かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2011.12.26 二つの証言録

2011-12-26 00:37:05 | インポート
「田邊誠の証言録」「村山富市の証言録」が、ほぼ同時期に発刊されました。これを同時に読むと面白い。

本の評価については、また書きますが、連立政権の評価、新党運動、日本の社民勢力の弱さがよく見えてきます。

なぜ、政権を担えなかった「日本社会党」を考える上で重要な証言録となっています。

        
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国会近くにある社会党本部。前を通ると会館の傷みは進行しており、壁が落ち、落壁防止で網がかかっており、日本の社会民主主義の現在の姿そのもののような、わびしく、悲しい姿です。

戦後政治を担い、戦後革新勢力の中核組織であった日本社会党。

「平和であることと、生活向上」を、ひたすら願った戦後の日本人の思いを受けとめ存在した日本社会党。

89歳の田邊さん87歳の村山さん、この二人の言葉を噛みしめて前に進んでいきたい。

昨日は陳情、申し入れ、懇親会。


2011.12.25 でかい江戸城

2011-12-25 03:02:30 | インポート
東京の自宅は千代田区神保町、そこから国会を目指して今週は毎日歩いて通いました。

皇居になってしまった江戸城を左に見ながら、千鳥が淵公園歩道を歩いています。千代田区が改修しつつある、桜並木が気持ちが良いのです。

しかし、江戸城はでかい。内堀で8km位、外堀は17km位あったわけですから、徳川幕府の中央集積化された権力が、いかに凄いものかということです。

今から400年以上前に、あんなでかい城をつくられたら、どんな人でもこの権力を転覆してやろうと考える人はほとんどいなかったのではないか。またそれが、徳川幕府の支配確立の狙いだったのであろう。

なにせ、この江戸城の大半は他の藩主につくらせ、人の金でつくったわけだから一石二鳥、三鳥です。

今、でかすぎる江戸城は、散歩する人、走る人で大変な人気です。千代田区ルールづくりをしなければならないほどの盛況ぶりです。

400年前に出来た江戸城の歴史を考えつつ歩くのは、贅沢な散歩かもしれません。

昨日はあいさつまわり。


2011.12.24 報道とは?

2011-12-24 02:38:13 | インポート
今週は八ッ場ダム問題で、国会にほとんどつめっぱなしでした。八ッ場ダムについては、日々情勢が変わる中で、新聞やTVの報道も変わってきます。

その情報は「本体工事着工へ」というトーンがほとんどで、水面下の状況を掘り下げた記事は、ほとんどありませんでした。

「政府首脳」とか「官邸」などと出ている時は大抵が官房副長官のことが多く、今回の八ッ場でいえば、国交省の事務次官であった官房副長官であることは、ほとんど間違いないと思います。

前原民主党政調会長がカウンターパートに指名した藤村官房長官は、その官房副長官からの情報でコントロールされているようで、そんな流れの中で八ッ場本体工事着工などというマスコミ報道につながっているのかもしれません。

しかし、もっと深く取材をしろよと言いたくなりますが、テレビ朝日は無様な報道ぶりでした。

21日の放送案内には「八ッ場再開」の文字が躍っていましたが、その放送の最終で「八ッ場本体工事凍結、再検証」とキャスターがのたまわっていました。

番組内容が180度変わってしまう失態報道で、こんな無責任な連中が報道のタレ流しをしていたらどうしようもないよなと思いつつ、まだまだ反対する私たちの働きかけが弱いと思ったしだいです。

ひと昔前に比べると、記者の質もだいぶ変化してきたのかと思いつつ、群馬の県庁記者クラブのみなさんには頑張って欲しいと思うこの頃です。

昨日は終日国会。


2011.12.23 計算がヘタ

2011-12-23 01:30:22 | インポート
最近、お世話になっている人からアドバイスを受けました。

「オマエは、政治家として計算高いけど、計算がヘタだ。」と言われました。

これって「計算高くない」と言われているのかなと思って、妙に納得してしまいました。

私も政治家の端くれですから、色々と考えながら政治活動を行っているのは事実です。

ただカッコよく言わせていただければ、やりたいことがあるから政治家になったので、自分の選挙の損得だけで動いているわけではありません。

しかし、応援している人を裏切ってはいけないし、最大の裏切りは選挙で負け、落選することですから。

やるべきこと、やらなければならないことをやるために、選挙に負けない体制をつくりつつ、なぜ私がこの課題をやらなければならないのか、応援していただいているみなさんに、わかりやすく説明をしなければなりません。

自分の思いだけで突っ走ってはいけないということです。反省します。

勉強になりました。頑張ります。

昨日は終日国会。朝鮮半島を注視しています。


2011.12.22 岡田武史監督が中国へ

2011-12-22 03:20:27 | インポート
            

前サッカー日本代表監督の岡田武史氏が、中国スーパーリーグの杭州緑城の監督に就任することになりました。

岡田さんが国内、海外で様々なチームからオファーがある中で、なぜ敢えて中国チームを選んだのか勝手に考えてみました。

アジア地域のサッカーレベルが毎年アップする中で、中国ナショナルチームの元気の無さは際立っています。

本来、中国の持つサッカー潜在力はズバ抜けたものがあり、なぜ中国代表がここまで低迷しているのか、よくわからない部分があります。

そこに岡田監督が中国サッカー界にどのようなインパクトを与えられるのか、注目されるところです。

岡田さんは代表監督終了後に、環境や原発問題、日本社会の未来や日本人のあり方など、様々な社会問題について発言をしていました。

その岡田さんが、日本と友好関係がある意味不安定である中国に飛び込んでいく。

サッカー日本代表の試合が中国で行われれば、大アウェーになることはもちろんのこと、国歌斉唱時にブーイングがあがることもしばしばである。

したがって、岡田さんにとって結果が出なければ、もちろん結果が出ても、何を言われるかわからないリスクを背負っているのであります。

これは勝手な推測ですが、岡田さんはアジアの将来、日本の未来にとって、日中関係が極めて重要であると考え、サッカーを通して日・中間の懸け橋になろうとしているのではと推測しています。

岡田さんが中国で結果を出し、日・中の懸け橋になってくれることを期待したい。

夢かもしれませんが、岡田さんがサッカー中国代表の監督となり、日本代表と対戦する時の日中関係や、中国人のみなさんの日本人への眼差しがどのようになっているのか、想像するとワクワクするものがあります。

これまで、たくさんの友人が日・中の懸け橋になってきました。

岡田さんのこの野心的な取り組みが、花開くよう本当に、本当に期待したい。

昨日は終日国会。