かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2009.9.16 反国家の兇区からの誘惑       -政権交代の中で-

2009-09-16 02:11:47 | インポート
本日、鳩山新政権が誕生する。政権交代でこの国の税金の使い方を変えていく、官僚内閣制から国会内閣制へ。

官僚のトップである事務次官による事務次官会議で承認されない法律や決定は、1つたりとも閣議に上がらない日本の官僚支配による官僚内閣制から、国民の1票により選ばれた国会議員により選出された首相が組織する国会内閣制へ。

そして事務次官会議は廃止される。この度の政権交代は日本の統治構造を官僚から国民の手に取り戻す大きな1歩となる、歴史的なものとなる。

明治政府が樹立されて以降、憲法にも法律にも書かれていない事務次官会議により仕切られてきたこの国の統治のあり方を国民の1票という民主主義により国民主権が発動され、革命的な制度改革がすすんでいくのである。

官治から自治へ、中央集権から地方分権へ。中央政府と横並びの地方政府の樹立へ。

政権交代による国民主権を全面的に活かし、市民自治により国づくり、地域づくりにむけて我々自治体議員は一層の責任を負うことになる。

市民自治による運動と政策型政治こそが求められている。

その一方で国家のあり方が全面的に変わる中で議会主義という制度の中で活動する、せざるをえない自分に苛立っている最近の自分がいる。

     
              反国家の兇区 現代評論社1971年9月発行

反国家の兇区でありたい自分、反権力でありたい自分、統治者であるより叛乱者で有りたい自分、国家という存在を破壊したい自分、がいる。

新川明氏(沖縄タイムス元会長)著作の「反国家の兇区」の中に収められている「〈反国家の兇区〉としての沖縄」は日本=ヤマトと対峙する沖縄が日本国家そのものを根本的に批判し、沖縄の自立への視点を明示する一文である。

新川氏は、その一文の最後で、

《 沖縄のことを、「普通の人間(大和人)たちのうかがいしれぬ、花という武器をもった乞食たちの群れが棲んでいる地区」と形容したのは牧港篤三である(『中央公論』七一年九月号)。沖縄を「反国家の兇区」たらしめつづける思想に、綱領や政策が要るわけはなく、ただ沖縄が日本に対して所有する「文化」の「異質性」に依拠しつつ、みずからの思想の深化をはかることだけで足りるのである。 》

花という武器をもった乞食である兇人になれない自分に苛立つ。

反国家の兇区からの誘惑の風が私に猛烈に吹いている。

昨日も早朝街宣とあいさつまわりに埋没する。