遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『万葉歌みじかものがたり 三』  中村 博  JDC

2015-01-06 22:11:13 | レビュー
 読み進める順番が違ったために、この第3巻が私には5冊目の「みじかものがたり」になる。著者の創作法に親しんできたところだ。
 この第3巻で著者は、万葉歌人の個人の人生、生き方を髣髴とさせるように万葉集に収録された歌を編集していき、そこにその歌人並びに歌人が関係した人々の歌を織りなして行く。個人列伝の2冊目となる。それが最初に読んだ、第4・5巻の大伴家持編へとバトンタッチされていくのである。
 手許の本を参考にして万葉集の収録歌の時期区分と歌人を一覧にしておこう。
第1期(629~672) 推古天皇~天智/壬申の乱 歴史編 (第1巻)
第2期(673~709) 天武天皇~元明天皇    歴史編(第1巻)
                  柿本人麻呂、高市黒人(第2巻)
第3期(710~733) 平城京遷都~聖武/前期  大伴旅人、山上憶良(第2巻)
             高橋蟲麻呂、笠金村、車持千年、山部赤人(第3巻)
第4期(734~759) 聖武/後期~孝謙天皇   大伴坂上郎女(第3巻)
                      大伴家持(第4巻・第5巻)

 つまり、この第3巻は、平城京遷都により律令制度が軌道に乗り、経済が発展する中、大陸文化の摂取が急速に進み、仏教文化が根付いていく時期である。大陸文化の影響を受け、個性化・多様化が進み、それが歌風にも反映し、個性的で優美な歌が広まっていく時代である。
 その中で、著者は上記のように、4歌人に着目し、その人生について、「みじかものがたり」をしながら、個性あふれる歌人の歌を織りなして行く。

 「はじめに」に著者はこの4人の特徴を簡潔に記している。要点をまとめておこう。
高橋蟲麻呂(現在では「蟲」の代わりに一般的には「虫」で表記されている)
  伝説歌人と称される人。この歌人を犬養孝氏は「弧愁の人]と呼んだという。
  「己が胸に閉じ込めた開かれざる愁い」を詠みあげた歌人。
笠金村(かさのかなむら)  帝に仕える一途な「武人」の思いが漂う歌風の歌人。
車持千年(くるまもちのちとせ) 笠金村と同時作歌の多い歌人
山部赤人 万葉集における著名歌人の一人。
  「作風は繊細優美で鮮明な叙景性が特徴である。」
  著者は、赤人が「叙景性」に辿り付くのは、彼の内向的性格に根ざすとみる。
坂上郎女 万葉集随一の女性歌人。情熱的で知的な歌が多く、相聞歌を多く詠む歌人。
  恋多き女、母として、叔母として、大伴一族の大刀自となる「女の一生」をおくる。

 著者はかなり歌風や視点の違う歌人達をこの一冊で物語っている。そこには万葉集の収録歌を歌人の人生の時間軸でみた中で、その総体から浮かび上がるイメージを史実を踏まえて、「みじかものがたり」に創作しているようだ。
 高橋蟲麻呂の生涯は定かでないそうで、著者自身明らかにその「みじかものがたり」のかたり部分は「フィクションではあるが」と明記している。それ故だろうか、蟲麻呂は藤原宇合(うまかい)に命じられ、「常陸風土記」編纂のための準備として、説話伝承収集のために各地を歴訪する。独り身の思いを土地土地で歌に表出していく愁いをもつ歌風が独自のものとして伝わってくる。私が惹かれる歌をご紹介する。

 <<昔のことと 伝えは言うが 昨日のことに 思えてならん>> p20
 
 「遠き代に 有りける事を 昨日しも 見けんが如も 思おゆるかも」(巻9・1807)

 <<雲湧いて 時雨が降って 濡れたかて つれ出来るまで ワシ帰らんで>> p31

 「男の神に 雲立ち上り 時雨降り 濡れ通るとも 我れ帰らめや」(巻9・1760)

 <<国境 坂に咲いてる 桜花 見せたりたい児 居ったらええな>> p45

 「い行き合いの 坂の麓に 咲きおおる 桜の花を 見せん児もがも」(巻9・1752)

 これをみても、著者は万葉集の収録順にこだわらず、自由に蟲麻呂の人生を再構成していることが窺える。蟲麻呂編を読んでの副産物は、生まれ育った地元を藤原宇合が詠んでいることだった。一首を記録に留めておきたい。

 <<山科の 石田社に 幣捧げ 祈るとお前 逢えるやろかうか>> p63

 「山科の 石田の社に 幣置かば けだし我妹に 直に逢わんかも」(巻9・1731)

 こういう地元関連歌の発見はおもしろい学びの出会いでもある。万葉への直結!

 金村・千年編は、天智天皇の子である志貴皇子の死に対する晩歌から始まっている。そこには、武人の素直な思いが長歌・反歌に切々と詠まれている。金村については、次々と随行していく行幸において詠んだ歌が織り込まれていく。そして、主従関係にあった石上乙麿が越前国守として赴任した後、留守を託された金村の周辺の政争に絡む金村の有り様が歌で綴られていく。その政争とは藤原四兄弟と長屋王の確執である。その時期、金村は天皇の武器庫がある石上神宮、布留の地に詰めていたこととしてものがたられる。ものがたりでの創作として金村の収録歌を1年早く詠まれた歌とみなして(その旨注記あり)金村の行動と心情を盛り上げている箇所(p107)は興味深い歌の織り込み方である。その歌とはこれである。

<<解かへんぞ お前結んだ 紐やから 例え切れても 逢うまで解かん>> p107

「我妹子が 結いてし紐を 解かめやも 
        絶えば絶ゆとも 直に逢うまでに」(巻9・1789)

 千年の歌は、歌詠みとしての金村との会話の流れの中で、金村の求めで詠まれた歌として織り込まれている。本書で初めて、車持千年という歌人を知った。

 山部赤人の歌も、行幸に随行する歌を軸としながら、赤人の歌の修練が語られていく。著者は、人麻呂の歌を高嶺にある手本として意識しながら、人麻呂の歌趣を超える歌づくりを目指す赤人の人生を綴っていく。そこには、赤人の詠歌を人々は称賛するが、「そこには 自負しつつも/ みずからの才を良しとしない 赤人がいた」とものがたっていく。
 赤人は奈良から吉野へ、難波へ、須摩・明石・室津へと足跡を残している。東へは、有名な歌「田児の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ・・・・」で知られるように、駿河国、さらには下総国葛飾にも足跡を延ばしているようだ。赤人はどういう立場で関東に出かけたのだろうか、史料がないのだろう・・・・著者はこの「みじかものがたり」では駿河国や下総国に居る赤人を短くかたり、歌を織り込むばかりである。また、著者は赤人の歌を綴る中でこうかたる。「歌は 誰に詠うでなく 己の心に詠う/ そのことを知った 赤人であった」と。
 蟲麻呂が詠み、葛飾に行ったという赤人が再び詠んだ「真間の手児名」がどういう人で、どういう伝承なのか、興味をひかれるところである。

 上記の親炙した歌以外に、ここに載せられた赤人の歌から心に残る歌を記録しておこう。

<<夜更けた 久木生えてる 川原で 千鳥鳴き声 頻りに為(し)とる>> p132
 
「ぬばたまの 夜の更けぬれば 久木生うる 
        清き川原に 千鳥数(しば)鳴く」(巻6・925)

<<風吹いて 波出て来相で 様子見に 細江の浦で 舟寄せ待ちや>> p147

「風吹けば 波か立たんと 様子見(さもらい)
        津太(つだ)の細江に 浦隠(うらがく)り居り」(巻6・945)

(よすが)に 植えといた 庭の藤花 今咲いとるで>> p163

「恋しけば 形見(かたみ)にせんと 我がやどの
        植えにし藤波 今咲きにけり 」 (巻8・1471)

 この最後の歌は、赤火をものがたる最後の「萩の古枝(ふるえ)に」の節で、それも最後に位置付けた歌である。その前2つの歌の言葉に「鶯」が詠み込まれているので、この歌で意図的に「ほととぎす」を訳の中に登場させたのであろうか。
 折口信夫は、『口譯萬葉集(上)』(中公文庫版)では、「あの人が恋しくなつたら、其代りに見てゐようと自分の屋敷に植ゑた、藤の花が、今咲いたことだ」と口譯している。偲ぶ思いは深く沈潜し、咲いた藤の花を今気づき、愛でているようである。
 
 坂上郎女の人生は、万葉集に収録された数多の相聞歌を読む限りでは、若い頃はかなり大らかに奔放に恋の世界に戯れた人のようだ。その女性が、母となり、叔母の立場で配慮をし、さらに大伴一族の大刀自として取り仕切る立場になっていくその人生はやはり当時ではスゴイ女性だったのだろうなと、この「みじかものがたり」から感じる。
 坂上郎女の詠む相聞歌は、機知があり堂々とし大らかで、読んでいても楽しめる歌が多い。また、単純に本書でのページ数の割り振りから見ても、他の歌人を圧倒するボリュームである。大伴一族、ここにありという感じにもなる。

 楽しい歌、惹かれる歌が多くある。歌の番号で列挙しておこう。万葉集をお持ちなら、すぐ引き出せるだろう。それより本書を手に取り、開いて頂くのが早いだろう。

 巻6・981、巻4・684、巻4・687、巻4・658、巻4・661、巻4・528、巻4・673
 巻4・563、巻8・1484、巻6・992、巻8・1500、巻4・586、巻4・667、巻19・4221
 巻19・4170
まあ、これは個人の好み次元のものにすぎないけれど・・・・。

 ひとつ興味を引くのは、「黒馬来る夜は」(p180~183)に巻4・522~524の歌が取り上げられている。著者はそれらの歌を藤原麻呂が詠んだと表記している。
 岩波文庫版をみると、三首の歌の前に「京職藤原大夫、大伴郎女に贈れる歌三首」(p172)との詞書が付いている。ところが、折口信夫は『口譯萬葉集(上)』(中公文庫版)で、「京職大夫藤原宇合大夫、大伴坂上郎女に贈った歌。三首」(p162)を詞書と記している。宇合は藤原不比等の三男で694年生まれ、麻呂は四男で695年生まれなのだ。「大夫」は官であり官職名である。これだけでは、麻呂か宇合かの識別はできない。万葉集が写本で継承される過程で、3種の表記が現存するということだろうか? 宇合の名前あるいは麻呂の名前をきっちり明記した詞書の付された写本である。一つの本だけ見れば、持つことのない疑問だが、対比してみると思わぬところで、興味深いことに気づくものである。

 最後に坂上郎女のおもしろい機知溢れる歌でしめくくろう。万葉の時代から、こんな頭韻をふむ遊びの要素を含めた歌が作られていたのだ。この歌も本書で初めて知った歌である。

(ゆ)て/ 来(こ)ん時あるで/ 来ん言んや/ 来るか待たんで/
 来ん言うとんに>>

「来(こ)んと言うも 来ん時あるを 来じと言うを 
        来んとは待たじ 来じと言うものを 」(巻4・527)

著者は「き」という頭韻歌としても別の訳出をして、p185に掲げている。それは本書でご確認願いたい。



 ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

「万葉歌みじかものがたり」ホームページ
  このサイトページが本書発刊のベースになったようです。
    <蟲麻呂編>
    <金村・千年編>
    <赤人編>
    <坂上郎女編>
高橋虫麻呂 千人万首  :「やまとうた」
真間の手児奈伝説:山部赤人と高橋虫麻呂  万葉集を読む :「壺齋閑話」
笠金村   千人万首  :「やまとうた」
車持千年  千人万首  :「やまとうた」
山部赤人  千人万首  :「やまとうた」
大伴坂上郎女 千人万首 :「やまとうた」
藤原宇合  :ウィキペディア
藤原麻呂  :ウィキペディア
藤原麻呂って、どういう人物だろうか :「平城京左京三条五坊から」


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


このシリーズでは、こちらの巻を既に読んでいます。
併せてお読みいただけると、うれしいです。

『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
『万葉歌みじかものがたり 二』 JDC
『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻  JDC




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