昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章“とっちゃんの宵山”(短期集中再掲載)  11.とっちゃんの転職

2012年09月30日 | 日記

とっちゃんの転職

とっちゃんを連れて相談カウンターへ。係員の目が量るようにとっちゃんに鋭く注がれ、すぐに緩む。緊張に引き締まったとっちゃんの横顔は、常識をわきまえた男に見えなくもない。

申し込み書類に書き込むよう誘い、耳元に小声で指示を出す。

「なに?ここでええの?ここか?」

とっちゃんの大きな確認の声が僕の気遣いをかき消す。係員が皮肉な笑みを向けてくる。睨み返したい気持ちを抑え、なんとか申し込み種類を書き終えさせる。

とっちゃんの誕生日が僕とわずか2日違いであること。お母さんがまだ40歳になったばかりであること。一人っ子であること。などを確認。

係員が書類をチェックしている間、とっちゃんの暮らしや親子関係をぼんやりと思い描く。あまり日の光の差しこまない、奥に和室が見える板の間に卓袱台が一つ。端に置かれた水屋の前に立つ若いお母さんが、卓袱台の脇に座っているとっちゃんに、お使いを指示している……。そんな光景が浮かんだ。

「どうしますか?今日、顔出してみるんやったら、これから電話しとくけど…」

係員の声に不意を突かれ、「そうします!」と即答する。同時に、思い浮かんだとっちゃんの家族の光景は僕自身の幼い頃のものだったことに気付く。とっちゃんの面倒を見る、と思い込みながら僕は、実は僕自身の心のケアをしていたのかもしれない。とっちゃんのためにとっちゃんと行動するということは、行動することができてない僕自身の行動欲求の代償行為かも知れない、とも思った。

「いいよね、とっちゃん。すぐ行った方がいいよね。行こうね」

自分も納得させようとする気持ちが、言葉にまで表れる。

「ええで。行こうか」

書類を書き終え、一仕事終わった気分のとっちゃんは、いつものようにどこか他人事だ。壁の時計を見ると、まだ11時にもなっていない。お昼の忙しい時間帯を迎える前に行けば、一気に片付く。歩いて30分もかからない距離のはず。電話連絡をしてもらい、これからの訪問を了承してもらえるようなら、すぐに向かうことにした。

「まあ、行ってみて。あかんかったら、またおいで」

電話で了承を取ると、係員は手で払うように僕たちを出ていくよう促す。気付くと、僕たちが来た時よりも所内は混んでいた。数人のグループもやって来ていた。思わず、“おっさん”の姿はないか、探した。が、いなかった。

 

蕎麦屋の名前と住所を再確認。「新京極を北から南へ歩いてって。見つかるし」という説明だったので、安心して出発した。

「店の名前、何やった?」

店名を憶えさせようと同じ質問を繰り返しながら、僕たちは急いだ。

「店の…」と言っただけで、「ショウアン!」と答えが返ってくるようになって、初めて僕はとっちゃんが即決した理由を聞いた。

「蕎麦屋、珍しいやん。うどん屋はようけあるけど、なあ。場所もええしなあ」

な~~んだ、と思いつつも、きっかけはそんなものでいいのだろう、と思った。

 

“松庵”に着いたのは、11時半を少し回ったところ。店内はお昼の慌ただしさに突入しかけていた。

手拭いを禿頭に巻いた店主は、「兄ちゃんか?いくつや?」と書類を出した僕に声を掛け、汗を拭った。

「いいえ、彼なんですけど…」

頭を下げ、そのまま後ろを振り向き、とっちゃんを掴まえて前に押し出す。

書類ととっちゃんを交互に2~3度見ていた店主は、「そうか~~」と吐息混じりに言った後、頭の手拭いをくるりと外し顔を拭ったかと思うと、「よっしゃ、とりあえず、これから働いてみるか」と言って、とっちゃんの肩を抱き込むように奥へ連れて行こうとした。

とっちゃんの、拉致されそうになった子供のような目に、「これからですか~~?」と声で追いかけると、「出前やからなあ。地図あるし、近所やし、すぐできる、て。すぐできる。なあ、せやろ?」ととっちゃんの顔に念を押す。

出前という言葉に安心したのか、とっちゃんはこくんと頷いた。

「兄ちゃんは、帰ってええで。これから忙しゅうなるし。大丈夫やから。なあ」

僕は、とっちゃんの頭がもう一度頷くのを見て、「じゃ、よろしくお願いします」と帰ることにした。

店主の率直な人柄には安心と好感を抱いたが、予想もしていなかった展開ととっちゃんを奪い取られたよう感覚に、妙に心許ない気分だった。

「大丈夫!心配いらんて!」と目で合図してくるとっちゃんに、「じゃ、頑張って!」と手を振り、僕は店を出た。入れ替わりに男性客3人。常連客らしい。店主の威勢のいい声が聞こえてくる。繁盛店の賑わいを思わせる空気が横溢している。職安の係員がすぐ電話したのも、店主からの人材募集が“緊急!”だったからに違いない。

とっちゃんは店主の決断の速さと喋り方に安心感を抱いたのかもしれないが、いきなり忙しさの中に身を置いて大丈夫なのか?しかも、一人っきりで。と、思いつつも、肩の荷を下ろした僕の心は少し軽かった。

一旦下宿へ帰ろうと、河原町通りを北へと向かい始めてびくりとした。とっちゃんの夕刊配達は、どうなるのだ?まさか、いきなり仕事をしてみることになるとは思ってもいなかった。面接、採用の可否の決定、その後の新聞配達継続か否かの判断、という甘く大雑把な目論見は崩れてしまった。となると、とっちゃんの担当エリアの配達を誰がするのか、が大きな問題として残ることになる。僕はやっと、そのことに気付いたのだった。

しかし、どう話す?どこまで話す?誰に話す?きっと、カズさんに話すのが一番だ。本当のことを順を追って話そう。と決め、頭の中でカズさんと2~3回話した頃には出町柳近くまで来ていた。高野川と賀茂川が鴨川へとまとまる辺りで、とっちゃんのこれから織り成していく時間のことを僕が考えていることの不思議さを想った。と同時に、僕自身が、まだ自分の判断と力で何もできない19歳であることを情けなく思った。隣にとっちゃんがいる時だけ“できる”と錯覚していただけなんだと悟った。

 

カズさんの対応は、見事だった。的確で歯切れがよく、爽快だった。

夕刊の配達にやって来るかどうかを優先する。来たら不合格なので、聞いていなかったことにする。来なければ合格なので、いいことだと思おう。その時は、カズさんがとっちゃんの家に遅刻したとっちゃんを呼びに行くふりをする。おかんはパートの仕事に行っているはずだから心配いらない。そして、とっちゃんの具合が悪いことにして、カズさんが代わりに配る。元々カズさんの担当エリアだったので心配はいらない……。

“おっちゃん”にいつ話すか、などは考える必要もない。それは、とっちゃんが合格と決まった時に考えればいいこと。とっちゃんの具合が悪い、ということだけが嘘になるだけだ。欠配があることの方が“おっちゃん”にとっては大きな問題のはず。まあ、任しとき!ということになった。突然、事は僕の手から離れたかのようだった。

午後3時半。夕刊配達開始の時間。とっちゃんは現れず、カズさんのバイクの新聞の山が高くなった。カズさんは僕に目配せをして、勢いよく出発。僕も何事もなかったかのように、配達に出かけた。“おっちゃん”が、独り言のように「とっちゃん、どないしたんやろなあ。風邪もほとんど引かへん奴やのになあ」と言ったのが耳に残った。

たったっと走りながら、僕はとっちゃんのこれからを思い描いた。なぜか、僕が取り残されていくような気分だった。

しかし、そうはならなかった。夕刊を配り終わり下宿に帰ると、電信柱の陰でとっちゃんが待っていたのだった。

                           Kakky(柿本)

次回は、明日10月日1(月)です。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。


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