遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『電王』 高嶋哲夫  幻冬舎

2017-02-14 16:09:15 | レビュー
 将棋界で、対局中に将棋ソフトを参照していたという疑惑騒動が世を賑わせたのはついこの間のことである。疑義を抱かれた某九段はさぞや悔しい思いをされたことだろう。あの騒動事件とは全く次元の異なるが、将棋を題材にしたフィクションである。将棋ソフトに関連した小説として一足早く連載され、2016年12月に単行本で出版されたのが本書である。奥書を見ると、「ポンツーン」の2015年12月号~2016年8月号に連載されたものに加筆修正されたという。

 この小説は、将棋ソフトと棋界の名人との対決をクライマックスとし、そこに至るプロセス展開をストーリーにしている。既にコンピュータ・ソフトとその道におけるトップクラスの人間との対決は、チェスの世界、囲碁の世界では実現している。その流れの延長線上で「将棋電王戦」が2010年からスタートしている。この小説は現代社会の一面をタイムリーに採り入れた作品と言える。

 プロローグは、二階の窓から富山湾を望むことができる老舗旅館「望海廊」で人間対マシンの将棋対決がまさに始まったシーンからスタートする。それはエピローグで対局が幕を閉じるシーンと照応する。
 ストーリーは「現在」と「過去」のストーリーがパラレルに進行し、最終ステージでその2つのストーリーが合流する。
 この小説、構想がスッキリと明確でストレートな流れに構成されており、早く先が読みたくなることと思う。そこに、将棋ソフト開発、人間関係、企業経営という異なる視点でのウィチングの興味が同時進行で深まっていくのでおもしろい。

1.将棋界の名人と将棋ソフトのマシンが対決する。
 その点はプロローグで明確となる。将棋界の第76期名人、取海創(とりうみそう)がマシンと対決する。マシンの操作を行うのは東都大学理学部情報工学科教授の相場俊之(あいばとしゆき)である。相場は人工知能の分野では世界的な実績を上げている研究者である。
 相場が操作するマシンに搭載された将棋ソフトは、「現在」のストーリーのフェーズで語られて行く。元々相場の研究室に属する修士課程の秋山が卒論のテーマに将棋ソフトの開発を提案してくることに始まる。将棋ソフトにAIを組み込むという応用視点が卒論のテーマに認められる。それがなぜ、棋界の名人とマシンの対局になるのか? そこによませどころがある。

2.「現在」のストーリーは、将棋ソフトの開発プロセスが中心に展開していく。
 将棋ソフト同士の対局戦による最強ソフトの開発、そして将棋における人間(名人)対マシンの夢の対局を実現する、そして将棋ソフトが人間を凌駕する、そこにソフト開発者の夢とロマンがある。
 秋山を中心に仲間たちが将棋ソフトを開発し、電王戦出場で優勝を目指す段階から始まる。つまり、将棋ソフト同士の対局ステージで如何にして優勝できるソフトを開発するかである。彼らにとってその出だしは一次予選敗退だった。秋山は将棋ソフト開発にAIを組み込み、修士論文を兼ねるという面白い発想を提案する。相場は指導教授として、そのソフト開発に対しアドバイスをする立場になる。
 より強力な将棋ソフトの開発プロセスそのものがストーリーとなる。開発する側の人間たちを描くので、ソフトのプログラミングや棋譜の知識がない門外漢でも十分楽しめる。将棋ソフト大会の進行がどんな状況になるのかも大凡このストーリーでイメージできる。この小説から、読者には実在する「将棋電王戦」などへの関心が高まるかもしれない。
 第一ステップは将棋ソフト大会での優勝が目的なのだ。だが、それが、人間対マシンの将棋対局にステップアップするのはなぜか? そこに仕掛人が登場してくる。『週刊ワイズ』の記者花村勇次である。彼が相場の過去を知っていて、人間対マシンの将棋対局、それも名人とマシンの対局実現の画策と推進役をするのである。
 
 相場と花村はこんな会話をする。
相場「僕には過去を懐かしんでいる時間はないんだ。今を乗り切るのに精一杯だ」
花村「そう言いきれるかね。人間なんて過去があっての今の自分がある。忘れようたってわすれられるものではない。過去と向き合うことも必要だ」

 ここで、現在のストーリーの展開にあたり興味深い設定がなされている。
 相場俊之: 将棋界の「奨励会」に入り、天才少年の一人と呼ばれた時期がある。そして、ある契機で将棋の道を断念して、学問の世界を選択し、人工知能の領域では世界に名を知られる研究者となった。 相場は学問の世界に進んでからは、将棋界との繋がりは一切断ち、自ら将棋については封印してしまう。
 修士の秋山: 小学校6年で「奨励会」に入り、4年居て高校に入るときに退会したという苦い体験を持つ。プロにはなれない、タイトルには遠く及ばないと断念したという。
 記者の花村: かつて「奨励会」に所属しプロ棋士をめざしたが、年齢制限に引っ掛かり、7年前に退会して週刊誌の記者に転じ、将棋界の取材記事を書く立場になっている。相場の将棋界との関わりの過去について調べ尽くしている男である。マシン側の相場を引っ張り出すことをねらう。  
 
 そして、人間対マシンの対局で面白いのは、若手のプロ棋士がソフトに対する偏見や抵抗がなく、将棋ソフトで練習した世代という時代状況を織り込んでいることである。取海創は数学の領域に強く、将棋ソフトにも抵抗感を抱かず、その弱点を突くことに興味を持つ世代として描いている。

3.「過去」のストーリーは、主に相場俊之と取海創の物語である。相場の回想という形でストーリーが始まる。24年前、8歳で小学校2年の時から始まる。相場は父の弟である元治から本将棋の駒の動かし方を教えられ、将棋のおもしろさに引き込まれていく。そして、2年の終わりに大阪から引っ越して来て、同級生となる取海との出会いが始まる。将棋を相場が取海に教える。取海は将棋が己の生きる道と見定めていくようになる。
 このストーリーで興味深いのはこの二人の家庭環境の背景設定である。取海は貧しい家庭の子供である。父親が刑務所に入っていて、母と妹の3人が転居してきたといううわさもある。相場とは学校で唯一の親友関係となる。トシちゃん、ソウちゃんと呼び合い、将棋を介して一緒に過ごす時間、密度が濃くなっていく。相場から将棋を知った取海は、己の能力に目覚め、将棋という道で、金を稼ぎ母を助け、棋界のトップに立つことを目標と定める。小学校から、将棋中心の人生を始めて行く。将棋を生活の手段と見なし、頂点に立つというハングリーな精神を横溢させている。勝ち抜くことをめざして将棋の技量を高め、ランクを上げていく。
 一方、東洋エレクトリックと称し、現在は電子部品分野を手掛ける中堅企業がある。曽祖父の代に設立された同族会社で、相場の父親が会社社長を継承している。相場はかなり裕福な家庭の長男なのだ。金銭面の苦労はなかった。さらに、相場の弟は音楽家を目指していたが、己の才能に見切りをつけ、東洋エレクトリックに入り企業人の道を選択した。そのことから、相場は家業の継承という束縛から自由となる。相場にとっての将棋は楽しみの世界である。自分の能力を伸ばせるという側面での楽しみの域をそれほど出ない。プロ棋士を目指すという明確な動機づけがあるわけではない。取海が将棋の腕を上げるのに連なる形で、相場も腕をあげ、二人の天才少年と世間に言われるようになっていく。
 こんな二人がどうなるか。なぜ道を分かち、別々の歩みとなるのか。そのストーリーが綴られていく。
 俊之と創が将棋の世界に踏み込み、「奨励会」の入るというプロセス、及びその後のストーリー展開の中で、将棋界の仕組みがわかるのも、門外漢には新鮮でおもしろい。ああ、こんな仕組みになっているのか・・・・。プロ棋士の世界の大変さの一端がイメージできる。
 二人の出会いと、将棋道場・奨励会での切磋琢磨、そして二人の人生の道が分かれる。そこに深い意味が潜む。そして再び形を変えた二人の対局となる。その必然性の歩みが興味深い読ませどころといえる。

4.この小説の楽しめるところは、そこに東洋エレクトリックという中堅企業が抱える中期的スパンでの経営問題が絡んでくることである。東洋エレクトリックの経営者の一員になって行こうとする弟の賢介が兄の俊之に手助けを求めてくる。そこに日本の優良中堅企業が抱える悩みが投影されている。その状況設定にはかなりリアリティがある。
 相場俊之がいささか関わる家業の東洋エレクトリックがなぜ、このストーリーに登場しなければならなかったのか? それが徐々にあきらかになっていく。また、それが相場俊之の人生における次の選択とも関係していくところが興味深い。

 そして、エピローグの終わり方には、人間対マシンの対局を越えた余韻を残す。このエンディングの設定が特におもしろい。

 ご一読ありがとうございます。

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この作品を読み、小説からの関心の波紋でネット検索した結果を一覧にしておきたい。
日本将棋連盟 ホームページ
調査報告書 概要版  2016.12.26付 公表
将棋連盟、谷川会長が辞任会見で語ったこと  :「東洋経済ONLINE」
超人気棋士が抱く「将棋ソフト」への拒否感   :「東洋経済ONLINE」
将棋電王戦  :ウィキペディア
人間VSコンピューター 人工知能はどこまで進化したか :「クローズアップ現代」(NHK)
   No.3155 2012.2.8
羽生善治三冠、コンピューター将棋との対戦ならず。叡王戦準決勝で佐藤天彦名人に敗れる

人工知能「第3の波」、囲碁でも人間に勝った! :「東洋経済ONLINE」
人間対コンピュータのチェス :「21世紀チェス」
コンピュータチェス  :ウィキペディア
人間対コンピューターのチェス対決から知能の本質に迫る :「WIRED」
   2002.10.23
IBM元開発者「チェス王者にスパコンが勝てたのは、バグのおかげ」:「WIERD」
   2012.10.3
連載 人間vsコンピューター 10番勝負! :「HH News & Reports」
      チェス対決第1回
コンピュータ囲碁  :ウィキペディア
人間はもうコンピューターに勝てない?Google主催の囲碁対局から学ぶ(前編)
   2016.3.30   :「CHANGE MAKERS」
コンピューターvs.人間 囲碁の初戦の結果は…… 2016.3.9 :「BuzzFeed]
[オピニオン]囲碁、人間vsコンピュータ 2016.1.29 :「東亜日報」

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『イントゥルーダー』   文春文庫
『原発クライシス』     集英社文庫
『風をつかまえて』    NHK出版
『首都崩壊』       幻冬舎