今年は高校野球の全国大会が始まって100年の節目の年です。上毛新聞が「あなたが選ぶ名勝負 記憶に残る投手、打者、監督」の高校野球100年アンケートを行っており、以下のようにアンケートを送りました。夏が甦ります。今日は群馬県予選の抽選日です。わが母校の対戦相手はどこになるかな?
高校野球100年アンケート
① 投手 渡辺久信(前橋工)
理由:7歳の時から群馬県の高校野球を見続けてきているが、渡辺久信投手の剛球を上回る投手はいないのではないか。凄みのある剛球は断トツだったと思います。
② 打者 後藤駿太(前橋商)
理由:プロ野球で、群馬出身で最も成功したのは前橋工出身の阪神の佐野仙好選手だが、足、肩、打球の速さなど、後藤駿太外野手以上の選手を県内で見たことはない。三拍子揃っていることが大きなポイント。
③ 監督 東野威
理由:東野威監督は富岡、前橋商、高崎東、明和県央の監督を務め、現在も明和県央の総監督であります。東野監督は私が富岡高野球部の現役時代の監督で、厳しい練習と礼節を重んじ、私の人間としての在り方を教えていただいた恩師。富岡時代は、あと一歩で甲子園に届かなかったが、前橋商に赴任後は夏1回、春2回甲子園に出場しました。
粘り強い指導と人間力形成に努め、東野監督のしつこいノック(笑)と長いミーティング(笑)で、選手たちは忍耐力が向上します。特に東野威監督の功績は、多くの教え子たちを県内高校野球界に指導者として送ったことです。現在も74歳で明和県央でノックする姿は凄いとしか言いようがありません。
④ 名勝負 昭和61年、第68回夏の大会群馬県予選決勝 前橋商 対 関東学園大附高
理由:前橋商が57年ぶりの甲子園を勝ち取った試合です。前橋商は東野威監督のもと、前年のチームは最強と言われたチームだったが敗北し、新チームは厳しい戦力だった。第68回は初戦から苦しい試合が続きました。
決勝は春のセンバツに出場した関学大附高で、戦力的には圧倒的に関学大附高が有利だった。しかし前橋商は粘り強い攻撃でリードし、相手のまずい攻めもあり9回を2対5で迎えた。エースの五十嵐章人投手は連投の疲れで既にフラフラとなっており1点差に詰め寄られ、さらに逆転のランナーが塁を埋める中で、ライトに大飛球が上がり完全に抜けて逆転と思われたが、中塚貴之右翼手が超大ファインプレーで好捕し、前橋商の52年ぶりの夏の甲子園出場が決まった瞬間でした。
私は恩師である東野威監督の前橋商3塁ベンチ上のスタンドで応援していました。甲子園が決まった瞬間、自分たちが行けなかった甲子園に富岡高野球部監督であった恩師の東野監督が甲子園に行くんだと思ったこの瞬間から涙が止まりませんでした。うれしくて、そして感激で、大泣きしたことを今でも忘れません。敷島球場の前橋商のあの夏の熱さは一生の思い出です。戦力的には群馬県の夏の甲子園出場チームとしては最も弱いチームだったと思います。まさに奇跡の決勝戦の前橋商の勝利でした。
昨日は富岡ロータリークラブで講演、陳情処理、東京で懇親会。
高校野球100年アンケート
① 投手 渡辺久信(前橋工)
理由:7歳の時から群馬県の高校野球を見続けてきているが、渡辺久信投手の剛球を上回る投手はいないのではないか。凄みのある剛球は断トツだったと思います。
② 打者 後藤駿太(前橋商)
理由:プロ野球で、群馬出身で最も成功したのは前橋工出身の阪神の佐野仙好選手だが、足、肩、打球の速さなど、後藤駿太外野手以上の選手を県内で見たことはない。三拍子揃っていることが大きなポイント。
③ 監督 東野威
理由:東野威監督は富岡、前橋商、高崎東、明和県央の監督を務め、現在も明和県央の総監督であります。東野監督は私が富岡高野球部の現役時代の監督で、厳しい練習と礼節を重んじ、私の人間としての在り方を教えていただいた恩師。富岡時代は、あと一歩で甲子園に届かなかったが、前橋商に赴任後は夏1回、春2回甲子園に出場しました。
粘り強い指導と人間力形成に努め、東野監督のしつこいノック(笑)と長いミーティング(笑)で、選手たちは忍耐力が向上します。特に東野威監督の功績は、多くの教え子たちを県内高校野球界に指導者として送ったことです。現在も74歳で明和県央でノックする姿は凄いとしか言いようがありません。
④ 名勝負 昭和61年、第68回夏の大会群馬県予選決勝 前橋商 対 関東学園大附高
理由:前橋商が57年ぶりの甲子園を勝ち取った試合です。前橋商は東野威監督のもと、前年のチームは最強と言われたチームだったが敗北し、新チームは厳しい戦力だった。第68回は初戦から苦しい試合が続きました。
決勝は春のセンバツに出場した関学大附高で、戦力的には圧倒的に関学大附高が有利だった。しかし前橋商は粘り強い攻撃でリードし、相手のまずい攻めもあり9回を2対5で迎えた。エースの五十嵐章人投手は連投の疲れで既にフラフラとなっており1点差に詰め寄られ、さらに逆転のランナーが塁を埋める中で、ライトに大飛球が上がり完全に抜けて逆転と思われたが、中塚貴之右翼手が超大ファインプレーで好捕し、前橋商の52年ぶりの夏の甲子園出場が決まった瞬間でした。
私は恩師である東野威監督の前橋商3塁ベンチ上のスタンドで応援していました。甲子園が決まった瞬間、自分たちが行けなかった甲子園に富岡高野球部監督であった恩師の東野監督が甲子園に行くんだと思ったこの瞬間から涙が止まりませんでした。うれしくて、そして感激で、大泣きしたことを今でも忘れません。敷島球場の前橋商のあの夏の熱さは一生の思い出です。戦力的には群馬県の夏の甲子園出場チームとしては最も弱いチームだったと思います。まさに奇跡の決勝戦の前橋商の勝利でした。
昨日は富岡ロータリークラブで講演、陳情処理、東京で懇親会。