先日、西毛地区の少年硬式野球ボーイズリーグ所属のチームが主催する小学生を対象としたトーナメント大会であいさつをさせていただいた。
その時に35年ぶりとなる出会いがありました。高崎商OBの関上さんと梅山さんである。
35年前の春の群馬県高校野球大会決勝で高崎商と富岡高が対戦し、延長11回3対2で我がチームが勝利して優勝、しかし夏の大会では最後の北関東大会を勝ち抜き、高崎商が甲子園出場を果たした。
我がチームは1つ先輩の広木さんが凄い投手で、当時絶対に打たれないカーブ(というよりドロップ)で、高崎商と2強といった感じの昭和52年度でした。
関上さんも梅山さんも、共に法政大学に進み、東京六大学でも活躍しました。
この歳になっても、子どもたちに野球を指導している姿をみると、本当に野球が好きなんだなと感じました。
実際、私もお二人と昔話になると話が止まらなくなってしまう。あの時代の高校野球文化を共有したものでなければわからない感覚だと思います。
ボーイズの選手を見ていて、レベルが高い。こんな凄い選手が高校野球に進むのだから、わが母校が簡単に勝てないのも当然。
良い選手を獲るのも甲子園への道を切り開く大切な活動のようです。野球の底辺の広さを感じた1日でした。
昨日は吉井町駅伝、C型肝炎説明会、ボーイズ総会、脱原発デモ、産廃会議、夜は懇親会。
その時に35年ぶりとなる出会いがありました。高崎商OBの関上さんと梅山さんである。
35年前の春の群馬県高校野球大会決勝で高崎商と富岡高が対戦し、延長11回3対2で我がチームが勝利して優勝、しかし夏の大会では最後の北関東大会を勝ち抜き、高崎商が甲子園出場を果たした。
我がチームは1つ先輩の広木さんが凄い投手で、当時絶対に打たれないカーブ(というよりドロップ)で、高崎商と2強といった感じの昭和52年度でした。
関上さんも梅山さんも、共に法政大学に進み、東京六大学でも活躍しました。
この歳になっても、子どもたちに野球を指導している姿をみると、本当に野球が好きなんだなと感じました。
実際、私もお二人と昔話になると話が止まらなくなってしまう。あの時代の高校野球文化を共有したものでなければわからない感覚だと思います。
ボーイズの選手を見ていて、レベルが高い。こんな凄い選手が高校野球に進むのだから、わが母校が簡単に勝てないのも当然。
良い選手を獲るのも甲子園への道を切り開く大切な活動のようです。野球の底辺の広さを感じた1日でした。
昨日は吉井町駅伝、C型肝炎説明会、ボーイズ総会、脱原発デモ、産廃会議、夜は懇親会。