりと僕の脇の下から逃げ去った。

「もう、ええ!」という声を残し、勢いよく河川敷に上がったかと思うと、北へと立ち去って行く。

わだかまりを抱えたまま鴨川べりに佇むことになった僕は、“おっさん”に会ってみなくてはならないと思っていた。

 

とっちゃんが振り向くこともなく早足で去っていくのを見送り、僕は河原町御池まで急いだ。地上数メートルは明るい空気に包まれているが、空はすっかり夜の闇に包まれている。街の灯りと宵山の照明に赤味を帯びた京都の夏の夜が人混みの熱気と混ざり合い、上半身にまとわりつく。

河原町御池まで引き返し、背伸びして見る。“おっさん”が準備していた屋台は、さすがにもうオープンしているようだ。ひと際白く明るい屋台の照明を目指して、河原町通りの東側を上がっていく。三条と二条の中間辺り、屋台出店のロケーションとしてはぎりぎりの場所。北限とも言える所での出店では、売り上げもあまり期待できないだろう。

5~6メートル手前で立ち止まり、人影の隙間から“おっさん”の姿を探す。が、見えない。そればかりか、“筋肉”の姿も“ぽっこり”の姿もない。少年が一人、漫然と立っているだけだ。売っているのは、冷やし飴のようだ。

「おう!新聞少年」。右手から突然声を掛けられる。足が浮き上がるほど驚き顔を向けると、“ぽっこり”の笑顔があった。

「あっ、どうも」「どないしたん?誰か、探してんの?」「いえ」「宵山やいうのに寂しいのお、新聞少年」「いえ……」。と短いやり取りの間、引き返すべきか、“おっさん”の所在を確かめるべきか、しばし迷う。そして、思い切った。

「あの………、“おじさん”いらっしゃいますか?」。さすがに、“おっさん”とは呼べなかった。声がかすれた。

「誰?“おじさん”?……ああ、社長ね。あそこの屋台や。……おらんか?……おらんなあ。じゃ、休憩やな。すぐ休憩しよんねん、社長」

背伸びし、指差し、確認し、首をひねって、最後に、“ぽっこり”はあきれ顔を見せた。僕の頭は、一瞬空白になった。

「あの~~、社長はどんな仕事されてるんですか?」

ストレートだが少し間の抜けた質問が、ふと出てきてしまった。

と、“ぽっこり”はいきなり、いかにも楽しそうに笑った。

「本気にしとったんか~~、社長の話。まあ、本気にするわなあ」「…………」

僕の頭の空白は膨らむ。あの銭湯の湯船で聞いた話は……。

「なんかおかしいなあ、思わへんかったか?社長の話。出来すぎや、思わへんかった?」

笑いを押し殺す“ぽっこり”に、僕は幼稚園児のように首を激しく左右に振った。

「あの話、あいつの十八番やねん。何遍も話してる間に、だんだん出来もようなってなあ。小さな工夫までしよるから、傍で聞いててもおもろうてなあ。……そうか~、新聞少年、信用してたか」

“ぽっこり”の押し殺していた笑いが、弾ける。「あかんで、気い付けんと。これから大学生になろう言う少年が、あんな話をすっと信用してたらあかんがな。……賢そうに見えたのになあ」

“僕だけじゃない。みんな信じてたんだ。”と言おうとして、飲み込んだ。

「あの…、とっちゃんは……」。僕たちはいいとしても、とっちゃんは、彼の心に与える影響はどうなるというのだ!

「あの子か?あの子、ちょっと頭弱いやろ。社長も弱いんやけどな。あの子の方が弱そうやから、みんなで話合わせてたんや。何話しても、一生懸命聞くしなあ、あの子。おもろうてなあ。わしらも勉強になったわ。……せやけど、お前らが来て、こらあかん、これ以上やるとあかんで、いうことになってな。あの銭湯には行かんようにしたんや」

「仕事の現場が近くにあって……」

「ああ、それは偶然やな。わしが借りてるアパートが、もう一軒の銭湯との間にあってな。銭湯行こう思うたらどっちにも行けんねん。それだけのことや。……ああ、社長は、ほんまはわしが面倒見たってんねん。そう見えへんかったか?……わし、貫録あり過ぎなんかなあ」

“ぽっこり”は、サックスブルーが周りの赤い空気に紫色に染まったシャツのお腹をポンと叩き、笑った。僕は紅潮する顔の色が周りに溶け込み見えにくいことを不幸中の幸いと思いつつ、とっちゃんに話すタイミングと話し方を考え始めていた。

                           Kakky(柿本)

次回は、明日9月29日(土)です。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。


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