遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『<オールカラー版> 日本画を描く悦び』  千住博  光文社新書

2014-07-09 08:50:46 | レビュー
 「芸術とは、煎じ詰めれば心を持つ生命体の情報交換のことです・・・・芸術とは生命のイマジネーションのコミュニケーションであり、美とは生きる本能的な感性なのです」(p61)と著者は記す。人文学だけでなく諸科学領域にまたがる多角的な山だという。著者はレオナルド・ダ・ヴィンチをその典型的な具現者として挙げている。そして、小学生の時に人生を左右する重要な芸術作品との出合いが、手塚治虫の「火の鳥」というマンガにあったという。そこに「生命のイマジネーションのコミュニケーション」を感じ取ったようだ。
 
 「まえがき」で、冒頭の著者が芸術を定義している文と判断するものを、つぎのように述べている。何かを見て描写することではなく、見たものを「自分の言葉へと変換し、噛み砕いて、自分の理解の仕方に落とし込んでいくという感じ」であり、「自分なりの世界観、ストーリーとして再構成して描くのです」と。だからこそ、普通によく名作と言われる油絵などには小学生の頃から拒絶反応したという。小学生時代から「特別の苦労をしなくても、ある程度上手いものが絵が描けてしまう」と自己評価する著者が、絵の道に進むとは考えていなかったと言うのだから、面白い。その著者にとり、高校時代にグラフィックデザインの世界との出合いが己の考えを打ち砕く衝撃的なものとなったと回顧している。図画の教科書に載る泰西名画とは別世界の存在への驚愕だったという。
 そこから始まる「美の世界」「芸術」というものについての著者の遍歴体験と芸術観を語っていくエッセイを集めた新書である。
 
 このエッセイ集を読み、興味深くおもしろいと感じた観点をまずご紹介しておこう。
・「今から約137年前、私たちのこの宇宙は・・・」というところから始まるおもしろさ。
・日本画に関心が無かった著者が日本画の展覧会に行き、「岩絵の具」に惹きつけられたことから、日本画を描くに至ったという美の探究遍歴が語られている点。
・著者の感性、芸術観をでんと据えて、洋の東西を問わず様々なアートを事例を挙げながら論じている点のおもしろさ。それらの美の世界との著者のコミュニケーションの語りが興味深い。
 著者の取り上げた芸術家や領域を順に列挙しておく:グラフィックデザインの世界、日本画黄金期の作品(那智瀧図、信貴山縁起絵巻、源氏物語絵巻、伝源頼朝像)、氷河期の洞窟壁画、葛飾北斎、ドガ、モネ、ポップ・アートの作品群、伊藤若冲、マルセル・デュシャン、ピカソ、ヘンリー・ムーア、横山大観、クリストとジャンヌ=クロードの作品、Ice Age art、ジェームズ・タレル、工藤甲人、ポール・デルヴォー、ルネ・マグリッド、ムンク、狩野永徳、尾形光琳など。実に時空間の広がりと美の広がりが多彩である。
・著者の作品が創出された背景、普段はあまり語られない裏話が様々に語られている。それが逆に「千住博」の作品を知るのに役立つ点。
 特に大徳寺聚光院の襖絵制作に関わる著者の背景語りが圧巻である。
 「私は、狩野永徳という天才が描いた襖絵と、自分が依頼された大書院の襖絵が、廊下一本を隔てただけで接することの重圧に長い間苦しんできました」(p170)、「永徳を無視する、というより無関心になって初めて、私は再び日本画自体と向き合い、この襖絵は本当の意味で動き出すことができたと感じています」(p176)この2つの文の架橋プロセスが読みどころである。

 大徳寺聚光院の建物の中で、廊下1つを隔てた狩野永徳と千住博の両襖絵を拝見できる機会がないだろうか・・・・。
 
 最後に、エッセイから惹きつけられる印象深い文をいくつか引用しておこう。
 他にも引用したいものは・・・・数多い。ご一読いただき、あなた自身が惹きつけられる文を発見してほしい。

*日本画の技法は太古からの人類の進化のプロセスと人類の文明、日本の風土を今に伝えているものなのです。この技法が生き残ったのは、組み合わせとしての安定感が他のすべての技法と比べて抜群だったからにほかなりません。  p21

*大切なのは、岩絵の具を用いて絵を描いているのは、太古の昔も今も変わらぬ同じ人間なのだということです。・・・・私が惹きつけられた岩絵の具への思いは、どうやらDNAの奥深くに眠っていたこれらの太古からの記憶だったに違いありません。そして紙を見て、膠を知ると、私は私自身の中に眠る人間文化の歩みに触れる思いがするのです。p23-24

*私の考える日本画の黄金期は今から約1000年前から約800年前くらいの、平安時代から鎌倉時代に至る数百年の間の日本画誕生の日々にあるからです。 p25

*絵を描くということは、頭を整理することです。デッサンとは、どこまでを描いたかではなく、どこまでを見たかということです。幼稚園児たちが絵を描くのは、描写力を身につけるためではなく、観察力を身につけるためです。  p32

*マンガばかり読んでいる子は、マンガ家にはなりません。マンガ家になる子は、幼稚園の頃からマンガばかり描いている子です。・・・・小説家になる子は、高校生くらいから文章らしきものを書いている子です。音楽ばかり聴いている子も演奏家にはなりません。演奏家になる子は、3歳くらいから必死で練習している子です。   p34

*私に関心があったのは、常に現在形の、自分の足もとでした。
 しかし、この考え方は近代以降の画家に共通した感性です。”現在形”を感じ取ることのできる感性を持っている人々によって、近代の絵画は塗りかえられていったのです。p35

*その時その時に一番惹きつけられるものを描くこと--、それが、私のモチーフ選びの基本でした。将来はあれを描きたいけど、今は我慢してこれを描く、という発想は私にはあり得ないことです。それが、芸術家として今を生きるということだと思います。 p38

*優れた芸術が生まれるには、規則正しい生活が必要だと私は思っています。しかし、それは極端である必要はなく、何事も自然に、ということが大切です。  p45

*ヘンリー・ムーアは、「石の中に彫刻が埋もれている。私はそれを掘り出すのだ」と言っています。 ・・・・・・
 ヘンリー・ムーアが埋もれた像を掘り出す心境というものは、心の中に明確なビジョンを持ち、確立した哲学を持ち、かつ素材に対して謙虚に、この場合は石との共同作業で、埋もれている美を彫り出したいと願う心の表れということです。 p57-60

*私にとって、スランプは常態です。そして、制作がうまくいかない、作品が自分の思うようにならないと悩むのが芸術家の日常です。  p75

*買ってでも努力する人が、才能のある人の生き方です。  p82

*本人が心から信じていること、しかし不幸にして他人から見れば空想や妄想に見える場合もあるにせよ、そのようなものこそが実は絵になるのでは、と思っています。 p120


 ご一読ありがとうございます。


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いくつかネット検索してみた、一覧にしておきたい。

千住博  :ウィキペディア
聚光院  :ウィキペディア
狩野永徳 :ウィキペディア
  聚光院方丈障壁画のうち花鳥図が載っています。

軽井沢千住博美術館 ホームページ
  展示作品の紹介ページはこちらから。
 
千住博 作品一覧  :「おいだ美術」


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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