遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  松岡圭祐  講談社

2016-08-12 13:32:45 | レビュー
 水鏡瑞希シリーズの第2作。水鏡瑞希は文部科学省内に設置された「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」に所属する一般職事務官である。一介の事務官が、研究分野における不正行為・研究費の不正使用の問題事象そのものに関心をいだき、その問題に関与し、持ち前の推理力を発揮していくというストーリーである。研究分野の特定テーマが絡んでくるため、専門的用語なども頻出する。しかし、一般読者としては研究分野の詳細はさておき、その文脈を追っていくことで、大凡の問題事象について理解はできる。扱われている研究分野そのものの新規性や知識の一端に触れること自体にある種の新鮮さがあり、また関心を高める萌芽ともなる。その点は推理小説の読者にとって知的副産物となる。
 第1作に対し問題事象となる研究分野がガラリと変わり、これまたおもしろい。
 また、本書は日本における科学研究分野の抱える問題点を指摘しているという局面があり、この点も興味深いところである。

 水鏡が所属するタスクフォースは総合職・キャリアのメンバーが頻繁に人事異動で入れ替わるという事情を反映し、この第2作では、水鏡瑞希の上司が替わっている。50歳前後で肥満体、官僚に共通の知性はあるが融通の利かなさが明確に感じ取れる宗田勝巳と30歳前後、育ちの良さそうだが規律に逆らう度胸など感じられない野村颯太である。この二人が、瑞希の行動力に振り回されながらも、瑞希の推理力に一目置き、結果的に瑞希の行動をサポートしていく展開となる。そこに滑稽さを含みつつおもしろい関係が描かれる。

 さて、タイトルにある「インパクトファクター」がこの小説のキーワードとなっている。かつそこに科学研究の分野における問題点が潜んでもいる。それを浮彫にすることがサブテーマとなっているのかもしれない。
 この小説の仲では、瑞希はインパクトファクターという用語を知らず、野村颯太が瑞希に説明する。「文献引用影響率ともいってね。ある科学誌に掲載された論文が、特定の年または期間内に、どれくらいの頻度で引用されたかをしめす平均値のことだよ」(p121)と。そして、このインパクトファクターの合計値が大学や研究機関の人事において目安として使われ、研究者の出世に影響するという。また、一方で、雑誌に論文が掲載されたとしても、論文の内容が正しいという証明ではないという。「投稿された論文は。レフェリーと呼ばれる査読者らにより審議されます。疑問点があれば、書き手にそれが伝えられ、論文も掲載不可となります。しかし、流行の生物科学分野での新発見であれば、雑誌の売上げのためにも査読者の意見を差し置き、編集者が掲載を決めることがあります。」(p122)「雑誌に論文が掲載されたのち、世界じゅうの研究者が追試し、成果を得られなければ糾弾が始まります」(p122)という。インパクトファクターが科学者にとっての通知表的役割を果たすのだそうだ。研究費を確保するのにこのインパクトファクターが利用されることにもなっているのが実情だという。

 このストーリーは、FOV人工血管に関する論文が『ナノテクノロジー』誌に掲載されることになったことを契機に、生命科学人工臓器研究所の関係者が記者会見を開いたことに端を発する。「今回のFOV人工血管には、合成高分子材料に培養人工血管と遺伝子導入した人工血管を混合した、まったく新しい素材が用いられたとのことです。これにより、たとえ人工血管が切断されても、傷口が自発的に隙間なく吻合され再生し、血流が復活する自然治癒能力を有します」(p12)と発表する。
 そして、この画期的な新技術の発案者が、研究班リーダーとなった弱冠25歳の大学院生如月智美だという。一方、その論文の発表者は研究所副所長の滝本隆治の名義となっていて、発案者の如月智美、この研究所からとある国立大学に転出した志賀雄介、インドのマハラディーン大学のリティク・アヴァリ教授が共同執筆者となっているのである。
 
 研究班リーダーが如月智美という報道を見て、水鏡瑞希は違和感・不審感を感じた。如月智美は瑞希の小学生時代の同級生だったのである。瑞希と智美の成績は同じ位で、二人は学級の成績では下位に甘んじていた状態だった。そして瑞希はあるとき、智美のある行為を目撃して以来、智美との友人関係を避けるようになり、疎遠になっていったという記憶があったのである。
 いまや最先端の科学研究を担う立場にある如月智美の姿に瑞希は一種の衝撃を受けるとともに、智美に直接会ってみて、不審感を払拭するためにも、その後の智美の事を知り、発表された研究内容を尋ねてみようと決意する。自宅にある小学校卒業アルバムに記載の連絡先から辿り、智美とのコンタクトが取れる。話し合った結果、瑞希の両親が営業している店、つまり瑞希の実家で久しぶりに話をすることになる。

 その後、智美の代官山のマンションまでタクシーで瑞希が送っていくことになる。部屋には研究データもあるので、もう少し話したいから立ち寄ってほしいと言う智美の言葉に瑞希は立ち寄ることにした。智美の部屋に着くと、ドアが開いていて、部屋中が荒らされ、あらゆる扉や引き出しの類いが開けっぱなしになっていたのだ。智美は研究ノート一式がなくなっていると瑞希に告げる。これが悪いサイクルが回り出す始まりとなる。

 研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォースの人間が、記者会見の直後、研究班リーダーの如月智美に会っていたこと自体が問題視される。研究所からは文科省に抗議が来る。
 『ナノテクノロジー』誌に論文が掲載されると、世界の研究者から論文に含まれる問題点の指摘が始まる。掲載画像に使い回しがあること。論文に書かれた方法で追試を行ってみても再現性がないことなど・・・。
 論文は捏造されたものではないかという方向に事態が進展する。その捏造の発端が発案者の如月智美なのか? 如月智美は犠牲者なのか? 論文の信憑性は・・・・。

 瑞希が智美に会うために、昼食時間にあることをきっっかけに宗田と野村を煙に巻く行動をとるエピソード、不正疑惑をもとに、宗田・野村・水鏡が人工血管総合研究センター実験開発棟を訪れた折りの研究資金問題での論議場面、民間企業の研究棟への稼働実験視察のエピソードなど、興味深くておもしろい話題、ストーリーに絡む問題点指摘を織り込みながらストーリーが進展する。
 この小説、STAP細胞で話題になった事件を発想の芽の一つにしているようだ。
 論文発表の手続きやシステムの問題点などをうまく指摘し、利用しながら、ストーリーは全く異なった次元に展開していくという面白さがある。マジックのトリックもこんな風に組み合わせていけるのかという意外な展開が落としどころと言える。

 けっこう楽しみながら読め、かつ科学研究分野における研究資金の問題点指摘は考える材料を提供している。単なるエンターテインメントに終わらせない指摘が読ませどころにもなっている。

 ご一読ありがとうございます。

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本書に出てくる用語からの関連事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
人工血管  :「バスキュラーアクセスセンター」
人工血管置換術  :「Japan Lifeline」
動脈瘤の外科手術 :「東京医科大学 心臓・血管病低侵襲治療センター」
カプサイシン  :ウィキペディア
カプサイシンに関する詳細情報  :「農林水産省」


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これまでに読み継いできた作品のリストです。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.1       2016.7.22



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